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何事もなかったように仕事を再開した一哉を、あたしはソワソワした胸の内を抑えながらそっと見つめた。
……体を合わせたのは二回。
キスは、もう何回したのかな?
もはやよくわからない。
だけど一哉とのそういった時間は、思い出してもイヤな感じじゃない。
むしろ、体の奥深くに再びフッと熱い火がともるような……そんな感覚さえある。
(大嫌いじゃなかったの……香?
なんでアンタは、何度もコイツに流されるのよ!?)
ガラにもなく自問自答なんてしている自分が本当にらしくなくて、何だかおかしかった。
(もうやめよう。
今は、仕事しなきゃ)
小さく頭を振り、あたしは秘書としての自分を取り戻す。
「この後は11時半までこちらで執務、ランチをとってからお台場店の視察のため外出ですよね?
車は13時に手配しておきますので」
事務的な声で言うと一哉はパッと顔を上げて、
「わかった。
車はそれでいい。
んじゃ、また午後にな」
その返事を聞くと、あたしは『失礼します』と挨拶してすぐに部屋を出た。
「はあ」
自分の席に戻ると、思わずため息が漏れる。
何だか全身がだるい。
それに少し頭痛がしたから、来る途中で頭痛薬を買っておいた。
それを出そうとデスクの脇に置いてあるバッグを取って、中を探る。
「あ……」
指先が、薬より先にある物に触れた。
昨日一哉からもらった万年筆のケースだ。
(今日から使えって言われてたっけ)
あたしは吸い寄せられるようにケースからその万年筆を出し、キャップを開ける。
メモ紙を取り出して、試しに直線や曲線、文字と、適当にペンを走らせてみた。
「書きやすいな」
それが率直な感想。
細いボディはしっくりあたしの手の中に納まって、力をいれなくても滑るように書ける。
「さすが……よく見てんじゃん」
『そのうちお前の手になじむ』
そう一哉は言っていた。
あたしは筆記具にこだわるタイプじゃないから詳しくないけれど、確か万年筆というのは使い手のクセを吸収して、使ううちに独特の書き味を持ってくるものだって聞いたことがある。
なじむというのは、きっとそういうことだろう。
「使ううちにどんどん、か……」
お店で売られていた、誰の物でもなかった一本のペンが、あたしだけの物に変わっていく。
(あたしもそんなふうに変わっていくことが、あるのかな)
誰ともかかわらず、誰にも染まらず生きてきたあたしが。
もしかしたら自分でも気づかないうちに、少しずつ、少しずつ……。
(やめ、やめっ!
だから今は、こんなこと考えてる場合じゃないの!)
あたしは菅原さんに怪しまれない程度に、プルプルと首を振った。
今のあたしは副社長秘書だ。
やるべきことは、いくらでもある。
あたしは一哉の手帳を出して、ペンホルダーのペンを入れ替えた。
今まで使っていたペンは、後で返そうといったんは引き出しにしまう。
パソコンの電源を入れ、気を引き締めるためスッと姿勢を正した。




