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「どういうつもりっ、店にクレジットカード置いていくなんて!
個人情報とかカード犯罪とか、今時お店にとってはいろいろと面倒なのに、んなことしたらこっちが迷惑こうむるでしょっ!?」
一哉は耳に指を突っ込んでロコツに『うるさい』という顔をしてから、
「んなこと言っても、昨日はサッサと店を出たかったし。
あれ渡しときやトンズラするとは思われないだろうから、勢いでだな」
「勢いで渡すもんじゃないでしょ!?
しかもアンタ、さっき忘れてたって言ってたじゃない」
鋭く突っ込むと一哉はピクッと眉を震わせて、
「……さっきはちょっと別のこと考えてたんだよ。
本気で忘れてたわけじゃないさ」
「どうだか。
あげてもいいとかも言ってたじゃない。
マジでワケわかんない」
吐き捨てるように言うと、一哉の表情が少しだけかげったような気がした。
一哉はあたしからフッと目をそらすと、さっきよりいくぶんトーンの下がった声で、
「別にマジでお前にやってもよかったけどな。
このカードの引き落とし口座に入ってんのは、どうでもいいムダ金だから」
「え?」
(ムダ金?
どういうこと?)
怪訝な顔で一哉を見るけれど、一哉はまだあたしから目をそらしたまま。
「まぁせっかく来たんだから、今日もここでパーッと散財していくさ。
そうすりゃお前の稼ぎにもなるだろ」
そう言うと一哉はまだ半分以上残っている水割りを一気に飲み干して、空になったグラスをあたしに突き出す。
あたしがすぐにそれを受け取らないでいると、
「ホラ、ちゃんとホステスの仕事しろよ。
ママが見てるぞ」
「えっ?」
言われて周囲を見回すと、ホントにママが店内を歩きつつ、こっちを見ていた。
また何かトラブルを起こさないかと心配なんだろう。
あたしは渋々グラスを受け取って新しい水割りを作り始めるけれど、内心どうにもスッキリしない。
……なんか、一哉が一哉らしくない気がする。
カードのずさんな扱いに加えて、『どうでもいいムダ金』なんて。
一哉ってこんなこと言うヤツだっただろうか?
(違う。
一哉は、こんなこと言わない……)
使う所にはどんどん使うけれど、ちゃんとお金の価値はわかったうえで使ってる。
そういうヤツだ。
(それなのに……どうして……)
いろいろ考えていたら、ふと他にも思い当たることがあった。
(そういえばたしかに、一哉ってやたら羽振りよすぎじゃない……?)
超然とした態度や勢いに流されて、今まであんまり深く考えたことがなかったけれど。
肩書が副社長とはいえ、そもそもうちの会社は有数の一流企業ってわけでもない。
それに一哉自身は、ついこの間まで働いてすらいなかった。
母親である社長の財政から考えて、一般人より多少リッチなくらいは充分ありえるけれど。
ここでのお金の使いっぷり。
それにあたしと泊まったホテルや、買ってくれた服。
どれをとってもかなりの額で、それはもう、大金持ちのレベル。
(おかしい……。
一哉がこんなにお金を持っているなんて……)
今さらながら、改めてそう思った。
いったん気づくと、どんどん気になってしまう。
あたしは、思い切って尋ねてみた。
わざと皮肉っぽい口調を装って、
「ムダ金なんて、いいご身分ね。
それじゃあアンタはそのムダ金で、あたしに服とか買ってくれてるわけだ」
すると一哉はグラスをあおろうとしていた手をピタッと止めて、
「なんだよ、またイヤミっぽい言い方だな。
文句あるのか?」
「別に文句なんてないけど。
でも、それが事実でしょ」
それを聞くと一哉は少し顔をしかめて、
「オレの金なんだ、どう使おうとオレの勝手だろ」
「まあ、そりゃそうだけど」
「……とっとと使っちまいたい金なんだよ。
それでお前をキレイに変身させられるんだったら、充分すぎるくらいの有効利用じゃねえか」
「何それ?
あたし別に変身したいだなんて、ひと言も言ってないわよ?」
「お前が言わなくても、オレが決めたんだよ。
前にも言ったろ、ゲームみたいなもんだって」
一哉のその言葉に、あたしはハッと息をのんで言葉につまった。
ゲーム。
たしかに、いつか一哉はあたしにそんなことを言った。
あれはそうあたしが秘書に就任した日の、副社長室でだ。
どうしてあたしを秘書にするのか、振り回すのかと聞いたあたしに、一哉はこう答えた。
自分とあたしの世界を面白くするための、一石二鳥のゲームだ、って。
……思い出した。
あの日の、一哉の態度。
あの時も一哉はあたしの顔を見ようともしないで、どこか遠くを見る目で窓の外なんて見て……。
(なんか、似てる。
今の雰囲気と)
なんだろう。
あの時も今も感じる、一哉に対する違和感。
普段は決して見せない何かが、彼の奥深くからチラチラと覗いているような。
だけどそれに触れると、ナニカが壊れてしまいそうな気がして。
結局は何も言えなくて、あたしは言葉を飲み込んでしまう……。
しばらく、沈黙が流れた。
店の喧騒もどこかに遠のき、あたし達の間だけ静かな重い時間が漂っている。
やがてゆっくりとした言葉でその沈黙を破ったのは、一哉だった。
「もっとオレ好みの女になれよ、香。
昼も、夜もな」
低く耳に響く声。
呼ばれたあたしの本当の名前。
心臓がトクンと熱く波打つのを隠して、あたしはつとめて何気ない声を装って答える。
「何言ってんの。
なんでアンタの好みになんて合わせなきゃいけないのよ」
イヤミでもあるし、本心でもあるつもりでそう言ったけれど。
それに対する一哉の反応は、怒りでもなければ悲しみでもない。
ただほんの少し唇の端を上げて、どこか寂しそうな笑顔で、一哉は笑った。




