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あやまちから始まる恋の罠  作者: アルケミスト


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 その日あたしは、初めて一哉がひとりで住むマンションに行った。


 そこは実家である社長の家から車で30分くらいの、20階以上はある白いタワーのような高層マンションの15階。


 2LDKの室内は広く、ローテーブル、ソファ、オ-ディオといった必要最低限の物しかない。


 それらはモノトーンで統一されていてスタイリッシュで、文房具にもこだわる一哉の趣味によく合っている気がした。


「どうした、疲れが出てきたか?」


 窓際に立って景色を眺めていたら、勘違いしたのか一哉がそう声をかけてくる。


「ううん。

 夜景を見ていただけよ」


「そうか?

 ボーっとしてるように見えた」


 一哉はあたしの髪に優しいキスを落としながら、いたわるように囁く。


 あたしは肌に触れた一哉の吐息がくすぐったくて、首をすくめながら答えた。


「それはきっと、楽しかった余韻がまだ残ってるからよ」


「ホントか?」


「ホントだよ」


 緊張はしたしそれ以外にもいろいろあったけれど、でも楽しいと思ったのは本当。


 だから素直にそう答えると、一哉はようやく信用したみたいで、


「そうか。

 それならよかった」


 そう言って、また小さなキスをする。


 今度はまぶたの少し上。


「これからもなんかあったら呼ぶから、お前も来い」


 普段どおりの上から目線の言い方だけれど、その奥にある優しい響きを、あたしは敏感に察した。


 そしてそれで確信を持つ。


 やっぱり、そうだ。


「ねぇ、一哉。

 あたしをあそこに呼んでくれたのって、一哉の家族に、あたしを会わせたかったからじゃない?」


 社長があたしも誘えって言ったのも嘘じゃないんだろうけれど。


 でも、一哉の本当の目的はそれだったんじゃないかという気がする。


 あたしを家族の集まりに参加させて、そしてあたしをその一員に、家族に、加えたかった。


「あたしに家族がいないから。

 だから……」


 一哉なりの優しさで。


 一哉はあたしに、家族というもののぬくもりと……そしてそれに代わる場所を、与えようとしてくれたんじゃないかって。


 だんだんそんなふうに思えてきたんだ。


 一哉はすぐには答えなかったけれど、その代わりに無言であたしの髪をすくように撫でた。


 その沈黙が、何よりの答えのように思える。


 やがて一哉は、いつもの落ち着いた低い声で、


「迷惑だったか?」


「迷惑だなんて思わない。

 でも、あたしには何だか眩しかったかな」


 一瞬迷ったけれど、正直に本心を口にする。


 ……楽しかった。


 一哉の家族の温かな空気に触れて、あたしまで幸せな気分になれた。


 でも同時に、あたしみたいな人間がこんな所にいていいのかという気後れや戸惑いも、たしかに感じた。


 実の親のぬくもりすら知らないあたしに、こんな温かな場所はふさわしくないんじゃないかって……。


「……ゴメンね」


 申し訳ない思いでポツリと謝ると、一哉はフッとかすかに息をもらす。


 その表情は特に怒るでもなく相変わらず穏やかで、


「謝ることじゃない。

 別にかまわないさ」


「うん……」


「それに……その答えで充分だ。

 お前は充分変わったよ、香」


「え……!?」


 唐突な言葉にドキンと胸を躍らせて、あたしは一哉の顔を凝視する。


 一哉は優しい笑みを浮かべて、真っすぐにあたしを見つめ返して、


「前のお前なら、きっとそんなふうには言わなかった。

 というかマジで前のまんまだったら、絶対今日来てなかったろうけどさ。

 あの場にいて楽しいと思えたんだったら、お前はもう昔とは全然違うよ」


「一哉」


 一哉の言葉に耳を傾けながら、あたしは自分でもあることを思い出す。


 いつだったか……そう、まだ一哉と心を通わせる前に、あたしは一度夢を見た。


 一哉の家族とあたしが今日のパーティーみたいに集まって、くつろいでいる夢。


 だけどあたしは輪の中にいながらも、どうしても溶け込むことができず、その空間が苦痛で……。


『あたしはみんなとは違う』


 そんな疎外感をハッキリと感じて、周りが笑えば笑うほど、あたしは辛くなっていくような感じだった。


 あれは夢だけどでもあの時のあたしなら実際同じことが起こっても、夢と同じように感じていたと思う。


 でも、今日は……気後れは感じても、それは夢の中の感情とはまったく別もの。


 あたしを包む優しくて温かい空間を、あたしは素直に心地よくて嬉しいと思えた。


 愛情に溢れたぬくもり。


 それを感じられて、安らいだ気持ちになった。


(あたしは、変わってきているの……?)


 心の中で眩いたのに、まるでその声が聞こえたかのように、一哉がもう一度あたしの髪を撫でる。


 優しく、あたしを慈しむように。


「わかったろ。

 お前はもうひとりじゃないし、オレにしか心を開けないわけでもない。

 お前には、普通に幸せになる権利があるんだよ」


「一哉……!」


 涙が出そうになる。


『幸せになる権利がある』


 それは、人として生まれたなら、きっとごく当たり前のこと。


 けれどもあたしは幼い頃にそれを諦め、もう自分にはそんな可能性があることすら、信じられなかった。


 人のぬくもりと一緒にすべての希望を失ったあたしは、ただ孤独に震え、壊れそうな心を必死に保とうと、『強い自分』を演じていた。


「あたしはずっとひとりだから……。

 だから傷ついても、寂しくなるだけだから。

 それならもう、傷つかないようにしようと思ったの。

 誰とも関わらないで、心を見せないで。

 そうしてひとりだけで生きていけば、もうこれ以上傷つくことはないって……」


「ああ……そうかもな」


 いつしか堪えきれなくなった涙が頰を伝い、鳴咽混じりに言葉を紡ぐあたしを、一哉は優しく抱いてくれる。


 あたしはその広い胸に顔をうずめ、もはや抑えようのない想いのたけを吐き出した。


「でも、本当はいつも、自分は生きているのか死んでいるのかわからないって思っていた。

 毎日空虚で、何をしても心から笑えなくて。

 ウェヌスでバイトを始めて、ラウンジで過ごすあの時間だけは、あたしは別人になって、賑やかな喧騒の中に身を置くことができた。

 でも、あんなのは虚像。

 ほんのひと時だけの、嘘っぱち。

 その時間が終われば、あたしはまたひとりぼっちで、寒くて……」


 本当は毎日、凍えていた。


 ひとりだけの世界は寂しくて、このままではこの誰もいない世界で、死んでしまいそうで。


 誰か気づいてって。


 あたしはいつも、泣いていたのかもしれない……。


「わかってたよ。

 最初から」


 吐息を髪に埋めながら、一哉がゆっくりと囁く。


「だから言っただろ。

『なんでお前は、そんなにつまらなさそうなんだ』って」


「一哉……!」


 そう。


 初めて会ったあの夜から、一哉は気づいてくれていた。


 誰も気づくこともなかったあたしの心に、一哉だけが、気づいてくれたんだ。


「だけどもう、お前は動き始めてる。

 お前がいるのは、そのひとりぼっちの場所じゃない。

 今お前がいるのは、オレの隣だ」


「……っ!」


 舞い降りたキスに、体が温かく溶けていくような感覚に襲われる。


 そう、ここは一哉の隣。


 そしてその周りには、一哉とあたしを優しく迎えてくれる、家族や仲間がいる。


 あたしはもう、寒くない。


(一哉)


 強引で自分勝手で、最初は全然優しくなんかなかったのに。


 今は、こんなにも、溢れそうなくらいに一哉の優しさが感じられる。


 それとももしかしたら、一哉は最初からずっと優しくて。


 それに気づけるようになったのも、あたしが変わってきたから?


(まいったな……。

 ホントに、どんどん好きになってくよ……)


 怖いくらいに。


 泣きそうなまでに、あなたが好き。


 もう何度目かもわからない熱いキスに身をゆだねながら、あたしは心の中でずっと『好き』の二文字を繰り返していた……。


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