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「お節介でも同情でもねえよ。
そんなことが心配なら、言い方を変えてやる」
一哉の大きな掌があたしの頬に触れた。
そして一哉は、吐息がかかりそうなほどの近い距離であたしの瞳をとらえて、
「誰かを恋しいとか、愛しいって思う気持ち。
それに、寂しいとか悲しいとか嬉しいとか……とにかくそういう、人間らしい感情全部。
それを、オレがお前に思い出させてやる。
オレが、お前と一緒に感じていきたいんだ」
『オレが、お前と一緒に感じていきたい』
それはまるで、冷たい氷をジワジワ溶かしていくかのような、温かな言葉。
低くてぶっきらぼうなのになぜか涙が出そうなくらい優しい声で、一哉は続けた。
「だから、オレを信じろ、香。
他の何も信じなくていい。
ただオレのことだけ、お前は信じてれば……」
オレがお前を、救ってやる。
そう言って、一哉はあたしを抱き寄せた。
その途端、あたしは自分の感情がせきを失った奔流のように、とめどなく溢れ出すのを感じていた。
もうダメだよ、あたし。
もう、限界だ。
こんなことを言われたら、もう、これ以上自分の気持ちをごまかすことなんてできない。
「なんで……なんでそんなこと言うの?
何も信じないって。
何も求めないって。
そう決めて、あたしは生きてきたのに……!」
厚い胸に顔をうずめたまま涙に濡れる声で訴えると、背中を抱く一哉の腕にグッと力がこもる。
「……そんなのは嘘だ。
初めてオレと会った時、お前、今にも死にそうなくらい寂しいって顔してたじゃねえか。
全部諦めた?
感情を捨てた?
嘘だよ。
さっきだって怒って、泣いて。
お前はまだ何も諦めちゃいないし、捨てちゃいない。
ただこれ以上傷つくのが怖くて、心にフタをしただけだろ」
あたしの心に、 シンシンと雪のように降りてくる声。
合わせた体から伝わる彼の体温。
その温かさが、あたしの心を緩やかに溶かしていく。
そうだよ。
あたしは寂しかったのかもしれない。
誰かに愛されたくて、必要とされたくて。
諦めたフリして……ホントはまだ何ひとつ、諦めちゃいなかったのかもしれない。
そしてそんなあたしの心にグイグイ入り込んできて、あたしを変えていこうとした一哉。
そんな一哉にあたしは不安と畏れを感じながらも、いつの間にかどうしようもないくらい惹かれていってた。
『もっといい女になって、オレを好きになれよ』
ウェヌスで一哉にそう言われた時、大きく揺れたあたしの心。
きっとあの時には、もう心は傾いていたのかもしれない。
それでも『好きになんてならない』と自分に言い聞かせ、必死で今までどおりの自分を保とうとしたけれど……でも、ダメだった。
あたしらしくない、一哉の家族の夢なんて見た時に、気づいたから。
ずっとひとりで生きてきたあたしが、一哉に惹かれ、本心では彼の近くにいることを望んでいる。
あの温かな輪の中に入れなくて、疎外感を感じていたけれど……そもそもあんな夢を見たのは、あたしがあの輪の中に入りたいと、願っていたからなのかもしれない。
でもそれはいけないことだから。
求めることは危険だと、求めても傷つくだけだと、あたしは幼い頃に悟ったはず。
だから黙って姿を消した。
けれどそんなあたしを、一哉は追いかけて……そうして今、力強いその腕で、抱きしめてくれている。
「あたしと一緒に感じていきたいって、どういうこと?」
『オレを信じろ』
そう言ってくれる言葉の奥にある感情は……それは……。
震える瞳で見上げたあたしに。
一哉が返事の代わりに返したのは、呼吸まで飲み込まれそうなほどの、熱いキスだった。
「……んっ」
時間も場所も忘れてそのキスに溺れるあたしの体を、一哉はさらにきつく抱く。
体が折れるんじゃないかというほどの苦しさも、今はすべてが愛しいということなんだと思えた。
長いキスの後、一哉はあたしの耳たぶに唇を寄せて囁く。
「お前が好きだ、香」
「一哉」
「最初は、そうだとは思ってなかった。
ただオレと似てるなって思って、無性にほっとけなくて。
それにオレにもちょっとムシャクシャすることがあってな。
言っちゃ悪いけど、気晴らしのつもりつーか……まあその程度だったんだ」
「気晴らし……?」
「誤解するなよ。
ただお前を困らせて、ウサ晴らししたかったわけじゃない。
純粋にお前に興味が湧いたんだ。
でも、説明もせずにゲームだなんて言ってお前を振り回したのは、今思えばオレの横暴だった。
悪かったよ」
「……」
「強がりたかったんだ、オレは。
いつまでも腐ってないで、ゲームのようにスムーズに自分を変えたかったのかもしれない。
それとも、ゲームのように運を天に任せて……お前との関係を楽しもうなんて、思い上がってたのかもな」
「一哉……」
なんて言っていいかわからないけれど一哉が、ゲームにこだわったのは、それだけ自分の世界を変えたいと思っていたからなのかもしれないと、なんとなく思った。
黙って次の言葉を待つあたしに、一哉は今度はまっすぐあたしの顔を覗き込んで、
「だけど、だんだんそれだけじゃないって思えてきて。
ようやく最近気づいた。
オレはお前に、きっと最初から惚れてたんだって」
「最初から……?」
「ああ。
初めて会った、あの夜からな。
今ならハッキリそう思う。
ここ一週間ほど、延々考え続けて出た答えだ」
「一週間!?」
思わず素っ頓狂な声で聞き返してしまった。
すると一哉は片方の眉だけを軽く上げて、
「そうだよ。
お前の居場所なんざ、すぐにわかってたけどな。
オレだってハンパな気持ちじゃ迎えに行けないだろ」
「え……」
そう……だったんだ。
あたしの居場所、わかってたんだ。
だけどすぐには来ないで、一哉自身、自分の気持ちと向き合って、答えを出して……。
「……わかったか?
本気なんだぜ、オレは」
あたしの心を探るような一哉の声。
信じていいの、一哉?
本当に。
あたしは、他の何も信じていない。
でもあなただけなら、あたしは、あたしは、信じてみたいって思う。
今はまだそれしか言えないけれど……でもそれだけは、間違いなく本当。
あなたと一緒にいることであたしの世界が変わっていく。
それはどうしようもなく不安で怖くて、まだ自信はないけれど。
それでも今は、その変わった世界を少しだけ見てみたいと思えるから……。
「香。
オレと一緒に来い。
オレとお前でどんな世界が作れるか。
とことんまで、このゲームを楽しもうぜ」
唇の端だけを軽く上げて微笑む、不敵な笑い。
その笑顔を見た瞬間、あたしは心のどこかで感じていた。
新しい世界は、もう始まっているのかもしれないって。




