表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あやまちから始まる恋の罠  作者: アルケミスト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/71

40

 そうしてあたしは再び、一哉と一緒に働く会社に戻ってきた。


 一哉が表向きは家庭の事情だということにしておいてくれたおかげで、復帰に際してトラブルも特に起こらなかった。


 社長と菅原さんだけは本当のことを知っていたそうだから、ちゃんと謝罪したけれど。


『あなたにもいろいろとあったんでしょう。

 戻ってきてくれたなら、それでいいのよ。

 これからもよろしくね』


 社長はそう言って、理由を聞くこともなく笑って許してくれた。


 つくづくありがたいと思う。


 そして、


『オレにお前が必要だってこと、オフクロもわかってるんだよ』


 そう言って笑った一哉の顔が、くすぐったいけれど、嬉しかった。


 あたしは一哉の秘書。


 一哉の、パートナー。


 一哉の隣に、あたしの居場所がある。


 そう思うだけで、あたしには目に映るものすべてが、今までとはまるで違って見えた。


 くすんだ退屈な日々は、もうどこにも存在しない。


 今のあたしの毎日は驚くほど変化に富んでいて、いろんな色で溢れている。


 世界がこんなにも色鮮やかなんだということを あたしは、初めて知ったんだ。


 一哉と生きるようになって、初めて……。





 ピピッ、ピピッ。


 アラームの音で目が覚めると、あたしはすぐに一日を始める準備に入る。


 なんせあたしの仕事は副社長秘書。


 みすぼらしいカッコで行くわけにはいかないし、絶対に遅刻もできない。


 だから動作はキビキビと、気持ちは引き締めて。


 メイクは派手すぎない色でキッチリして、髪もちゃんとセットして。


 一哉からもらったもの以外にも、自分でも何着かスーツを買った。


 今日はどれを着ていこう?


 慌ただしい朝の時間はすぐに終わって、あたしはいつもどおりの時間に家を出る。


 通勤電車に揺られ、会社に着いて……。


「あ、おはようございます、橋本さん!」


 エレベーターホールでエレベーターを待っていると、何人かの社員に声をかけられた。


 総務部から劇的な人事異動をしたあたしは、社内ではそれなりに有名人になっている。


 仕事絡みで交流も増えたから、新しい顔見知りが声をかけてくることもあれば、前からの知り合いが面白がって話しかけてくることもあった。


 数ヶ月経って最初の頃よりはだいぶ落ち着いてきたけれど、今でもまだ、社内ではあたしと一哉の関係は噂の種みたい。


 一哉とあたしがつき合ってるとか、あたしの見た目が変わったのは一哉の命令だとか。


 まあ実のところどっちも正解なんだけれど、一哉もあたしも何も話さないから、社内では噂の域を出ないんだけれど。


「あっ、橋本さん!

 今からッスか、おはようございます!」


 再びの呼び声に振り返ると、背後に立っていたのは宣伝部の大塚クンだった。


「おはよう。

 朝から元気ね」


「あ、いやぁ……橋本さん見つけたんで、ついつい走ってきちゃいました。

 もしかしてうるさかったスか、今?」


「……ちょっとね」


 少しあきれて言うと、大塚クンはポリポリと頭を搔いて、


「すみません。

 久しぶりに見かけたから、嬉しくて」


「……あ、そう」


 さりげなく、嬉しいなんて言って、何かのアピールのつもりだろうか。


 いつの間にか大塚クンの態度はすっかりこんなふうになっていて、あたしは軽くため息でもつきたい気分だった。


 大塚クンはまだ何か言いたそうな顔をしていたけれど、ちょうどその時エレベーターのドアが開く。


 大勢で乗り込んだ基内ではそれ以上会話することもなく、大塚クンは先にエレベーターを降りていった。


 あたしもその上の階で降りて、秘書室へと向かう。


 荷物の片付けだけ済ますと、すぐに副社長室に向かった。


 副社長室に入ると、まず換気をして花瓶の水を換えた。


 前は花の用意まではしていなかったけれど、今では毎朝やっている。


 一哉が快適に仕事できる環境を作るのがあたしの役目。


 そう思うようになったから。


 季節はすっかり春で、開け放した窓から吹き込む風が肌に心地いい。


 だから窓を開けたまま資料の整理なんかを始めた頃、廊下の向こうから聞き慣れた足音が近づいてきて……。


 そして、あたしの上司兼恋人がドアを開けて入ってきた。


「おはよう、香」


「おはようございます、副社長」


 アンバランスな挨拶だけれど、これがあたし達のスタイル。


 あたしは勤務時間である限り、ふたりきりでも話し方は秘書として統一することにした。


 だけど一哉はその辺りの考えがもうちょっとざっくばらんで 、ふたりきりなら口調も呼び方も普段どおり。


 他の人と一緒にいる時だけかな。


 橋本って呼んだり、いかにも上司っぽい話し方をするのは。


 こんなふうに、あたしと一哉の価値観はいろんな所で違う。


 だけどそれは当たり前。


 だってあたし達は、別々の人間なんだから。


 だからあたし達はお互いの考えや価値観を重ねて、いろんなことを話し合って、ふたりで考えて。


 そうして少しずつ少しずつ、お互いを理解していく。


 そんな当然のことでさえ、あたしには新鮮な感覚。


 誰とも深く関わらず、誰にも心を開かず。


 そんなふうに生きてきたあたしにとっては、全部が新しくて、ある意味懐かしくて。


 本当に、今あたしがいる場所は、今までとは違う世界なんだなと実感する。


 一哉とふたりで生きる、新しい世界。


 この世界なら好きになれるかもしれないと、初めて思えた。


 ホントに、全部一哉のおかげだ……。


「……ん?

 何つけてんだ、お前?」


 上着を脱いで椅子に座った一哉が、首をかしげてこっちを見ている。


 あたしはその傍に立って、一哉が今日目を通す書類をチェックしていたところ。


「え?

 何ですか?」


「なんか、頭についてる」


「え?」


 って、一体何がついてるって?


 今日のあたしは髪をおろしてゆるく巻いている。


 その髪を首をひねって見てみるけれど、何も見えない。


「そっちじゃない。

 いいよ、取ってやるから来い」


 あきれたように苦笑する一哉に、あたしは渋々移動して彼に背中を向けた。


 すぐに取ってくれるのかと思ったら、一哉は『へえ』と小さな声をもらして、


「なかなかいいな。

 春らしくて」


「は?

 あのどういうことですか?」


 伝わってきたのは一哉の手の感覚じゃなく、ホワリと温かい空気。


 髪にキスされたんだとわかって、あたしはガバッと飛びのくように振り返る。


「何を……!」


 ドギマギして上擦る声をなんとか抑えて、文句を言おうとするあたしに、一哉はまあまあと両手をあげて、


「ちゃんと取ったって。

 ホラ、これ」


 そう言って一哉が示した、彼の右手の指先にあったのは。


「……桜?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ