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あやまちから始まる恋の罠  作者: アルケミスト


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 仕事を終えるとすぐ、あたしは派遣会社の担当に電話をかけた。


 働きながら一日中考えたけれど、やっぱりあたしはもう、あの会社を辞めた方がいいと思ったから。


 珠奈としての一面を知っている一哉がよりにもよって副社長だなんて、とても今までどおりに仕事なんてしていけない。


 逃げるみたいで悔しいけれど、でも、仕方ない。


「平野、怒るだろうなあ」


 番号をダイヤルして応答を待つ間、思わず憂鬱な声をもらす。


 担当の平野は20代後半の男で、若いのに意外にも仕事に厳しく、派遣社員の働きぶりにもけっこううるさい。


 こんなにいきなり仕事を辞めるのはもちろん契約違反だから、間違いなく引き止められて、説教されるだろう。


 やむをえないとはいえ、考えるだけで萎える……。


 そんなことを思い巡らしていた時、プツッと音がして相手の応答が聞こえてきた。


 名前を名乗ってすぐ、単刀直入に用件を告げる。


「すみません。

 急なんですけど、あたし今の会社、今日で辞めます」


 当然『何言ってるんだ!?』という声が返ってくると思っていた。


 ところが、電話の向こうから聞こえてきたのは。


『ああ、橋本さん。

 ゴメンゴメン、僕も今電話しようと思ってたんだよ。

 わかってるよ。

 すごく急ではあるけど、ちゃんと話進めてるから』


(え……!?)


 まったく意味がわからなくて、あたしは固まってしまう。


(なんで伝わってんの?

 ていうか『話進めてる』って?)


「や……辞めて、いいんですか……!?」


 かすれる声で尋ねたあたしに返ってきたのは、コロコロ笑う平野の声。


『え?

 そりゃあ今の契約辞めないと、直雇用には切り替えられないからね。

 大丈夫だよ。

 こっちの書類はうまく調整して、有給もムダにならないようにしてあげるから』


「は!?」


 何を言っているのか、話が見えない。


 だけどかろうじて、大事なワードだけは頭に残った。


(『直雇用に切り替える』

 今、そう言ったよね!?)


 同時に脳裏によみがえる声。


 昼間の、一哉の声だ。


『辞めさせないけどな』


(アイツ、何を……!)


「……また電話しますっ」


 通話口に向かってそれだけ言うと乱暴に電話を切り、あたしはすぐに走り出した。


 もちろん、会社に戻るため。


 よくわからないけれど、一哉が何か手を回したに違いない。


 だってそうでもなきゃ、派遣のあたしがあの会社の社員になるなんて話、出てくるわけないんだから。





 数十分後には会社に戻り、副社長室の扉の前にたどり着いた。


 でも、ノブに手をかけるとドアには鍵がかかっていた。


 やむを得ず携帯から電話をかけてみるけれど、それも留守電につながる。


「どこ行ったのよ、アイツは……!!」


 走ったのと憤りとで、熱が出てきそう。


 一体何をしたの?


 あたしを縛りつけて、どうするつもりなのよ……!?


(もしかしたら今電話に出ないのも、わざとかも……)


 アイツが食わせ者なのはもう知っている。


 怒らせれば、あたしは食らいついてくるから。


 会えなければきっと部屋に乗り込んでくると踏んで、今はわざと姿をくらまし、電話も無視しているのかもしれない。


「なんで……!」


 どうしてそっとしておいてくれないんだろう。


 あたしが会社を辞めれば、もう会うこともなくなると思っていたのに。


「なんであたしに、関わろうとするの……!」


 しかもこんな、信じられないような強引なやり方で。


 あんなヤツに振り回される生活、あたしは、これっぽっちも望んでいないのに。


(関わらない方がいい。

 これ以上関わっちゃ……)


 怒りと不安のはざまで、あたしは凍ったように立ち尽くした。


 一哉との関係のその先には、何だかとんでもないものが待っている気がする。


 つまらないけれど、それなりに平穏だった日常。


 それが音をたてて、変わってしまうような……。


(どうしよう……明日)


 一哉に会うために結局明日も会社に来るはめになる。


 それこそが、アイツの狙いなんじゃないかって気がする。


 こうなったら、派遣会社には『辞める』で通して、二度とここには来ない方がいいのかもしれない。


 そう思うのに、なぜか胸の奥のモヤモヤした気持ちが拭えない。


 どうして?


 自分自身に問いかけるけれど、返ってくる答えはなかった。


 ただ頭に浮かぶのは、自信ありげに唇の端を上げて笑う一哉の笑顔。


 アイツはいつも、その揺るぎない自信に満ちた目であたしを見て、強引な態度であたしを振り回す。


 あたしが迷惑がってようが何だろうが、おかまいなし。


 そうしてあたしを自分のペースに巻き込んで……静かだったあたしの世界を、壊していくんだ……。


「ホント……サイテー……」


 閉ざされたドアの前でポツリと咳いて。


 カタチの見えない感情に戸惑いながら、あたしはトボトボとその場を離れた。

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