僕は絶対に犯人ではない。けれど犯人だと疑われてしまうのも仕方のない状況であるのなら、それは結果として解決しなくてはならないのだろう。
部屋の中では、多くの人たちが忙しなく動いている。カメラのフラッシュが焚かれ、次々に怪しげなものが写し出されていく。その中の一つを、僕はこっそりと、隣の部屋から覗いて気持ちを暗くさせていた。
ソファーに大股を広げて座っている男の胸には、深々と立派なナイフが刺さっている。左胸だ。即死だろう。多分。あいにくただのフリーターである自分には、そのようなことが分かるわけもなく。ただ単にドラマで聞きかじったようなことを言っているだけだ。
そんな死体を検分する警察たちは、遺留品を隈無く探しているようである。必死さ故か、こうして覗いている自分にはなかなか気が付かないようだ。
これ幸いにと、僕はそっと向き直る。死体のある部屋と隣接したこの部屋には、四人の男女――僕を除いて三人が、それぞれ二人掛けのソファーと一人掛けのものに別れて座っている。
今回の事件――登場人物は、これらの五人だ。そして、ここからが非常に大事なことであるが、僕はその犯人を知っている。いや、知らざるを得なかったという他ないだろう。
犯人は――、そう。一人掛けのソファーに座る彼女だ。名前は、保科田かなこ。被害者と恋人関係にあったと語られる人物だ。
何故、僕は彼女が犯人だと知っているのか。何故、それを警察に言わないのか。それを簡潔に、たった一言で説明して完結させよう。
僕は――、彼女が好きだから! そんな彼女から珍しいナイフでしょ? 持ってみる? なんて言われ、ほいほい持ってみたりもしたもんだから、あの凶器のナイフには僕の指紋がベッタリとついているのだ!
そんな事実があるのだよ? 言えるわけがない。言ってどうなる。警察は当然、指紋を下に僕を疑うだろう。そのまま犯人だと断定するかもしれない。昨今の警察と言えば、何かと冤罪が話題にのぼる。僕はその、当事者となるかもしれないのだ。本当のことを言ったとして、それを信じてもらえる確証というものが、どこにあるというのか。
こうなってくると、僕が取れる行動はただ一つ。何としても、彼女の犯行というものを証明しなくてはならない。
警察は……、当てにはできないだろう。僕の中で警察と言えば、名探偵の噛ませ役、といったイメージしかない。そういうドラマや小説を好んで嗜んでいるのだから、その様なイメージからは、当分は脱却できないだろう。むしろ、ここは警察を出し抜けるチャンスなのではないか、と興奮していたりもする。
その想像から、顔がニヤけていないだろうか。ますます怪しさが増すだろうに。指紋を採取しているとき、僕はどんな顔をしていたのだろうか。まぁ、怪しさをしっかりと脳裡に刻み込んだと自信を持てる。
なんせ僕は犯人を知っているのだから、警察の動きを笑いながら見ることの出来る唯一の存在であると、そう解釈することも出来るのだ。ネタバレを食らってから鑑賞するミステリードラマほど、つまらないものはない。これは、正にそうだ。しかし僕は今、それを楽しんでいる。そして、このままだと地獄行きだ。
それを防ぐために、僕は彼女の罪を証明したい。そのためには――、話を事件の前へと戻そう。何故、このようなことになってしまったのか。そこに何かヒントがあると信じて。
※
始まりは、そう、僕がバイトをしているコンビニでの出会いだった。
ここで出会ったのが、彼女であったのなら、僕はすんなり恋に落ちて、そのまま本能の赴くままにアタックしたことだろう。しかし、今回の出会いは彼女ではない。
出会ったのは――、被害者である男、田中前ひでなり、である。
操作の一部がセルフになったレジに悪戦苦闘をしていた彼に対し、懇切丁寧に説明したことに気を良くしたのか、常連となり、世間話をする仲になっていた。
歳はだいぶ離れている。僕は二十四歳で、専門学校を卒業して、好きなことをしながらバイトに明け暮れている。対照的に彼は成功者であり、大きな会社の社長なのだと誇らしげに語っていた。コンビニの親会社の社長だった。
ふへ、ふへへ。子会社のコンビニのレジの操作もできねーのかよ! なんて、当初は心の内で笑っていたりもしたが、会話を重ねていくごとに楽しんでいる自分もいて、仲はかなり深いものだったと思う。
彼はキャバクラに頻繁に通い、女の子と喋るのが大好きだと言っていた。たまに誘われることもあったのだが、自慢ではないが、僕は女性関係においてはかなりの潔癖だ。清い関係を心がけたい。結婚し、共に墓へと入る人としか関係を持ちたくないと思っている。
その考えは、今の時代に合っているのだろうか、と悩むこともあるが、そうした自分を誇りに思うこともある。これが僕の一本槍なのだから!
というのが持ちネタで、それが彼に受けて、更に気に入られることとなった。
おそらく、それがきっかけなのだろう。こんな頑固な僕ならば、余計な手は出すまい。そう考えたのだろう。数日後、彼女を紹介されたのだ。
彼女は二十歳。彼が贔屓にしているキャバクラで働いていて、話が合うからとプライベートでも良く会うようになったという。
そんな話を聞きながらも、僕は彼女に夢中であった。ピンときたのだ。それ以外に理由はない。きっと、これが恋というものなのだろう。もしかしたら、僕にもチャンスがあるかもしれない。そう思い、二人の共通点が気になった。
どんな話が合うかと言えば、アイスクリームのことにである。彼も彼女も大好きで、彼がコンビニを子会社に持っているのも、アイスクリームにこだわった店を持ちたいとの野望を叶えるためでもあった。それを買いに来ていたのだから、筋金入りだろう。
彼女は将来的に、アイスクリームの店を開きたいと願っていたため、彼はその願いを叶えるためのパトロンであったのだと、今ではそう感じている。
そして、彼は特別なアイスクリームを入手したから、家へ食べに来ないか、と僕を誘ってくれたのだ。アイスクリーム好きの彼が言う特別なアイスクリーム、そこに興味を惹かれた僕は、その誘いを受け、この家を訪れた。同じように招かれていた彼女とばったり遭遇し、ナイフを握らされ、二人で部屋で待っていた。
その時、空気を引き裂くかのような、わざとらしい叫び声が響き渡ったのだ。
※
あれ、ちょっと待とうか。再び時は戻ったのだが、さっぱり分からないぞ。だって、僕は確かに、彼女と共にこの部屋に居た。殺人が起こったのは、隣の部屋だ。
部屋を見回して確認する。この部屋は玄関からまっすぐ伸びる廊下に面していて、件の部屋はその直角の方向にある。一枚のドアで区切られていて、他の入り口は存在しない。
そうだ、あの声の後、その唯一のドアからこの男女が現れた。いま、二人掛けのソファーに座っている二人だ。名前は知らないのだが、尋ねる雰囲気でもない気がして、なかなか話しかけられない。ふたりは身を寄せ合って俯いている。
動揺していたのだろうか。明らかにおかしいではないか。彼女はずっとここに居たのだから、あのナイフで犯行に及ぶことは出来ないはずだ。ならば、彼女は今も、あのナイフを持っている?
……ここは、勇気を出す場面だろうか。
「ねぇ、あのナイフって、まだ持ってます?」
そっと横に立ち、耳打ちをする。
頷いた。
では、あの二人の内のどちらかが犯人だということなのだろうか。
「お待たせしました」
刑事が入ってきた。ロマンスグレーの髪からは渋さを感じるが、どこか笑みが優しげで好感が持てる。
「主にお伺いしたいのは、あの部屋に居た、お二人ですね。パーティーグッズ、といえば良いんですかね。刺すと柄の方へ引っ込む玩具のナイフがあるでしょう? あれが、傷口にあてがわれていたのですな。あれは、なんなのでしょうか。そして、殺害に使われたナイフは何処へ行ったのか」
僕は、ドキリとした。そして、彼女の顔を見る。
「そもそも、お二人は何者ですかな?」
そして二人の顔を見る。
「ほんの、ほんの出来心だったのです! 窓から侵入して、物色をしてきたら、あの様なことに気がついて、思わず叫んで、腰が抜けて――」
「こ、こいつは悪くない、悪くないんだ! この家には今、誰も居ないって。それに普段から窓に鍵をかけていないって噂を聞いて、盗みに入ろう、なんて持ちかけたから……」
二人は、泥棒だったのか。どうりで、部屋から急に現れたはずだ。
「その時、既に彼は亡くなっていたのですね?」
「は、はい」
男がそう答えた。すると、つまり、僕がこの家にやってくる前に、彼女が犯行を済ませ、やって来た僕に凶器であるナイフを握らせて指紋を付着させた。そうして次なる行動に移る前に、遺体が発見されてしまった、ということなのか?
「では、犯人はあなた達で間違いないようですね。コンビニ経営者である、国枝岬はるきちさんに、ヨシラさん。田中前さんのスケジュール帳に、あなた達と会う予定が書かれていました。恨みつらみも書かれてきましたよ。あんなレジを導入しやがって、ってね」
……え、バイト先の社長だったの!? 初めて顔を見たんだけど。初めて、だよね? え、今さらだけど、社長の顔を見たことがないっておかしくないか?
「いや、ちょ、待ってくれよ! え、なに、保科田さん、なんであんなナイフを持っていたの? 物騒だよ?」
「あれは玩具ですから、物騒ではありません。社長さんも持っていらしたし」
「いや、そういうことではなく」
「私、ある性癖がありまして。その、言いにくいのですが、私、好きな人の指紋を付けた玩具のナイフの刃を、自分に突き立てるのが大好きで、興奮してしまうのです。あぁ、あの人にナイフを突き立てられているんだ、なんて思うと、なんだか、凄く……、興奮してしまって」
「えっと……?」
「そんな私は、嫌いですか?」
僕たちは、刑事に不審な目で見られながらも、究極の選択を突きつけられていた。それはきっと、ナイフよりも鋭いもので……。
「これ、なんて答えたらいいんでしょう?」
「知らん。勝手にやってくれ」
市民を守るはずの刑事に見放され、僕はもう、首を振るしかなかったのである。
※
後日、刑事から連絡が届いた。
田中前は、あのコンビニを利用してアイスクリームと称した怪しげな薬を売りさばいていたそうで、バイトしていた関係から何か詳しい話を知らないか、とのことだった。
もちろん、知っているようなことは何一つない。おそらく僕は、普通の経営をしているのだと装うための、一種のカモフラージュだったのだろう。そして、社長と不仲になった田中前は、代わりの人材として僕に目を付けた。それに反発した社長は、あの日、僕があの家を訪れると聞いて犯行に及んだ。僕に罪を被せるために。きっと、そんな落ちだ。
そしてそんな落ちだからこそ、……仕事がなくなった。流石に居心地が悪かったし、新たの経営者が見せる窺うような視線に耐えられなかったからでもある。
「アイスクリーム、美味しいですね」
「うん。このフレーバーは当たり。奇抜だと思ったんだけどなぁ」
「味わいは、食べてみないと分からないんですよ」
とまぁ、普通は落ち込むところなのだが、捨てる神あれば拾う神あり、とでも言えばいいのか。通じ合った思いを喜べばいいのか、どうなのか。不安を抱えつつも、彼女の家に転がり込むことができたのは、僥倖としか言えないだろう。
風呂上がりにのんびりと、彼女とアイスクリームの話をするくらいには、僕たちの関係性は進んでいる。その日々は、素直に楽しいと思っている。とにかくまぁ、普通にアイスクリームが好きな女の子で助かった。今回の一件は、それに尽きる。
普通……、普通?