第1話 金を掘るな、ツルハシを売れ
――目の前に聖女さまがいた。サファイアみたいな澄んだ瞳に、ふわっと波打つ金色の髪。きめ細かなお肌はまさに白磁だ。
そしてそんな聖女さまは――なぜかひざまずき、きらきらとした瞳で俺を見上げている。
「賢者さま……! 私の召喚に応えていただけたのですね……!?」
――えーっと、これは“あれ”か? いわゆるひとつの異世界召喚とかいう……?
俺は辺りを見渡す。
そこは大学の講堂くらいの広さの石造の空間だった。高い天井の下には簡素なベンチが並んでいて、奥には祭壇っぽい何かがある。教会の聖堂……だろうか?
なんとか状況を呑み込もうとしていると、聖女さまがすっと立ち上がる。……思ったよりも小さい。たぶん140㎝くらいだろう。
「賢者さま、こちらを……!」
そんな中学生くらいのちびっこ聖女さまが、何かを差し出してくる。ファンタジー風味満点の、大きな宝石がはめ込まれた鍵だ。
「これは……?」
「先代の聖女さまが遺された“ダンジョンの鍵”になります」
「ダンジョンって……モンスターがいて、宝箱があるような……?」
わざとらしくうなずく聖女。
「さすが賢者さま……! そのとおりでございますわ! その鍵を使って、ダンジョンから財宝を持ち帰っていただきたいのです……!」
――いやいやいや! 俺はまごうことなき一般人だ。賢者なんて呼ばれるような立派な人物じゃない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」
たしか、俺は日銭稼ぎのためにタ●ミーの現場に向かっていた途中だったはず。電車に乗って、20分は仮眠できるなと目を閉じたはずだ。
――そして、目を覚ましたらなぜかここにいた。
「な、なぁ……。あんたは誰で、俺はどうしてここにいるんだ……?」
聖女さまは「ふふん!」と小生意気に鼻を鳴らして、胸を張った。とはいえ、胸自体はちっとも張ってないのだけれど。
「私は星導教会の聖女ニサン。賢者さまがここにおられるのは、何を隠そう私が召喚したからですわ!」
「……はぁ。それで、ニサンさまはなんで俺なんかを?」
聖女さまはつま先で床をぐりぐりとしながら、ためらいがちに言う。
「それが……お恥ずかしながら、先代の聖女さまが亡くなってからというもの、教団は経営難に陥っておりまして……」
たしかに聖女さまのお召し物はずいぶんと古びていた。ぼろぼろの白いローブに緑のストール。あちこちにある銀の刺繍はどこかで見たような……。
ああ、某車メーカーのロゴだこれ。プレアデス星団のやつ。
「俺にダンジョンを攻略させて、一山当てようと考えたわけか……」
「はい……賢者さまにはご迷惑をおかけしますが、背に腹は代えられず……」
まあ、気持ちはわかる。わらにもすがるってやつだ。
でも――
「……残念ながら、ニサンさまはちょっとした致命的ミスをしたみたいだな」
「え……?」
俺は頬をぽりぽりとしながら苦笑混じりに告げる。
「俺、ただの人間なんだよ。――というか、どちらかというと平均以下かも。無職のフリーターだし」
「……はい?」
「日払いのバイトで生活費を稼いで、スマホをぽちぽちしながら“人生詰んだな”とかつぶやいてる、そこらの負け組だよ」
ちょっと前までは総資産10億円越えのトレーダーだったのだけれど、それを言っても仕方がない。
「そ、そんな……!?」
がっくりとうなだれるニサン。しかし――
「いえ……そんなはずありませんわ! 私はたしかに“この窮地を乗り越えられる者”を召喚したのですからっ……!」
いきなり顔を上げ、ぐっと拳を握る聖女さま。
え、おい、まさか――!?
「――失礼ッ!!」
あばらがきしむようなストレートだった。
「うぼぁっ!?」
召喚された直後に聖女に腹パンされるなんて、俺が世界初なんじゃないだろうか。
いや、そもそも異世界召喚がポピュラーなのも、奇妙な話なのだが。
地面に崩れ落ちそうになりながら、なんとか声を絞り出す。
「ううっ……。ぼ、暴力反対……」
よっぽど酷い顔をしていたらしい。聖女さまはさっと青ざめる。
「ああっ……! なんてひどい……!」
……うん、お前がな?
非難がましく見ると、聖女さまはやっと気づいてくれたようだった。
「まさか本当に、ただの人間……!?」
「英検3級しか持ってない俺が賢者を名乗るとか、おこがましいにもほどがあるだろ」
俺の冗談を無視して、殴られたのは私だと言いたげな顔で膝をつくニサン。
「……先代さまが遺してくれた、とっておきの聖金貨を召喚の代価にしましたのに……! ああ、私はなんてことを……!」
俺からすれば勝手に召喚されたわけだし、「しらねーよ」と一笑に伏してもいいだけれど、ちょっと聖女さまが可哀そうだ。
「えっと、聖女さまはつまり――お金に困っていらっしゃるわけだ?」
聖女さまは切り替え早く、俺をきりっと見上げる。
「そうですわ……! ぶっちゃけ、お金が稼げるのなら何だってかまいませんわ。――世の中、金、金ですのよ!」
いやぶっちゃけすぎでしょ。
俺は渡された鍵をしげしげと見ながらたずねる。
「ダンジョンってどこにあるんだ?」
入口を開くための鍵がこれなんだろうけれど。
「鍵を持って『転移』と言えば、ダンジョンに繋がりましてよ」
ものは試しと唱えてみる。
「――転移」
その瞬間、空間がぐにゃりと歪んだ。
え、なにこれ。目の前に黒い渦のようなものが現われたと思ったら、ダ●ソンもびっくりの吸引力で吸い込もうとしてくる。
――ま、待って待って!? なんか重力が……!?
空中クロールで必死に逃れようとする俺。そのとき、手からぽろりと鍵が落ちた。
しゃらんと響く、金属の音。
その瞬間――黒い渦は「興味失った」とでも言いたげに、しゅん……と蒸発する。
俺は尻もちをついたまま、息切れしながら吐くように言った。
「な、なんだ、今の……!?」
「……ダンジョンに繋がる転移の門ですけれど?」
きょとんとした顔で答える聖女さま。
――な、なるほど? 鍵というより“ゲート”って感じなのか……。
おそるおそる鍵を拾い上げた俺は、そこにはめ込まれた宝石を光にかざしながら言う。
「――聖女さまはなぞなぞは得意か?」
「そんなこと考えたこともありませんわ」
ニサンは訝し気な顔で俺をまじまじと見る。整った顔だなぁと軽く感動しながら、俺はとある逸話を口にした。
「――ある山で、大きな金鉱脈が見つかりました。多くの人が山へと金を掘りに行きましたが、いちばん儲けたのは誰でしょう?」
聖女さまは鼻から「ふんっ」と空気を噴き出しながら、薄ら笑いを浮かべる。
「馬鹿にしないでくださいまし。そんなの、最初に金を掘った人に決まっていますわ!」
「残念。正解は、つるはしを売った人です」
「……つるはし?」
「そう。掘った人じゃなくて、“掘る人に道具を売った人”が、いちばん儲けたんだ」
俺は鍵を指でくるりと回すと、ニサンさまに肩をすくめてみせた。
「なにもダンジョンを見つけたからって、自分で入らなくてもいい。“中に入る人”に道具を売ればいいんだ。たとえば――ダンジョンに入るために必要なこの鍵とかを」
ぱちぱちと碧眼が瞬く。
「で、でも、一回売ってしまえば、それで終わりではなくて?」
「それはそうだ。……だが、その前に、俺とお前に何ができるかの確認だ」
俺は「よっこらしょ」とうんこ座りして、チビ聖女と視線を同じくらいにする。
「お前は“聖女”なんだろ? だったら、“奇跡”みたいなもんが使えるんじゃねぇのか?」
とはいえ、金に困るくらいだ。どうせ大したことはできない――そう思っていたのだが。
「わ、私が授かった奇跡は、たったひとつだけですのよ……」
視線を逸らして、所在なげにもじもじとする聖女さま。
「上等じゃねぇか。俺なんかひとつも持ってねぇよ」
ニサンは俺の顔をまじまじと見て、ぷっと小さく吹き出した。俺は肩をすくめて話を続ける。
「で、その奇跡ってのは、どんなもんなんだ?」
「『聖別』ですわ。祈りで、物に“聖なる刻印”を刻めますの」
「へぇ……で、その刻印、どんな効果があるんだ?」
聖女はそっぽを向き、ふてくされた声で答えた。
「――別に、何も」
「は?」
「“これは神に祝福された本物です”っていう証明だけですの」
一瞬、時が止まった。
「そ、それって、役に立つのか……?」
「異教徒の聖女には、聖別した免罪符を売る輩もいるとか。聖別されたものは絶対に偽造されないので、いい金儲けになるのでしょうね」
なんかガッカリだけど――でも、使い道がないわけじゃなさそうだ。
「……偽造防止、か」
「――神の奇跡たる聖別は不可侵の印。そういうことですわね」
ふむ……。「鍵」と「聖別」、か。
俺は少し黙ってから、改めて訊いた。
「この鍵ってのは、ダンジョンに行くための魔法のアイテム、って認識で合ってるよな?」
「ええ。その通りですわ」
「合い鍵は作れないのか?」
俺が“つるはし”を量産しようとしていることに気づいたのだろう。ニサンはつまらなそうな顔で、ため息交じりに言った。
「技術的には可能ですわよ」
「ど、どうやるんだ!?」
思わず身を乗り出す俺に、ニサンは淡々と答える。
「町の付術師の店に持ち込むだけですわ。『鍵』に込められた“転移”の魔法を、適当な紙や小石に写せば、それが“合い鍵”になりますの」
低コストで複製できてしまうのか。思わずにやりとする俺だが、ニサンは深いため息をついた。
「もしかして、“合い鍵を売って一儲け”なんて考えていらして?」
「ああ。考えてるが……何か問題でも?」
「複製なんて誰にでもできますわ。すぐに偽物の偽物、さらにその偽物が、そこら中に出回ってしまいますわね」
――ま、まるでソフトウェアの違法コピーみたいだな。
だが、俺たちにはその偽物への対抗手段があるじゃないか。
俺が黙り込んだのを見て、ニサンは肩をすくめる。
「“馬鹿の考え休むに似たり”ですわね。あなたのような凡百が思いつくようなこと、既に多くの先人たちが通った道ですのよ」
……こ、こいつ……! 地味にいい性格してやがるな。
本性をチラ見せする生意気なちびっこに、鍵をぐっと突きつけてやる。
「この鍵の“合鍵”を作って、それに“聖別”を刻んだら、どうなる?」
「どうもなりませんわ。それ以上は――」
ぴたり、と口が止まった。リップもひいてないくせに赤い唇が、かすかに震えている。
俺はその反応を見逃さず、口元を歪めてにたりと笑った。
「……“聖別”した合い鍵なら、コピーを作れないんだな?」
「そ、その通りですわ……!」
よし。そうと決まれば善は急げだ。俺は聖女に手を差しだす。
「俺は村切 赤司だ、改めてよろしく」
ところが聖女さまは胡散臭そうな顔で俺を見る。
「なんですの、その名前……。その、この世界とは違う名前なのは分かりますわ。けれど、何ていうかすごく貧乏くさいというか……」
うるせーよ、だれが損切り(※1)の赤字じゃい。
「どうしろってんだ、本名だっての」
「も、もうすこしこの世界に合った名前がいいですわね……。例えばゲレゲレとかピエールとか……」
やべぇ名前を付けられる前に先手を打つ俺。
「ウォーレン・ソロスでどうだ」
ばったもん臭い名前(※2)だが、ニサンはお気に召したようだ。びっくりするくらい小さくてひんやりした手が、固く握りしめてくる。
「よろしくお願いしますわ。……一般人のウォーレンさん」
◇◆用語説明◆◇
※1:株式などで、購入時よりも値段が下がったとき、それ以上は損失が膨らまないように売って損を確定すること。
※2:ウォーレン・バフェットとジョージ・ソロス。どちらも株や金融商品の取引で大儲けしたすごい人。