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あやまちから始まる恋の罠  作者: アルケミスト


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「副社長。

 新しい雑誌を何冊かお持ちしたので、置いておきますね」


 相変わらず仕事中はきっちり秘書モードに入る香が、そう言いながらオレのデスクのサイドボードにいくつか荷物を置いた。


 営業部から上がってきた企画書に目を通していたオレは、チラッとだけ香を見て礼を言う。


 香は普段どおりのキビキビした動作で一度出て行き、間もなくコーヒーを持って戻ってきた。


 言葉にしていないが何となく飲みたいと思っていたことを、敏感に察したらしい。


(すっかり敏腕秘書、だな)


 最初から頭のいいヤツだと思っていたけれど、仕事に慣れるにつれ、その優秀ぶりはメキメキと際立ってきている。


 今ではこっちが言う前に要望に気づいて、手際よくスケジュールを組んだり、資料をまとめてくれたり……。


 ホントに、オレには公私ともになくてはならない存在だ。


「オイ香、ちょっとは休憩はさんでもいいぜ」


 商談が立て込むと、オレも香もぶっちゃけ相当忙しい。


 今日は比較的ゆったりしたスケジュールだから、こういう日くらいは香も少しのんびりしたっていいだろう。


 トレイを手にしたまま、香はキョトンとした顔をして、


「休憩、ですか?

 でも、今日はせっかく時間に余裕があるので、部屋の掃除でもしようかと……」


「あ?

 掃除って……んなもんこのビルの業者がやるだろ」


「そうですけど、もっと丁寧にデスクとか花瓶を磨いたりとか」


「あー、んなのはいい、いい!

 それほど汚れてもないだろうが」


 ったく、どんだけ仕事好きなんだよ。


 せっかく人一倍の過密スケジュールに疲れているんじゃないかって心配してやってんのに、まだ働こうってのか。


(こりゃあ、多少強引にでも休ませないとダメだな)


 オレは即行決心して、内ポケットからサイフを出すとそれを香に投げて渡した。


 突然のことにギョッとしながらも、それをキャッチした香に、


「なんか急に甘いものが食べたくなった。

 買ってこい」


「はっ!?」


「甘いもの。

 そうだな、パティスリー・ルナのケーキとかがいいな。

 すぐ買ってきてくれ」


 香はオレの命令に目を白黒させている。


 めんどくさくなったオレはダメ押しで、


「コラ。

 上司命令が聞けないっていうのか?

 オレが行けと言ったらすぐ行く。

 そうだろ、副社長秘書?」


「な……」


 香は軽く眉を吊り上げたものの、結局は諦めたのか『わかりました』と低く眩いた。


 小さく一礼して、ドアを開けて部屋を出ていく。


「……よしよし」


 満足げに頷いて、オレも香が戻ってくるまでつかの間の休息をとるべく、見ていた資料を閉じた。


 ちょうど香が置いていってくれたばかりの、新しいビジネス雑誌を読むことにする。


 一冊目の興味を引く記事をひと通り読み、続けて二冊目を手に取った。


 何の気なしに一ページ目から目を通し始めて……だが半分ほど進んだところで、オレはハッと息をのむ。


 話題の人物数人へのインタビュー記事。


 そこには、目立つカラー文字でデカデカと書かれたキャッチコピー……。


〈IT業界の革命児、久保雄一氏。

 彼の目から見た新世代と今後のIT業界〉


 オレは無意識のうちに本文を目で追い始めていた。


 久保雄一は有名IT企業の若き二代目社長で、まだ三十六という若さでありながら、日本のIT業界に絶大な影響を与える開発をいくつも成功させたことで有名だ。


 記事はその田中雄一が現代の二十代についてと、彼らが今後のIT業界をどう変えていくかを語ったものらしい。


〈であると久保氏は考えているようだ。

 特にゆとり世代の彼らの競争心の低さを懸念しており、『私も先日第一子に恵まれたが、温室の中で育てるような教育はしたくない』と、久保氏は切々と語る〉


「へえ……」


 知らず知らずのうちに声が漏れる。


 驚きとも、怒りとも、悲しみともとれない。


 なんだかえらくふざけた、変な声。


(そうか、もう……)


 もう、そんなに経ったんだな。


 その時だった。


 なんの前触れもなくドアがガチャッと音をたてて開いて、オレは思わずガバッと顔を上げる。


「えっ?」


 オレの反応に驚いたらしい香が、目をパチパチさせてそこに立っていた。


「あ……悪い。

 何でもない」


 時計を見ると、香が出ていってから30分ほど過ぎている。


 戻ってきて全然おかしくない時間だし、前触れがないと思ったのは、オレが集中していたからだ。


 オレは雑誌を素早く閉じてサイドボードに戻すと、何事もなかったように微笑んで香を見た。


「ちゃんと買えたか?

 パティスリー・ルナのケーキ」


「……まあ、ご命令ですから買ってきましたけどね。

 あそこの店いつも人気ですから、けっこう待たされました」


 無茶な使いに走らされたのが不満なのか、待たされたのが不満なのか。


 香はむくれ顔で言いながら部屋に入ってきて、応接セットのテーブルの上にケーキボックスを置いた。


「言ったからには、当然副社長もお食べになりますよね?」


 言葉遣いだけは丁寧だが、声は低く無言の圧力がこもっていた。


 どうやら、香を休ませるための口実だということを気づいているらしい。


 オレは軽く肩をすくめて、


「食べるよ。

 当然だろ」


 シレッとした口調で言うと、香はプイッとそっぽを向いて、ティータイムの準備をするため外に出ていった。


 戻ってくるとオレには二杯目のブラックコーヒーを、自分にはカフェオレをテーブルに並べ、ほどなくして室内に甘い香りが漂う。


「ホントにいいんですか、こんなことしてて?」


 香は最後までブツブツ言っていたが、いざケーキを食べ始めるとすぐに『おいしい!』と顔をほころばせた。


 なんだかんだ言ってもやっぱり女だ。


 スイーツには普通に弱いらしい。


 テーブルをはさんで向かい合って、昼下がりの静かなティータイム。


 たまには、こんなのもいいな。


 ビジネスパートナーでもあるオレ達が、こんな平日の昼間にのんびりふたりでくつろげるなんてことは、そうないから。


 しばらく、たいした会話もせずコーヒーを飲みながらふたりで過ごした。


 けれど香はコーヒーを飲み干すとすぐに席を立って、


「さあ、休憩はおしまいです。

 やっぱり、お掃除しますね」


「はぁっ!?」


 結局やんのかよっ!?


 思わずツッコミかけたが、香はそんなオレにふいにふんわりと微笑んで、


「体調は大丈夫ですから。

 キレイにしておきたいんです。

 副社長の部屋だもの」


「香……」


 まただ。


 たまにフェイントで見せるこんな笑顔には、思わずドキッとさせられる。


 少し前、そう、まだ珠奈としてウェヌスでも働いていた頃には、こんな笑顔は絶対に見せなかったのに。


「……わかったよ。

 勝手にしろ」


 結局オレは降参して、そう言い残して自分のデスクに戻った。


 香は食器をトレイに載せて下げ、給湯室で洗い物を済ませて戻ると、掃除に取りかかる。


 と、ちょこまか動いていた香が、ピタッとオレの方を見て動きを止めた。


「……?」


 なんだ?


 と首をかしげるオレに、香は軽く口を尖らせて、


「もう……デスクや棚の上はちゃんと整理してくださいって、いつも言ってるじゃないですか。

 そんな大ざっぱだからすぐ散らかるんですよ!」


 ツカツカと歩いてくる香の視線は、デスクの隣のサイドボードに注がれていた。


 それでようやく香の言っていることを察する。


 ボードの上にはさっき香が置いた数冊の雑誌や郵便が積んであるが、オレが見ていた雑誌を乱暴に一番上に置いたせいで、その山が崩れていたのだ。


 予想どおり香はそこに手を伸ばし、オレが見ていたあの雑誌を手に取る。


「……触るな!」


 とっさに出た声は驚くくらい鋭くて、オレは自分でもギョッとしていた。


 当然香も小さく叫んで驚き、その拍子につかんだ雑誌を床に落としてしまう。


「な、なんですか、いきなり?」


 動揺した声をあげる香の前で、オレは素早く落ちた雑誌を広い上げて、もう一度ボードに戻した。


「……いや。

 デスク周りくらいは自分でやるよ。

 だからお前は、別の所を整理してろ」


 とってつけたようにそう言って、目線で香を促す。


 香は腑に落ちない顔をしていたが、無言でそっとその場を離れた。





 バカか、オレは。


 香があの雑誌を見たところで、なんだって言うんだ?


 別になんでもない。


 アイツにはわかるはずもないし、それにそもそも、なぜドキリとする必要がある?


(オレは引きずってるわけじゃない。

 それなのに、なんでこんな……)


 話さないのはオレが香を失いたくないから。


 そうじゃなかったのか?


 それなのにこんなことで動揺していたらまるでオレは怯えているみたいじゃないか。


 心にちらつく、過去の影に。


(なんかオレ、自分を見失ってるな)


 このままじゃいけない。


 わかりきっていたことだが、改めてそんな思いが胸にひしひしと湧き上がってきた。


 ケジメをつける時が来ている。


 そういうことなのかもしれない。


 少しぎこちない香の背中を見ながら、オレはそんなことを考えていた。


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