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って……結婚の約束をしてたってこと!?
頭を殴られたみたいな衝撃が走る。
ふたりの距離や雰囲気から、ただの知り合いじゃないだろうとは思っていた。
でも、婚約だなんて……。
それに『昔の』だと言うなら、どうして今、こっそり会っていたりするの?
動揺と混乱……それに何よりもショックで、ひと言も次の言葉が紡ぎ出せない。
そんなあたしをいたわるように、彰子さんは控えめな声で聞いてきた。
「失礼だけど、私、というか一哉の昔のことは、何か聞いているの?」
「えっ……」
昔のこと。
そんなの、何ひとつ知らない。
あたしは俯いて首を横に振った。
「何も。
彼は何も、話してくれませんから……」
それを聞いた彰子さんは哀れむようにため息をついて、
「そう。
きっとあなたに心配をかけたくなかったからかもしれないわね」
「心配?
あたしは、話してくれないことの方が不安です。
知りたいのに。
昔のことも、今の本心も。
全部知りたいのに、なんにもわかんなくて……!」
思わず感情が溢れそうになって震えた声を、あたしは必死で抑えた。
彰子さんはあたしをなだめるような声で、
「そうね。
同じ女として、その気持ちはわかるわ。
あなたが本当に知りたいというなら、別に私は話してもかまわない」
「教えてくださいっ。
お願いします!」
食い入るように彰子さんを見つめて言うと、彼女の表情が少しだけ厳しくなった。
そして彰子さんは強い光をたたえた瞳であたしを見て、
「だけど、ひとつだけ約束して。
私から真実を聞いたとしても、最後は必ず、一哉自身と向き合うって。
一哉が話さなかった……いえ、話せなかったのは、きっとあなたを大切に思っていないからじゃない。
大切に思うからこそ、だと思うのよ」
「大切に思うからこそ……?」
彰子さんの言葉をそのまま繰り返してみるけれど、正直なところその意味は、あんまりピンとこなかつた。
彰子さんはあたしのそんな心情もお見通しという顔でクスッと笑って、
「今はわからなくていいけれど。
とにかく真実を聞いても、一哉から逃げない。
それだけ、約束してほしいの」
逃げない。
その言葉にあたしの体がピクッと反応した。
彰子さんの声が、あたしの中に残るあの声と、ピッタリ重なったから。
『逃げんなよ、香』
あたし達が本当に結ばれたあの日、一哉が言ってくれた言葉。
その響きは今も、少しも曇ることなくあたしの胸の中に残っている。
逃げない。
それは、一哉があの日あたしに示してくれた、一筋の道だ。
「わかりました。
約束します」
あたしは彰子さんから目線をそらすことなく、静かに言い切った。
彰子さんは満足そうに頷いて、
「ありがとう。
それなら話すわ。
私と一哉がつき合っていた頃。
三年前に、アメリカであった出来事を」
遠い目をして当時を思い出すかのような彰子さんを、あたしはゴクッと息をのんで見守った……。




