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午後から、一哉は営業部長と一緒に店舗の視察に出かける。
あたしは荷物を持って正面玄関で一哉を見送ると秘書室に戻り、彼が戻るまでは頼まれている書類の作成をするつもりだった。
今日は社長も朝から外出しているそうで、菅原さんもずっとデスクにいる。
一時間ほど黙々とお互いの業務に集中していると、菅原さんの携帯電話が鳴った。
「はい、菅原です。
……はい、かしこまりました」
短く言葉をかわして電話を切ると、すぐに立ち上がり、
「社長がお戻りになりますので、お出迎えしてきます」
そう言って、菅原さんは部屋を出ていく。
数分後、カチャリとドアのノブが回る音がしたので、あたしは当然菅原さんが戻ってきたんだろうと思った。
ところが顔を上げてみると、開いたドアの外にいたのは菅原さんだけではなく。
(えっ、社長?)
なぜか、菅原さんよりも手前に森田社長が立っている。
あたしは驚きながらも立ち上がり『お疲れ様です』と挨拶をしたけれど、内心では戸惑っていた。
なんで、社長が社長室じゃなくこっちに入ってくるのよ?
「お疲れ様、橋本さん。
秘書姿も板についてきたわね。
どう、仕事はだいぶ慣れた?」
「いえ、まだ慣れたとまでは言えませんが……」
「そう?
でも頑張ってくれているみたいじゃない。
副社長もあなたはよくやってるって言っているわよ」
「あ、ありがとうございます」
それを言うために、わざわざここに来たんだろうか。
それにしても、社長があたしが秘書になった経緯をどう聞いているのか知らないけれど、こんなふうに言われると逆にソワソワする。
だけど社長は落ち着かないあたしの心境なんて、気づいてもいないといった明るい声で、
「ねえ橋本さん、もう少し時間大丈夫?」
「えっ?」
(大丈夫ってどういうこと?
まだ何かあたしに話があるの?)
狼狽するあたしにかまうことなく、社長はホクホクした声で、
「よければ少し、あなたとお話ししたいのよ。
そんなに手間はとらせないから」
「は、はあ……」
あたしは戸惑いを隠せない声をあげてしまう。
社長も多忙なはずなのに、いきなり副社長秘書のあたしと話?
というか、何を話そうというんだろう。
もしかしてあたしの仕事ぶりに関して、何か言いたいことがあるんだろうか。
明るい声の感じからすると文句だとかお説教ではなさそうだけれど。
あたしの曖昧な返事は社長には『OK』と伝わったらしく、社長は背後に控える菅原さんを振り返って言った。
「15分ほど、問題ないわよね?
ニッセイ銀行の方が来られるのはもう少し後だし」
「ええ。
それくらいなら、特には」
菅原さんが頷くと、社長はニコッと笑って『それじゃあ』と言った。
すると、菅原さんは軽く会釈をして部屋を出ていく。
え……もしかしてこれは人払い?
社長は、菅原さんには聞かせられない話をする気なの?
困惑しきりのあたしを見て、社長は穏やかに微笑んで、目線であたしに座るように促した。
そして、自分は空いている菅原さんの椅子に座る。
「そんなにかしこまらないで。
今日はどちらかというと社長としてじゃなく、柊の母親としてあなたと話がしたいのよ。
だから、場所もこっちで。
私が呼びつけては申し訳ないじゃない?」
(一哉の母親として?)
「あ、と言ってもそんな特別なことを話すつもりはないんだけれど。
ホラ、一哉もまだ副社長に就任して間もないじゃない?
仕事とか……それ以外でも、どんなふうにしてるのかなと思って。
一緒にする仕事も多いけれど、現場に近い仕事は一哉だけで動いてもらっているし、私では見えていない部分もたくさんあるでしょう?」
ああなるほど、そういうことか。
ようやくなんとなく社長の意図が飲み込めて、あたしは幾分落ち着きを取り戻した。
そして、社長に問われた意味を頭の中でもう一度確認する。
いきなりの思いがけないセリフに、面食らわずにはいられない。
「どんなふうに、ですか……?」
あたしは言葉を切って少し考え込んだ。
そんなざっくりした聞き方をされても、なんて答えたらいいのか迷う。
だけどしばらく考えた後、あたしは少し思い切って、
「あそしの率直な感想でよろしければ。
副社長はすごくよくやってらっしゃると思います。
社内でも社外でも、副社長の人柄を気に入られている方はたくさんいらっしゃいます」
お世辞でもなく、本当にそれが率直な意見だった。
アイツを褒めるのはシャクだけれど、仕事に関してはハッキリ言って切れ者だと思う。
ついこの間まで海外にいたとは思えないくらい社内の事情も把握しているし、決断も早い。
それに何より、堂々とした人柄が相手に信頼を与えているんだろう。
あたしの発言に、社長は嬉しさと不安の混じった顔で、
「本当?
それならいいんだけれど。
それじゃあ一哉は、楽しく仕事できているのかしら」
「楽しい、ですか?」




