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短いティータイムの後、空いた時間で掃除をして。
夕方になると一哉は社長や専務との、先日オープンした恵比寿店の営業成績の検討会議に行った。
あたしはその間秘書室で雑務。
することはいくらでもあるんだけれど、どうにも仕事の手ははかどらなかった。
さっきの一哉の態度が気になって、落ち着かなくて。
(なんで、あんなに怒ったんだろ……)
机もサイドボードもしょっちゅうあたしが触って整理しているのに。
触るな、なんて大きな声を出されたのは、初めてだ。
(ダメだ、気になる……)
あたしはいてもたってもいられなくなって、ちょうど菅原さんが席をはずしているのをいいことに、副社長室に入り、一哉のサイドボードに歩み寄った。
なんとなく手で触るのは気が引けて目だけで眺めるけれど……でも、変わったことは何もない。
むしろそこにあるのは全部、あたしが確認した郵便とあたしが買ってきた雑誌だ。
変わった物なんてあるわけもない。
一番上にある雑誌も毎号買ってるビジネス誌で、今月号は上場企業の社長のインタビューとかが載っているらしい。
(いたって普通の雑誌じゃない。
これが何か……?)
興味が気後れを上回って、その雑誌にそっと手を伸ばしかけた時。
突如トントンと軽いノックの音が響いて、あたしはビクッと一同をすくめた。
誰だろう?
今はただ忍び込んでいただけにすぎないあたしは一瞬声を失うけれど、すぐに気を取り直す。
カモフラージュのため、作成済みの書類を持ってきている。
仕事を装うのは難しくない。
「……はい?」
入口の方に歩み寄りながら答えると、ドアの向こうから聞こえてきたのは。
「お疲れ様です。
菅原です」
「菅原さん?」
ボスが不在のこちらになんの用だろうと思いつつもドアを開けると、菅原さんはにこやかな笑みを浮かべて中に入ってくる。
「お疲れ様です。
こっちにいたんですね」
「ええ。
頼まれていた書類をお届けに」
「ああ、そうでしたか」
「あの、何か……?」
社長も同じ会議に出席中なのだから、一哉がここにいないことは最初からわかっていたはず。
だからあたしに用事なのだろうと思って確認すると、菅原さんは穏やかな声で、
「今会議室から内線があって、会議が煮詰まっていて時間も少し押すそうです。
それで、30分後に休憩を入れるのでお茶を用意してほしいと。
橋本さんにお願いしてもいいですか?」
「お茶ですか?
わかりました」
特に断る理由は何もないので、快く引き受ける。
菅原さんがあたしを探していた用件はわかったし、もうここにいる必要もないので、菅原さんを促して外に出ようとした。
ところが菅原さんは、ぐるりと室内を見回して、
「なんだか今日はこの部屋、ピカピカしていますね」
と、笑顔でそんなことを言う。
「あ……さっき、花瓶とか窓とかひととおり磨いたので」
「へえ。
それはお疲れ様です。
こんなに綺麗になって、副社長も喜んでいたでしょう」
そう言いながら、菅原さんは部屋の隅に飾ってある大きな花瓶に歩み寄った。
しばらく無言でそれを眺めていたかと思うと、突然クルッと振り返って、
「どうですか、副社長秘書の仕事は。
一哉クンとはうまくいってます?」
(は?
何よいきなり)
いつも簡潔明瞭な菅原さんにしては、あまりにも唐突な質問。
それに『仕事はどうですか?』だけだったら即答できるのに、わざわざ最後につけてくれたひと言が微妙に答えづらい。
(今日のことなんて知るわけないのに、狙ったような質問だな)
内心軽く動揺しながら、あたしは曖昧に微笑んで、
「ええ、たぶん」
「たぶん、ですか?」
「アハハ……。
副社長には、直接そんなこと聞いたりもしませんから」
そう言ってごまかそうとすると、菅原さんは目を丸くして、
「一哉クンの方なんて聞かなくても明らかですよ!
彼は相当あなたを買っている。
そうでなきゃ、あなたが辞表を出していなくなった時に、わざわざ探しに出たりなんかしないでしょう」
「そ、そうですか」
その話を出されると、ますます居心地悪い。
あたしは気まずさをまぎらわすためこ、適当に思いついたままをペラペラ口にした。
「でも、お互い性格が違いますから食い違うことも多いですよ。
副社長からすれば、あたしはちょっと口うるさすぎるみたいです」
「口うるさい?
そうなんですか?」
「ええ、まあ。
整理整頓しろとか、しょっちゅう言っちゃってますから」
「あぁ、なるほどね。
たしかにそういうところは、一哉クン、だいぶマイペースだからなぁ」
言いながら菅原さんは、その整理整頓の成果でも見ようと思ったのか、一哉のデスクに近づいた。
机周りをザッと眺めて、次にサイドボードに視線を移して……。
「ん?
これは……」
(え……?)
思わずドキッとする。
だって菅原さんが眉間を寄せて反応したのは、さっきあたしが触ろうとして怒られた、あの雑誌だったから。
(な、何?
菅原さんまで)
にわかに胸がざわつき出した。
たまたまかと思っていたのに……もしかしてあんなただのビジネス誌に、何かあるの?
「どうしたんですか?
その雑誌が、何か?」
あたしは内心の動揺を隠して、極力普通の声で問いかける。
その声に、菅原さんはピクッと顔を上げると、
「ああ、いや。
……この雑誌、一哉クンが買ってきたんですか?」
(やっぱり、あの雑誌なんだ)
ひそかな確信を得ながら、あたしは呟くような声で答えた。




