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あやまちから始まる恋の罠  作者: アルケミスト


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「橋本さーんっ!

 Aルームにコーヒー3つ、至急よろしく!」


 お局のオバサン社員に大声で頼まれて、あたしは無言で席を立つ。


「ったく、それくらい自分でいれろっての」


 誰にも聞こえないような小声でボソっと呟いて、給湯室に歩き出すあたし。


 紺がベースの制服に合わせた、規定の型の白いブラウス。


 肌色に近いベージュのパンスト。


 ストレー卜のロングヘアは後ろでひとつにまとめ、黒いゴムでくくってる。


 派手さのカケラもない最低限のメイクに、細い茶色のフレームのメガネ。


 そんな外見のあたしは、まあようするに、完璧な地味子。


 可もなければ不可もない、いたって地味なOL。


 それが、あたし、橋本香。


 23歳で、美容関係の企業で働き始めて二年目の派遣社員。


 仕事は総務部の事務で、特に面白くもないことを毎日繰り返すだけの、つまらない仕事。


「お茶くみは女の仕事って……発想古すぎるし」


 給湯室に誰もいないのをいいことに、グチを言いながらコーヒーを用意し、上司が会議をしているAル-ムに入った。


「お待たせしました。

 お疲れ様です」


 当然上司の前では、静々とコーヒーを出して戻ってくるけど。


 ま、その辺りは心得てますから。


「あ、橋本さーん!

 ちょっとパワポで資料作るの助けてほしいんだけど、ダメェ?」


 給湯室にお盆を返して席に戻ろうとしたら、通りがかりに宣伝部の女子社員、原田さんに声をかけられた。


 部署っていっても部屋は分かれていなくて、広いフロアの中に島を分けて、いろんな部署の席がある。


 だからやってる仕事は違っても結局は全員の顔もわかるし、分業制も曖昧。


(はあ?

 宣伝部のくせに、ろくにパワポも使えないのか、アンタは)


 内心では思い切りあきれつつも、表のあたしは涼しい顔で頷いて、


「いいですよ。

 今、こっちは暇ですし。

 何作ってるんです?」


「ありがとー!

 ホラ、恵比寿に出す新店舗あるじゃん?

 あのタイアップ企業にプレゼンする資料なんだけど……」


「ああ、あれですか……」


 うちはエステを経営している会社。


 今のところは全国的にチェーン化してるほどじゃなく、関東圏でのみの事業展開だ。


 まだ主要都市に十店舗ほど店を構えているだけで、ここ本社の従業員も二百人くらいの中規模企業。


 けれど、安い料金設定と最近の『隠れ家』ブームで業績は順調、今年も現時点で決まっているだけでも三店舗、オープンの準備が進んでいる。


 恵比寿店はその先駆けとして、春にオープンが決まっている店舗だ。


 近い将来には全国進出も、もちろん視野に入っているらしい。


「おおっ、こんな方法あったんだ!

 ありがと橋本さん!

 橋本さん優秀だから、派遣にしとくの、マジもったいないわぁ」


「あはは……どうも」


(はあ……疲れる)


 原田さんに愛想笑いを返しながら、あたしは内心で特大のため息をついていた。


 まったく、会社って、なんでこんなにつまんないんだろ。


 というより、むしろ世の中なんでこんなにつまんないんだろ。





 全部が退屈。


 全部が窮屈。


 全部が空虚。


 あたしにとっては、息がつまるだけの毎日。


 この会社で働いてるからってわけでもない。


 いつからかなんて覚えてないけど、ずっと昔からそうだった。


 そう……学生の時だって、学校も家もあたしには何にも面白いことなんてなくて、つまんなくて、うわべの会話と愛想笑いでやり過ごすだけの場所だった。


 高校出ると同時にひとり暮らしを始めたから、今は自分の部屋が唯一の安らぎの場かな。


 部屋でひとりでいる時が、一番楽しくてラク。


 でも、ラクなだけじゃ、心の栄養はなかなか保てない。


(はあ、ムシャクシャする。

 今日は久々に、行ってみるか……)


 あたしは思いついて、携帯を持ったままトイレに移動した。


 個室でこっそり電話して、とある場所へと連絡を済ます。


 退屈な毎日を生き抜くためのエナジー。


 その補給ができるとっておきの方法を、あたしは数年前に見つけた。


 まあようするに、いいストレス解消法ってことなんだけど。


(久々に、行ってみよっかな……!)


 パタンと閉じた携帯を手に、あたしは小さな笑みをこぼした。





「大山様、ご来店ーっ!

 愛里さんルナさん、お願いしまーす!」


 ラウンジから戻ってきたボーイに名前を呼ばれて、近くのソファに座っていた子がふたり、席を立って出ていく。


 ふたり共セクシーなラインのドレスに身を包み、髪をゴージャスに盛り、バッチリメイクをして。


 うちの店で、わりと人気のある子達だ。


「大山様って○×大学の教授だっけ?」


 そうボーイに確認すると、彼は『ええ、そうですよ』と言いながら去っていった。


 ふーん、あの脂ぎったオジサンか。


 別にそれほど羽振りがよくない人だったような。


 サイドに流した髪をクルクルもてあそびながら、あたしはそのケチな教授の顔を思い出しつつ、あるお客のことを待っていた。


 もうすぐあたしに会いに来るその人は、某貿易会社の社長。


 ケチな大山サンとは違って、気前のいい、大金持ちだ。


「阿部様、ご来店です!

 珠奈さん、お願いしまぁす!」


 その声にゆったりとした動作で立ち上がるのは……そう、あたし。


 昼間は、どこの男も振り返りもしない地味なOL。


 だけどひとたびここに来れば、あたしは別人になる。


 銀座の一等地に店を構える高級クラブ、ウェヌス。


 お客様はそれなりの身分で、一流の人ばかり。


 ここでのあたしの名前は、珠奈。


 男達の熱い視線を笑顔でかわしながら、蝶のように軽やかに舞い、彼らにつかの間の夢を与える。


 ホステス、珠奈。


 それがあたしのもうひとつの顔。


「ハイハイ。

 そんなにせかさなくったって、別にあたしは、逃げも隠れもしないわよ」


 ドレスの裾を軽やかにひるがえしながら、あたしはシャンデリアの光が眩しいラウンジに、颯爽と足を踏み出した。


 あたしは会社で、コスメやファッションにキャーキャー騒ぐ女のコ達のくだらない会話に混ざるのなんてうんざり。


 周りと一緒でいたいとも思わない。


 それなら、周囲から興味を持たれないようにするのが一番だと思った。


 結果、あたしが見つけ出したのが、今のスタイル。


 毒にも薬にもならない、地味なOL。


 それが昼間の世界を生きていくのには、一番ラクだったから。


 そんなあたし、香が、珠奈という夜の顔を持つようになったのは、ほんの偶然。


 今の会社に入ったばかりの頃、仕事を終えて街を歩いていたら、知らない声があたしを呼び止めた。


 真後ろから声をかけたその男は、振り返ったあたしが華やかさのカケラもないメガネ女だとわかると、明らかにガッカリした顔で、


『どうも!

 銀座にあるウェヌスっていう店なんだけど。

 お店で働いてくれる素敵な女の子を探してたんだけど……キミはそーゆーのは、興味ないよねぇ?

 アハハ、ゴメンねえー!』


 もちろん興味なんて、これっぽっちもない。


 だけどその男の、あたしをバカにしたような目と声が、その日のあたしには無性に気にさわった。


 このスタイルでいる限り、男のこういう態度は慣れたもののはずだったんだけど、その日のあたしは仕事でうまくいかないことがあったりして、ちょっとムシャクシャしていたのかもしれない。


 引っ込めようとしていた男の手から名刺を引ったくると、あたしはそのまま何も言わずにその場を後にした。


 そして、次の日。


 あたしは自分にできる最上級の、変身をして、その店に面接に行ってやった。


 少し露出度の高い、体のラインが強調されるワンピースをまとって、普段は絶対にしない濃いメイクをして、髪をゆるく巻いて。


 もちろん、本気で働きたいなんて思ってない。


 ただ、あたしを見下したスカウトマンに、ひと泡吹かせてやりたかっただけ。


 面接担当のママは、とても素人とは思えない!


 ってベタ褒めしてくれて、あたしさえよければ、すぐにでも出勤してほしいつて言ってきた。


 でも、本当はここで、こっちから採用を蹴ってやるつもりだった。


 だからママには店の高級感についていけそうにない、とか適当に説明して、スカウトマンによろしく伝えてほしいと頼んで帰ろうと思った。


 だけどママがあんまり熱心に勧めるのと、自由出勤で来たい時だけ来ればいいっていう話に、あたしの気まぐれな心が動いたんだよね。


 結局あたしは、自由出勤のスタッフとして登録した。


 昼間のあたしはごく普通のOL。


 別にひとりで暮らしていくのに充分な収入はあるし、疲れている時にわざわざ夜まで働こうとも思わない。


 だけど、橋本香を知る人には思いもつかない別の顔を、あたしが持っている。


 そんな魅惑的な秘密が背中を押して、あたしは再び夜の銀座に足を運んだ。


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