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「いいえ。
……あたしが買ってきたんです。
雑誌はいろいろ読まれるので、それも毎号購読していて……」
「ふむ……そうか」
自分だけで納得したような声を出して、菅原さんは雑誌を手に取りパラパラとめくり出す。
あたしに説明してくれるような雰囲気じゃない。
どうしよう。
しばらくためらったけれど、あたしは意を決してさらに菅原さんに声をかけた。
「あの……ホントに、その雑誌に何かあるなら教えてください」
「え?
どうしてです?」
キョトンとしてこっちを見る菅原さん。
こうなったら話すしかない。
あたしは言葉を選びつつ、事情を説明した。
「あたしがその雑誌に触ろうとしたら止められて。
それにその後、少しいつもと様子が違ったし……」
それを聞いて、菅原さんはアゴに手をやってまた『ふむ』と声を出す。
「落ち込んでいるような感じでした?」
「落ち込んでいるかどうかはわかりませんけど……。
でも、元気がないようには思えました」
いつだって生気溢れる顔で仕事している一哉らしくなかったことは、間違いない。
菅原さんは『そうですか』と眩いて、雑誌を元の位置に戻した。
そしてまっすぐあたしに向き直って、
「きっと、少しだけ過去を思い出していたんじゃないかと思いますよ。
その内容は、僕からは話せませんが……」
「え……。
過去?」
心臓が、トクンと音をたてる。
まさか菅原さんの口からそんな言葉が出てくるとは思っていなかった驚きと、『一哉の過去』というその言葉の意味。
そして、『話せない』と言われた切なさ……全部がごちゃ混ぜになって、胸の中を渦巻いた。
(その雑誌を見て思い出した過去?
なんなの、それ?
その過去は、どうしてあたしには触れさせたくないの?)
疑問ばかりがマーブル模様を作って、あたしの呼吸を詰まらせる。
胸が締め付けられるように苦しかった。
「気になりますか?」
静かな声にハッと顔を上げると、菅原さんが、穏やかな表情であたしを見ていた。
「あ……えぇと……」
秘書のあたしが取り乱すほど気にするなんておかしい。
でもきっと、今さら取り繕ってもどうしようもないくらい、あたしの顔は歪んでいるだろう。
それくらい、 今のあたしは揺れている。
一哉の過去という、その言葉に。
結局何も言えないでいたら、菅原さんは苦笑して『そんな顔しないでください』と声をかけてきた。
そしてスタスタとあたしの傍まで歩み寄ると、あたしの肩にポンと手を置いて、
「気になるなら、直接一哉クンに聞いてみればいい。
あなたが聞けば、彼も答えるんじゃないかと、僕は思いますよ」
「そんな……」
あたしが聞けば……なんて、そんな予想どこから来るんだろう。
あたしには、とてもそんなふうには思えない。
菅原さんは知らないけれど、あたしが一哉の過去を気にしているのは前からで……。
それを知ったうえで、一哉は何も話してくれないんだから。
(やっぱり一哉は、あたしに昔のことを話したくないんだ……)
……何か、あたしに言えない秘密がある。
そう思ったら、視界がぼやけるような感じがした。
湧き上がってきた涙を、あたしは懸命に押しとどめる。
あたしの異変を知ってか知らずか、菅原さんはもう一度あたしの肩をポンポンと叩くと、優しい声でこう言った。
「橋本さんが一哉クンの過去が気になるのは、どうしてですか?」
「えっ!?」
一哉の過去が気になるのは、どうしてか?
そんなこと、今答えられるわけない。
秘書としての建前で言えることなんて、何も……。
そう思っていたら、まるで心の内を読んだかのような的確さで、次の言葉が紡がれる。
「あ、これは副社長秘書としてじゃなく。
橋本さん個人として答えてくれていいですよ」
「えぇっ?」
もはやあたしは狼狽した声をあげるばかりだ。
もしかしたら菅原さん、あたし達のこと感づいているのかな。
なんだかそんな気すらしてきた。
だけどいずれにせよ、正直に答えることなんてできない。
あたし達の関係は、薄々感づかれていたとしたって秘密なんだから。
不自然なのはわかりきっているけれど黙り込むしかないあたしに、菅原さんはなぜかニッコリと微笑んだ。
そして、
「ごめんなさい。
ヤボな質問でしたね。
やっぱり答えてくれなくていいです」
「え?
あ、はい……」
なんだかよくわからないけれど、とりあえずホッとするあたし。
そんなあたしに、菅原さんは落ち着いた声で言葉を続ける。
「過去を知りたいのは、つまり一哉クンのことを知りたいからですよね。
でも……もしよかったら、考えてみてもらえますか?
一哉クンのことを知りたいのは、誰のためなのか」
「誰のため……?」
あたしは菅原さんの言っていることがピンとこなくて、おうむ返しに尋ねた。
菅原さんはコクリと頷いて
「はい。
誰のために、なんのために知りたいのか。
その答えをちゃんと見つけたうえで一哉クンに過去を尋ねるなら、彼はきっと、答えてくれます」
誰のために。
なんのために……。
……そんなことは、考えたこともなかった。
というより、知りたいことに誰のためだなんて、あるんだろうか。
……わからない。
急な問いかけに戸惑いつつ考えてみたものの、答えらしきものはまったく浮かんでこなかった。
「すみません。
あたし、あんまりよくわからないかも」
そもそも菅原さんとこんな会話をしていること自体、驚きの方が大きすぎて、ちっとも頭が回らない。
弱り切っているあたしに、菅原さんはフフッと小さく笑って、
「大丈夫ですよ。
別に難しいことを聞いたつもりはないので、一度ゆっくり考えてみてください」
「は、はあ……」
曖昧に返事すると、菅原さんは軽いまばたきを頷きに代えて、
「それでは、そろそろ戻りましょうか」
「あ、はい……」
菅原さんと一緒に副社長室を出てからも、あたしは胸の内の動揺が拭い去れない。
菅原さんの言葉と一哉の少し曇った顔が、頭の中をグルグルと回っているような気がしていた……。




