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そして、金曜日。
あたしと一哉は、正装に着替えてイベントの会場となるホテルのセレモニーホールに入る。
基本は立食パーティーのスタイルのようで、会場は300人は超えそうな出席者で埋め尽くされていて、すごく賑やか。
よく見ると、同業者だったり取引先だったり、けっこう顔見知りが多かったため、一哉は知り合いの輪を見つけては挨拶したり、また逆に声をかけられたりして、思った以上に忙しかった。
(ホント、知り合い多い人だな……)
遠巻きに一哉を見つめながら、つくづく思う。
ずっと一哉の後ろについているのも変だから、ホール内ではあたしも適当に過ごしていいと言われていた。
だけど、あたし自身はいたってヒマ。
だからあたしは壁の花のように、ひとりでボーッとしているだけだった。
そのうちようやく司会者がステージ脇に登場して、イベントの進行を始める。
会長の挨拶に続き、関係者、そして特別ゲストのスピーチ……。
しばらくボーッとそれを聞いていて、ふと視線を一哉がいた辺りに戻したら……。
(あれ?
いない?)
あたしは思わず背伸びをする。
ついさっきまで、会場の中央辺りで、知り合いと談笑していたはず。
……その他のメンツは同じ場所に立ったままなのに、一哉だけがいなくなっている。
(え……どこに行ったの?)
他の知り合いを見つけて移動したのかと思い、キョロキョ口と周囲を見回した。
でも、いない。
少し動き回って会場全体を見てみたつもりだけれど、そのどこにも一哉の姿は見当たらない。
(ヤだ……なんで……)
別に、帰る時にまた合流できれば問題ない。
だから今すぐ一哉を見つける必要なんて、本当はない。
それはわかっている。
だけどあたしはなぜかいてもたってもいられなくなって、一哉と話していた人達の方に歩き出した。
声をかけて自分の立場を名乗り、一哉がどこに行ったかを尋ねる。
「井上さんなら、少しヤボ用だとか言って会場を出られましたよ」
答えてくれた声に、あたしはお礼も忘れてその場で立ち尽くしてしまった。
いてもたってもいられなかった理由。
一哉がこのイベントに行くと言った時と、ついさっき感じた胸騒ぎが重なり、一気に加速する……。
「どこ行ったのよ……一哉……!?」
あたしは弾かれたようにホールを飛び出した。
お手洗いや受付、喫煙スペースなんかを歩き回る。
だけど一哉はどこにもいなくて、あたしは探す範囲を広げ、会場の傍を離れてホテルのロビーにまでも行ってみた。
そして……見つけた。
ロビーラウンジの片隅で、立ったまま誰かと話している一哉を。
「一哉……!」
状況も忘れて、名前を呼んで駆け寄ろうとする。
だけど、数歩踏み出した所で、あたしの足は止まった。
……見えたんだ。
観葉植物に隠れて最初は見えていなかった、一哉と一緒にいる相手が。
一哉はその人とふたりでいるみたいだった。
ふたりで向かい合って立ったまま話をしているけれど、その距離は、ビジネスの距離じゃない。
もっと近い、少し手を伸ばせば触れそうなくらいの距離で。
一哉はその人、あたしが誰だかわからないキレイな女の人を見つめて、真剣な顔で話している……。
(誰……?
その人……?)
何だか気が遠くなりそうだった。
視界に黒いモヤがかかって、めまいに似たような感覚が襲う。
それなのに……見た光景だけは、もうしっかり脳裏に焼きついて離れない。
……ずっと心のどこかで、言葉にしようのない胸騒ぎと不安を感じていた。
それが今、現実となっている。
(あたしに黙っていなくなることも、こっそり誰かと会うなんてことも。
今までそんなこと、一度だってなかったのに……)
「なんで……一哉……?
その人、誰なのよ……!?」
もう一度同じ問いかけを、声に出して眩いて。
でもそれ以上はふたりの姿を見ているのが耐えられなくて、あたしは震える足で、逃げるようにその場を走り去った。
会場に戻り再びパーティーの喧騒にまぎれるけれど、いつまでも鼓動が収まらず、足がカクカクと震える。
イベントの終わり間際になって、一哉はやっと会場に戻ってきた。
また壁際でひとりポツンと待っていたあたしは、こっちに駆け寄って来る一哉を、感情を殺した無表情な顔で見つめる。
「よお。
何だよ、暗い顔して。
疲れたのか?」
笑いながら明るい声で言う一哉に、あたしは思わず顔をそむけて、
「別に疲れたなんてことは。
少し、会場の空気に酔っただけです」
冷たい態度と、強張った秘書モードの敬語。
自分でもちょっと不自然かなと思う。
案の定、一哉も怪訝な顔をして、
「……?
酔ったって、マジで大丈夫かよ?
気分が悪いんだったら」
そう言って一哉があたしの額の方に伸ばした手を、あたしは反射的に手で払った。
驚いた表情を浮かべる一哉に、取り繕うようにして、
「……こんな大勢の人の前で、あんまり触ったりしない方がいいですよ」
『社外でまで変な噂が立ったらどうするんですか』
そう説明して、あたしは先に歩き出した。
……一哉の視線から逃れるように。
「さぁ、もうイベントも終わりですし、帰りますよね?
タクシー乗り場が混まないうちに行きましょう」
一哉の方を見もしないで、ツカツカと出入口の扉に向かって進んでいく。
背中からあたしを追う足音と声が飛んできた。
「オイ、待てよ香。
どうしたんだよ……お前、なんかおかし……」
「金曜だから道も混みますよ。
ホラ、副社長も早く」
一哉のセリフを遮って、有能な秘書の口調で言い放って。
あたしはそのままロビーを突っ切ってエントランスのタクシー乗り場に着くと、そこでようやく後ろを振り返る。
一哉は相変わらず怪訝な顔をしていたけれど、ホテルマンがタクシーのドアをキープしてくれているのもあって、黙って乗り込んだ。
一哉が乗ったのを確認してからあたしも助手席に乗り込み、行き先を告げる。
行き先は一哉の自宅マンション。
一哉は当然、あたしも泊まると思っているだろう。
だけど……だけど、あたしは。
「さっきしばらく、姿が見えないような気がしたんだけど。
どっか、行ってた……?」
前を見たまま声が上擦りそうになるのを懸命に押さえて、あたしはそう切り出した。
後部シートの一哉の顔は見えないけれど、『え?』と言いつつ小さく息をのんだのが気配でわかる。
一瞬の間。
そしてその後、一哉の口から出た言葉は……。
「ああ、知り合いにつき合って喫煙スペースには行った。
たぶんそん時じゃねえか」
ウソ。
喫煙スペースなら、あたしも探しに行ったよ。
でも一哉はいなかった。
一哉がいたのは……。
「……ゴメン」
かすかに震える声が、ノドの奥から漏れた。
あたしホントは、知ってるんだよ。
見たから。
ウソついたって、知ってるんだよ……。
(なんで……隠すの……?)
「ゴメン。
やっぱりちょっと、体調おかしいみたい。
今日は、帰るね……」
ジッとフロントガラスの向こうの夜景に目をこらして。
あたしは込み上げてくる涙をこらえるのに、必死だった。




