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第7話 人はパンのみにて生きるにあらずとは言えど

 総会から一週間後。俺より一足先に商工ギルドを出たニサンは、不機嫌を隠そうともせず大通りをのしのしと歩いて行く。


「おい、ちょっと待てよ……!」


 声をかけても振り返りもしない。俺は慌ててその小さな背中を追いかけながら言った。


「そう怒るなって。商工ギルドのやつらも商売だからな」


 くるっと振り返ったかと思うと、ぎゃーっとまくしたてる。


「とんだ罰当たりどもですわ! 神聖なる星導教会の土地がたった金貨800枚だなんて……!」


「土地の査定額ってわけじゃない。土地を担保に融資できる金額が800枚ってだけだ」


 ――町の中心部とはいえ、星導教会は大通りからすこし外れた場所にある。その土地の時価総額は恐らく金貨1000枚ほどだろう。その8割を融資してくれるのだから、けっして悪い話ではない。


「金貨が800枚あれば、取引所に必要な設備が全てそろう。いまはリスクを取るべきだ」


 そう強く言うと、通行人たちをかき分けるように進んでいたニサンが不意に足を止める。


 話を聞く気になったのかと、俺は言葉を重ねた。


「取引所が軌道に乗れば、多額の手数料が俺たちの手元の転がり込むようになる。そうなればお前は布教活動に専念できるし、孤児院だって……」


 歩道の真ん中で立ち尽くす聖女に、なんだなんだと視線を向ける通行人たち。その雑踏の中で、ニサンは小さな顔を弱々しく持ち上げた。


「でも――もし、上手くいかなかったらどうしますの?」


 ……彼女の言う通りだ。物事に絶対はない。それがビジネスや投資となれば、なおさら――。


「……無理にとは言わない」


 金を出すのはニサンだ。もし彼女がだめだと言えば仕方ない。そう思い始めたときだった。


「あれ? 何してんの人の店の前で……?」


 気が付けばすぐそばの店からフィロが顔を出している。もうそんなところまで歩いてきたのかと店を見上げると――おかしなことにそこにあったはずの看板がない。


 まさかと店内を見てみると、商品はもちろん、棚すらもなくなってがらんとしていた。


「お、お前、店はどうしたんだ……!?」


 フィロは自分の店を振り返り、からからと笑った。


「すっきりしたでしょ。もう明後日には私の店じゃなくなるんだ」


 ――ってことは。


「畳んじまったのか。……でも、急にどうして?」


 俺がそう尋ねると、フィロは店の中に声をかける。


「おーい! ちょっと来て~!」


「はぁい。何ですか……?」


 ほうきを片手にやって来た娘を見た俺とニサンは、思わず同じ言葉をつぶやいた。


「パン屋の……!」


 総会に株主として参加した、あのパン屋の娘だ。


 俺たちにぺこりとお辞儀して、上品に自己紹介をする。


「お世話になっております。ソフィと申します」


 まだ18かそこらに見えるのに、ずいぶんと落ち着いた所作だ。俺はソフィとフィロを交互に見やりながらたずねた。


「えっと、なんでソフィがフィロの店の手伝いを?」


 にこりとほほ笑んでそれに応えるソフィ。


「このたび、フィロさんと共同で商会を立ち上げることになりまして……」


 驚く俺に、フィロがにいっと白い歯を見せる。


「そーゆうこと。商会って言っても、私とソフィしかいないんだけどね」


 ふふっとフィロに笑いかけるソフィ。総会のときには初対面だったはずなのに、もう仲良くなっているようだ。


「へぇ……! どんな商売なんだ?」


 どう説明するか悩むように斜め上をみながら、聞き返してくるフィロ。


「こんど販売するS級冒険者のトークンって、ものすごく高い値段になるんでしょ?」


「まぁそうだな。1個あたり金貨10枚ぐらいで調整中だ」


 つまりは1トークンあたり、日本円で最低でも25万円はする計算になる。


「それだとなかなか手出ししにくいよね。でもそれでも買いたいっていう人たちもいるって私は思うんだ」


 俺は思わず口を半開きにする。


「まさか――そういう人たちから資金を集めて、トークンを買って運用するつもりなのか……!?」


 俺が言い当てるとは思ってなかったようで、ソフィが驚いたように声を弾ませる。


「すごい……! どうして分かったんですか……!」


「すごいのはお前らだろ。よくもまぁ、この段階でファンドの立ち上げを思いついたな……?」


 ファンド? と首をかしげるニサン。


「投資信託のことだ」


「投資……神託?」


 なんだその神頼みの投資は。


 頭の上に疑問符を浮かべている聖女さまのために、かみ砕いて説明する。


「例えば、みんなから金貨1枚ずつ集めて、それで金貨10枚のトークンを買う。利益が出たら、持ち分に応じて分けるって感じだな」


「なるほど……」


 俺の話を聞いていたフィロが目を輝かせながら「ファンド」とつぶやく。


「かっこいいじゃん……! フィロとソフィだから……商会の名前は『|フィロソフィ・ファンド《FSF》』にしようか」


「ええーっ! フィロさん、センスありすぎです……!」


 きゃっきゃと盛り上がる若き起業家たち。そのテンションと若さにつられてつい笑顔になった、そのときだった。


「――背負うものがない人たちはお気楽でいいですわね」


 ニサンは冷めた目つきでそうつぶやくと、薄汚れた法衣をひるがえして背を向ける。


「ニサン……?」


 フィロの心配そうな声を背中で聞きつつ、俺はすたすたと去っていくニサンを追いかけた。





 西日に染まった川沿いの道に、俺とニサンの長い影が落ちている。


 あてもなくただ黙々と歩くニサンの後を、ただついて行くこと1時間。気が付けば、そろそろ日も暮れようかという時間になってしまった。


「……あなたもとんだ暇人ですわね」


 先に根負けしたのはニサンだった。


「投資家ってのは、待つのも仕事のうちだからな」


 ニサンは俺の軽口に1時間ぶりの笑顔を見せると、ふいに土手の斜面に腰をおろした。俺もその隣に腰を下ろして、ぼんやりと浅瀬を眺める。


 あくびをひとつ漏らしたとき、河川敷から声。ニサンと同い年くらいの子供たちが、石を投げて水切りをしていた。


 ふと、気になってニサンにたずねてみる。


「なぁ、そういえばお前って何歳なんだ……?」


 少しためらうような間があった。


「……今年で19になりますわ」


 思わず変な声が出そうになる。ちらっと横目で見てみるが、いいところ14かそこらといった外見だ。


 そんな俺の胸の内を見透かしたように、ニサンはため息交じりに言った。


「――私は孤児でしたの。見た目が子供のままなのは、先代の聖女さまに拾われるまでろくに食べていなかったせいですわ」


 さらっと明かされた過去に、少なからず衝撃を受ける俺。


「そ、そんなことがあるんだな……。思いもよらなかった」


 どう言っていいかわからずに口ごもると、ニサンは驚いたように俺の顔をのぞき込んでくる。


「ウォーレンさんのいた世界には、孤児がいないのかしら?」


 吸い込まれそうな青い瞳に曖昧にうなずき返す。


「いたけど、俺の国では子供が腹を空かせるようなことは滅多になかった。生存権って言って、生きることが保証されていたからな」


「生存権……!? じゃあ、何かあったら国が助けてくれるってことですの!?」


「まぁそうだな。病気になって働けなくなったりしても、生活できるだけの金は支給されるし、治療費もタダになる」


 ニサンは心底おどろいた様子で、ため息交じりに言った。


「まるで楽園ですわね……」


 しかし、ニサンはそれで納得するほど能天気な聖女さまじゃない。鼻息がかかるくらい、ずいっと乗り出してくる。


「――でも、その保証制度は、どうやって維持されているのでして?」


 いいところを突いてくるなぁと思いながら、俺は簡単に説明する。


「金持ちから多く税を取り立てて、それを困窮者に回す。富の再分配と言うやつだな」


 まぁ……その税制のせいで、俺は全てを失ったわけだが。


「富の再分配……」


「ああ。でも完全に機能していたわけじゃない。金持ちはどんどん金持ちになるし、大体の貧乏人は貧乏なままだ」


「ど、どうして……? お金のない人たちには補助があるのでは?」


「“生きていける程度”の補助だ。商売を始めたり、何かを習って手に職をつけられるような――そんな未来につながる金額じゃない」


 その言葉に、ニサンはしばし黙り込む。そして、ふと川の向こう岸に視線を向けた。


 ――そこにあるのは、星導教会に併設された孤児院のぼろ屋根だ。


「あの子たちにも、未来を選ぶ自由があればいいのに」


「……え?」


「お祈りとお説教だけでは、腹はふくれませんわ。聖女として私は――あの子たちに“明日”を与えたい」


 ニサンは近くに落ちていた小石を、みごとなサイドスローで川へと投げる。しかしその小柄な体ではそれが限界だったのか、あと一歩届かない。


「先代の聖女さまからこんなことを聞きましたわ。――まだ聖女さまがお若かったころ、とある貧しい村に一握りの豆を授けたそうです」


「その量だと、足しにしてくれってわけじゃなさそうだな。ってことは……」


 少し考えるとすぐに答えが見つかった。


「そうか。育てろってことか」


 ニサンは俺の答えに満足げにうなずいた。


「そうですわ。――けれど、聖女さまが1年後に訪れたときも、村は貧しいままだった」


「……干ばつでもあったのか?」


 残念そうに首をふるニサン。


「どうして豆を育てなかったのかと聖女さまが聞くと、村の人は『育てかたがわからずに食べてしまった』と……」


 ありそうな話だ。俺はすこしやるせない気持ちで言った。


「なるほどな……。豆よりさきに教育が必要だったわけか」


 そう綺麗にまとめたつもりだったのだが、ニサンは少しつらそうな顔で首を振った。


「でも、それも違いますわ。教育よりもさきに必要なのは“余裕”ですのよ。――つまりは、お金ですわ」


「……余裕、か。教育があっても腹が減ってちゃ何も頭に入らないってことだな」


 俺は思わずニサンの姿を眺める。とても19歳とは思えない体だ。どれだけひもじい思いをしてきたのだろう……。


「そうですわ。空腹の子に本を渡しても、字を追うどころじゃありませんもの」


「しかし、その金を貧乏人が稼ぐには教育が必要だろ? 堂々巡りだ」


 ニサンはしばらく何かを考えていたようだったが、しばらくすると急に立ち上がって、また石ころを拾った。


 ――今度はオーバースローだ。鋭く踏み込み、全身を使って小石を川に投げ込む。


「おお……! やるじゃねぇか……!」


 広がり続ける大きな波紋を見つめながら、ニサンは宣言するように言う。


「――決めましたわ。土地を担保にお金を借りましょう」


 俺は驚いて夕日に染まった聖女を見上げる。


「……いいのか?」


「ええ。――私、気が尽きましてよ」


 えっへんと無い胸を張る聖女さま。


「貧しきものたちにこそ、取引所が必要なのですわ」


「ど、どういうことだよ……。困窮者にトークンを買う余裕なんてないだろ?」


 ニサンは「ふふん!」と高飛車に腕を組む。


「――ファンドでしてよ。困窮者向けのファンドを優遇する仕組みを作ればよくってよ!」

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