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あやまちから始まる恋の罠  作者: アルケミスト


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19

 一哉の秘書になって、いつの間にか一週間が過ぎていた。


 言われたとおり電話の取次ぎや一哉のスケジュール調整をして、言いつけられれば外出にも同行する。


 あたしの心境なんてお構いなしに一哉のスケジュールは超多忙で、あたしもその日々にいやがおうでも巻き込まれていった。


 うちの会社は今、関東圏での市場拡大、次には関西圏への進出を視野に入れ、新規株主やより優良な提携企業、取引メーカーの獲得に力を注いでいる。


 またそのために、市場調査や新しい人材の確保にも余念がない。


 連日役員達と行われる戦略会議や、社長に同行しての取引先との商談、夜には接待……めまぐるしいスケジュールを、一哉は精力的にこなしていく。


 日が経つにつれあたしも徐々に仕事を覚え、命じられたことを遜色なくこなせる程度には成長した。


 だけど別に特別なことをしているつもりはない。


 あたしは総務部にいた時と同じように、与えられた仕事をただ機械的に遂行しているだけ。


 それでも、社内の一部であたしのことが噂になっているということは知っていた。


 一哉のおメガネにかない、総務部から異例の人事異動で大抜掃されると共に、見た目も180度大変身。


 他人から見ればドラマチックな変身をとげたあたしに、特に一緒に働いていた総務部や関わりの多かった仕事仲間なら、あたしのその後が気になるのも当然。


 そんな一部の人間は今でもあたしのことを『シンデレラみたい』と言い、一哉との関係を勘繰ったりしているらしい。


(おかしなものね。

 あたしはまだ、こんな自分が信じられないのに)


 あたしが噂や好奇の視線の的になるなんてことは、今まで一度だってなかった。


 というかそんなことにはならないように、ジッと静かに生きてきた女。


 それがあたしだったのに。


 珠奈ならいい。


 でも昼間のあたし、橋本香の世界がこんなにも変わったことに、正直あたしはまだ戸惑いを拭えなかった。


 そして一哉ともどんなふうに接していいかわからなくて、あたしは覚えたプログラムを実行するだけのロボットみたいに、ただ黙々と仕事していた。


「疲れた……」


 18時。


 仕事を終え、秘書室を出てエレベーターに乗り込むと、思わず大きなため息が漏れる。


 体に疲労を感じていると、ひとつ下の階で誰かが乗りこんできた。


「あ……!」


 その人物とあたし、ほぼ同時に短い声をあげてしまう。


「大塚クン……」


 先輩、先輩って何かとうるさかった、宣伝部の大塚一輝。


 彼が目を丸くしてあたしを見ている。


「久しぶり」


 こんなふうに彼と向かい合うのは、あたしが異動して以来初めてだ。


「お久しぶりッス、センパイ」


 大塚クンはそう挨拶したものの、どこかぎこちない表情で、曖昧に笑った。


「なんか緊張するな。

 もう社員さんだし、なんせ副社長秘書ですもんね」


「別に緊張なんてする必要ないわよ」


「えー。

 でもなんか、もう気安くセンパイとも呼べないッスよ。

 別人みたいですもん」


 そう言ってあたしを見る大塚クンの目線が、以前とは少し変わっていた。


 あたしの仕事ぶりに感心してたらしい彼は、前から憧れに近い眼差しであたしを見ることがあったけれど……今はそこに、違う色が混じっている。


 少し好奇をもってあたしを見ている目だ。


(見た目が変わるだけでこれ?

 だから男ってのはイヤなのよ……)


 静かな静止音とともにエレベーターは一階に着き、ドアが開いた。


 あたしに先を促してから続いて降りつつ、大塚クンは尋ねてくる。


「帰るんですよね?

 駅まで一緒していいッスか?」


 正直面倒くさかったけれど、疲れ切っていてなかば投げやりな気持ちになっていたあたしは、そっけなく答えてしまった。


「……好きにすれば」


「やった」


 と喜ぶ大塚クンと会社を出て歩き出す。


 外に出てしまうと、大塚クンは思い切ったように話しかけてきた。


「橋本さん、マジで変わりましたね。

 ぶっちゃけみんな、ド肝抜かれてますよ。

 なんでそんな、変わったんですか?」


「別に……」


「オレ正直、橋本さんがそんなキレイだって知らなかったッスよ。

 マジそれでオフィスにいたら、みんなほっとかないッスよねー」


 周りに目れば華麗な大変身なんだろうけれど。


 あたしにとってはそんなことでこんなふうに騒ぐなんて、ひどくくだらないことだ。


「やっぱ、副社長の勧めなんですか?

 副社長ってあんな若いのにバリバリですごいみたいッスね?」


 話が一哉のことに触れると、あたしはほんの少しだけ心が波打つのを感じる。


 なんでよ……何動揺してんの、あたし……。


「ぶっちゃけみんな、噂しまくりですよ。

 その……副社長と橋本さん、つき合ってんじゃないのー、なんて」


 ハハッと笑いながら軽い口調で言ったけれど、それが大塚クンの一番聞きたかったことなんだろう。


 白々しい態度でバレバレだ。


 そしてあたしは、内心ウンザリしていた。


(まあ、普通はそう思うわよね)


 人間はみんな、下世話な想像が大好きなんだから。


「デマよ。

 そんな気持ち……これっぽっちもない……」


 感情を抑えた低い声で言うと、大塚クンは『えっ?』と小さく叫んで、マジマジとあたしを見つめる。


「そうなんスか?

 けど副社長って独身らしいし、橋本さん歳も近いし……」


「……だから、何とも思ってないんだってば!」


 思わず、大塚クンの声を遮って言い放っていた。


「ホントにやめて。

 そんなんじゃ……ないんだから……」


 一哉とあたしは、そんな関係じゃない。


 周りがどう見ていたって、一哉がどう思っていたって。


 あたしが一哉とつき合うなんて、そんなことは、絶対にない。


 あたしは自分自身に言い聞かせるように、胸の中でそう眩く。


 そうしてる間に駅の入口が見えてきた。


 あたしは一歩前に出て、大塚クンを振り返る。


「ここからはひとりで行くわ。

 じゃあね」


 そっけなく言い捨てて、あたしは駆け出した。


『あっ』と大塚クンが声をあげるのが背中から聞こえたけれど、振り切るようにコンコースに飛び込んだ……。


 疲れ切って家に帰ると、まずシャワーを浴びる。


 シャワーから出ると、テーブルの上に置いてある携帯のひとつがタイミングを合わせたように鳴り出した。


「あ……」


 鳴っているのはウェヌスから支給されている珠奈の方だ。


 ぶっちゃけウェヌスのことなんて最近は考えてもなくて、携帯もたまたま昨日見たら充電が切れていたから一応充電しておいたんだけれど……。


(客だったら面倒くさいな……どうしよ)


 そう思いながらディスプレイを見たら、ママからだった。


 出勤催促かもしれないと思い、あたしはタオルで濡れた髪を押さえながら、携帯を取る。


『ハイ』と応答するや聞こえてきたママの声。


『もしもし、珠奈?

 あぁよかったぁ、やっと連絡ついたわ!

 電話つながらないから、どうしたかと思ってたのよぉ』


「すみません。

 充電忘れてて」


 ちょうどいい。


 最近は昼間の仕事が大変で夜なんか働く気にもならないから、当分出勤はしないって言っておこうかな。


 そんなことを考えていたら、ママはいきなり話を切り出した。


『ねえ。

 来週の金曜は出勤するわよね?

 お得意様からけっこう尋ねられてるのよ〜』


「え……金曜?」


 そもそも出勤するつもりなんてないけれど、なんで日にち限定?


 なんかイベントでもある日だっけ?


 首をひねっていたら、ママの方もビックリしたような声で、


『え、七日よ!?

 珠奈、誕生日でしょ?』


「あ……」


 あたしはハッとして息をのんだ。


 そうだ!


 カンペキに忘れていた。


 でもママの言うとおり。


 来週の金曜、二月七日は、あたしの24歳の誕生日……。


『えっ、なぁに?

 まさか忘れてたの!?』


「すみません、そのまさかで」


 ママにサラッと謝りながら、あたしは内心で考える。


(そっか……もうそんな時期なんだ……)


 そもそも誕生日なんていっても、あたしには昔からそんなに特別な日じゃなかった。


 別に何か思いをはせるわけでもなく、せいぜい『ああまた一コ歳とったな』と思うだけの、とるにたらない日。


 だけどウェヌスに入った時、誕生日は稼ぎ時でもあるからお客には日付けを伝えろって言われて……。


(そういえば去年も、店でパーティーみたいなことしたっけ)


 ママと同僚何人かと、あたしびいきの客達と。


 お客はあたしのためと言いながら、高いお酒をガンガン入れてくれて、高価なプレゼントもたくさんもらった。


(たしかにあれは、面白かったな)


 別に『嬉しい』なんてのじゃないけれどそう、おかしかったな。


 今まで誰も、あたし本人ですら何とも思っていなかったこの日を、みんなが祝う。


 それが香の誕生日なら誰も見向きもしないのに、珠奈の誕生日というだけでお祭り騒ぎ。


 あたしを産んだ親ですら忘れているかもしれないのに、あたしのことを何も知らない人たちが、笑って喜んでる……。


『こんなバカみたいな光景も、悪くないわ』


 去年の誕生日はそんなことを思いながら、店で飲み明かしたんだった。


「……24歳のBirthday、か……」


『え、まあに?

 ねえ、来るでしょ?

 お客様にもそう言っといていいわよね?』


 あたしの咳きは耳に届かなかったみたいで、ママは答えをせかすようにたたみかけてくる。


 あたしは曖昧に苦笑して、


「ハイハイ、行きますよ。

 そう言っておいてくれていいです」


 そう答えると、ママは『あぁよかったわぁ! それじゃあねー』と言ってサッサと電話を切った。


 あきれ混じりのため息をついて、携帯をベッドに放り投げるあたし。


 誕生日なんて、なんのイミもないくだらない日だ。


 それなら今年も、バカ騒ぎして過ごすのもいいかもしれない。


「ま、稼げるしね……」


 ひとりの部屋でポツリと呟いて、あたしは冷蔵庫から缶ビールを出し、グイッとあおった。


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