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毎日って、こんなに退屈だったんだ。
あたしは久々に、そんなことを思い出していた。
辞表を出した日のうちにウェヌスも辞めて、携帯も返した。
プライベートの携帯番号も変更済み。
唯一、会社に提出してある資料で自宅を調べられたら終わりという問題があるけれど、なんとなくアイツは仕事サボってまでそんなことはしないんじゃないかって気がしてた。
まあそれでも不安は消しておくにこしたことがないから、近々引っ越すつもりだけれど。
多少は貯金があるから別に焦って働く必要もないんだけれど、数日前から新しい店でバイトを始めた。
小さい店で場所も銀座じゃないけれど、あたしにとって、この仕事はどこであろうが同じ。
それに、家でひとりジッとしているよりは数段マシだから。
レギュラーで入ったから、夜はほぼ毎日出勤。
だからいつの間にか、生活は昼夜逆転。
一哉が働いている昼間に寝て、夜には店にいるから家は留守。
そんな生活だからもう二度と、一哉に会うことはないと思っていた。
あたしは今までどおり、誰に振り回されることもない気楽な生活に戻ったけれど……。
……その代わりに舞い戻ってきたのは、どうしようもないほどの退屈。
前はいいストレス解消だったはずの夜の仕事なのに、今ではそれすらも空虚で退屈で。
どうしてかはわからない。
自由になったはずなのに、あたしの心には大きな風穴が開いてしまったみたいだった。
冬の冷たい風がそこをピューピュー吹き抜けていって、あたしの心を凍えさせる。
この気持ちはなんだろう?
秘書なんてなりたくてなったわけじゃなかった。
一哉の傍になんて、いたくていたわけじゃなかった。
だけど気がつくといつの間にか、その日々はあたしの中で当たり前になっていて。
憎らしくてうっとうしいと思いながらも、アイツが商談を成功させるのを見たり、そのための戦略を練ったりしているのを見るのは、楽しかった。
イキイキとして仕事している一哉との毎日は軽快で変化に富んでいて、退屈だなんて感情はしばらく忘れていた。
(意識する暇なんてなかったけど……何だかホントに、アイツの言ったとおりになってたんだ)
『つまんねえって思ってる毎日を、変えてやる』
『面白くなるぜ。
オレといたら』
ことあるごとに、一哉があたしに伝えた言葉。
失って初めて気づいた。
あたしの毎日は、
ホントにアイツによってこんなにも変えられていたんだって。
忙しくても腹がたっても、決して退屈じゃなかった毎日。
その喧騒が、今はこんなにも、懐かしい……。
「ん……?」
ふと バッグの中で携帯が振動しているのに気づいて、あたしは立ち止まった。
今は夜の街角。
今日もまた、かりそめの悦楽を求める人間が集まる店に、今から出勤しようと歩いていたところ。
「なんだろ。
また客かな……」
バッグをあさっていると、携帯を探しているくせに、つい別の物に目がとまる。
それは、あたしのスケジュール帳。
表紙には一本の万年筆がキャップについたクリップで、とまっている。
「……」
手放せなくてひそかに持ち続けているそれを、あたしはそっと抜き取って手にしてみた。
しっくりとあたしの右手に収まる、細い光沢のあるボディ。
そのひんやりとした感覚が心地いい。
『勝手にペアになんてしないでよ!』
ムキになって怒鳴った記憶が懐かしかった。
人ゴミの中、鳴り続ける携帯にも出ないで。
あたしはそのなじんだ感覚をギュッと握りしめて、いつまでもその場に立ち尽くしていた……。




