45
一哉side
香の怯えるように心細げな顔を見ると、胸が痛んだ。
……たぶんオレは、わかっている。
香が時おり、こんな表情を見せる理由を。
だけどそれでも何も言えないのは……オレが自分でも信じられないくらいに、香にのめり込んでいるからだ。
少し前までは、もう一生誰も好きにならないと思っていた。
そんな中興味を持った香のことも、オレは当然本気の愛なんかじゃないと思っていた。
ただ、コイツといれば安らぐし、楽しいんじゃないかと思っただけ。
言ってしまえばそれは、捨て猫が傷を舐め合ってお互いを癒すようなものだ。
だけど香といる時間は、思っていた以上にオレを駆り立てた。
会う度にアイツの印象的な瞳が忘れられなくなり、強がりの奥にひそんだ影をどうにかしたくて仕方なくなっていって……。
そうしてやがて、オレは気づいた。
いつの間にか、アイツに惚れちまってたんだって。
ほっとけないのも、全部欲しくなるのも、同情や興味なんかじゃない。
オレが香のことを好きで、必要としてるからなんだって。
気づいてしまえば、もう後は手に入れるだけだ。
オレは香をオレのものにするために行動した。
そして今、香はオレの腕の中にいる。
欲しいモノを手に入れた。
だからそれからのオレは、充たされて平和なはずだった。
それなのに……。
(なんでだよ……?
どれだけ抱いても、ちっとも足りねえ)
知れば知るほど、もっと知りたくなって。
抱けば抱くほど、もっと壊してしまいそうなくらい、オレだけでコイツの体をいっぱいにしたくなって。
想いは通じたはずなのに、オレはちっとも充たされた気がしない。
少しも、もう香はオレのものだと安心することができない。
だから、思えばさっきも、ずいぶん子供じみたことをした。
(大塚とかいったか。
どう見てもハタチそこそこの、まだガキだったじゃねえか……)
だけど、それでも。
アイツが香のことを、男の目で見ていることに気づいたら、我慢がならなかった。
香はオレだけのものだと。
他の誰にも触れさせる気なんかないと、主張せずにはいられなくて。
気がつけば最後、彼との別れ際。
彼にだけ聞こえるように、捨てゼリフを吐いてしまっていた。
副社長としてなんかじゃない。
井上一哉という、ただ、香のことを好きなひとりの男として。
『悪いけど、彼女はオレ専属だから。
誘ったり近づいたりするならオレの許可とるように』
(ナニ言ってんだろな、ったく。
これでますます面倒な噂が広まったらどうするよ……)
大人気なさすぎて、何度ため息をついても足りないくらいだ。
こんな態度、完全にオレらしくない。
ハッキリいってオレは、我を忘れてる。
(だけどそうわかってても……どうしようも、ないんだ……)
香のことを想うと、少しも心に余裕なんて持てない。
(……こんな感覚は初めてだ。
オレは、ホントにコイツを手に入れられてるのか……?)
そんな得体の知れない不安と葛藤しているオレには、どうしても香に自分の過去を話す気になれなかった。
理由はいろいろだ。
香に余計なことは考えず、今のオレだけを見ていてほしいから。
昔のことを知れば、香のオレを見る目が変わってしまうかもしれないから。
それにもしかすると、香は自分の立場と比べて思い悩むかもしれない。
そんなところだが、突き詰めてしまえば、答えはひとつ。
オレは、香を失うのが怖い。
それがすべて。
(ホントに……なんでこんな、ハマっちまったんだろうな……)
お前を愛していないから言わないんじゃない。
愛しているからこそ、言えない。
だけどその想いさえ、オレは口にするすべを持たなくて……。
結局はアイツを抱く腕に、想いのすべてを込めるだけ。
切なげに目を伏せる香の背中を搔き抱いて、オレは折れそうなくらい細い体を抱きしめる。
「ん……一哉……っ」
苦しそうに声を漏らしてオレを見つめる潤んだ瞳は、どんな宝石よりもなまめかしくてキレイだ。
その漆黒の闇に、オレは沈むように吸い込まれていく……。
愛しすぎて、怖い。
そんな感情を、オレは生まれて初めて感じていた……。




