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あやまちから始まる恋の罠  作者: アルケミスト


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 翌朝ホテルで目覚めた時、一哉はもう隣には見当たらず、部屋のテーブルにルームサービスでとったらしい朝食と、小さなメモが置かれていた。


 メモには、やや尖った筆跡で短く、


 おはよう。


 お前は今日は午後出勤でいい。


 そしてタクシー代のつもりか、メモの下には一万円札まで置いてあるのに気づく。


(ご丁寧だこと。

 それにしても、副社長様は一体何時に出ていったのよ)


 時計を見るとまだ七時前なのに、 ベッドの隣のスペースはすっかり冷たくなっていて、だいぶ前に出ていったことを窺わせる。


「副社長に朝から出勤させておいて、自分だけ午後からってわけにはいかないじゃない……」


 頭は重いし、体はいろんな所が軋むように痛くてダルい。


 全部、熱い夜の余韻。


 だけどあたしは気力をしぼってバスルームに入ると、熱いシャワーをザッと浴びた。


 ドレスしかないからさすがに一度家に帰らなきゃいけないけれど、急げば十時くらいには出社できるだろう。


 せっかくだけど朝食は遠慮することにした。


 すぐにホテルを出て、あたしは移動を始める。


 思っていたとおり、十時過ぎには会社に着いた。


「おや、今日は午後からじゃなかったんですか?」


 菅原さんが驚いた顔であたしを迎える。


 一哉が午後出勤の理由をなんて説明しているかわからないので、あたしは曖昧な謝罪でごまかしてすぐに副社長室に行くことにした。


 今の時間はたしか、会議を終えて部屋に戻っているはず。


「はい、もう大丈夫です。

 遅くなってすみませんでした。

 副社長に報告してきます」


 廊下に出て斜め向かいの副社長室のドアをノックすると、すぐに応答がある。


 ところが入ってきたのがあたしだとわかると、一哉は驚いたような声をあげた。


「なんだ、来たのか?

 午後でいいって言ったのに」


「そういうわけにはいきませんから」


 すでに癖になりつつある仕事モードの敬語で答えながら、内心変な気分だった。


 あたし達の関係って何なんだろ?


 ホステスと客として出会って、オフィスで再会して。


 あたしを秘書にしたのは、珠奈のあたしを気に入って面白がっている一哉の悪戯みたいなものだと思っていた。


 そして、あたしはそのイジワルな罠にはまっただけ。


 命令された仕事はこなしつつも、こんなヤツ大嫌いだって思っていたはずなのに……。


「……ったく。

 変なとこで律儀だな。

 大丈夫か、無理してないだろうな?

 オレの指示で買い物に出ていることにしたから、本当に午後でよかったのに」


 耳をくすぐる、穏やかな低い声。


 ホラ、また。


 信じられないほど自分勝手で強引なくせに、時おり見せるこんな優しさに胸がズキンと音をたてる。


 昨日も今日も、不意打ちでこんな一面を見せる一哉は、卑怯だ。


 優しくなんてしないでよ。


 あたしは人に優しくされることになんて、慣れていない。


 気遣われても、どう答えたらいいのかなんてわからないんだから。


「仕事ですから」


 結局あたしは短くそれだけを答えた。


 一哉はハァッと大きなため息をつくと、読んでいた書類をパサッとデスクに戻して、


「ったく。

 あれだけオレに溺れてても、まだ会社での態度は変わらずか」


「っ!?」


 瞬時にカッと体が熱くなる。


(何言ってんのよ?

 今は仕事中なのよ?)


 抗議の目でキッと睨みつけてやるけれど、一哉は気にする様子もなく、ツカツカとこっちに歩いてきた。


 そして見上げるわたしの顔にその長い指を伸ばし、指先でクイッとあたしのアゴを固定すると、


「夕べはあんなに可愛いかったのにな。

 なあ。

 昨日のお前みたいなモードに入るスイッチ、どこについてんだ?」


 そう言って、ほとんど息がかかりそうな距離まで顔を近づけてくる。


 あたしは右手で思いっきり一哉の手を払って叫んだ。


「やめてよ!

 どこだと思ってんの!」


「オレの部屋だろ。

 何しようとオレの勝手じゃねえか」


「副社長室でしょっ!!

 ふざけるのもたいがいにして!」


 金切り声で怒鳴ると、一哉はうるさそうに顔をしかめて、


「へーへー、わかったよ。

 小うるさい秘書だな」


「誰のせいよ!」


 さらに睨みつけるあたしから逃げるように、一哉は再び自分のデスクに戻った。


 のんびりした動作で大きな椅子にドサッと腰を下ろすと、少し横を向いて緩やかに脚を組む。


 背もたれに背を預け、ふんぞり返るような姿勢でニヤリと笑って、


「で、どうだ?

 昨日はお前にとって、特別な日になったか?」


「……っ!!」


 とっさに言葉が出なかった。


 ただ、動揺がバレないように表情を殺すので精一杯で。


「……何うぬぼれてんの。

 少しも特別になんて……」


『なってない』と言ってやるつもりだったのに。


 まっすぐにあたしを見つめる一哉の瞳を見ると、なぜだかその言葉が続けられなかった。


「……どうなんだ?」


 試すように問う静かな声も、そう。


 瞳も声も『お前の心の中なんてお見通しだ』と言っているようで、みせかけの言葉を紡ぐのがためらわれてしまう……。


 わかってるよ。


 ホントは、どこかで気づいてる。


 それがどんな意味であれ、昨日はきっとあたしにとって、忘れられない一日になっただろうってことは。


 だけどそんなの、素直に言えるわけないじゃない。


 あたし自身だって、こんな自分に戸感っているんだから。


「もう二度とあの店には来ないで。

 ホントに、迷惑よ」


 短い沈黙の後あたしが答えられたのは、そんな的外れな返答だけ。


 何か言われるかと思ったけれど、意外にも一哉は何も言わなかった。


 ただ、『ハイハイ、そうかよ』とあしらうように笑うと、正面に向き直り、再び机上の書類に手を伸ばす。

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