95 『都合の良い未来』を進む
薄暗い宇宙船の中で、その白い男はひとりで嗤った。
「未来を、ねじ伏せたんですねェ、リリーゴールド……」
唇から低く甘ったるい声が零れ落ちた。
肩にかかる長い白髪を指先で払う。彼は長く白い指先で口元を覆うと、喉の奥で笑い声を上げた。
『未来改変』に気付けるのは、4次元存在のみ――“彼”の真っ白い瞳には、W軸改変の痕跡がしっかりと映っていた。
リリーゴールドが、捻じ曲げたのだ。4次元存在が、宇宙軍の手に落ちる未来を。
すっと目を閉じて、“彼”は宇宙軍の軍事機密ネットワークに侵入していく。途中で、AIカァシャの気配を感じたが無視をして、さらにネットワークの深層へ沈み込んだ。
そこで、求めていた『データの痕跡』を見つける。
改変前の世界でこれは、リリーゴールドとセトとネフェルスのDNA鑑定を記録したデータだった。
だが今は――そこには何もない。
ただ、失われた痕跡だけが透明なW軸の痕跡としてくすぶっていた。
“彼”は、自身の脳波をネットワークから引き抜く。
「4次元の存在データが『宇宙軍に渡らない世界線』という訳ですか。
……あァ、素晴らしい――宇宙軍は『魔法』を知らない。ただ恐れおののき、それ故に『魔法の兵器』を欲している……!」
この『未来改変』は、“彼”にとっても都合がいい。
この世界線の宇宙軍は、4次元の存在にまだ辿り着けていない。それは――4次元である自分自身が、交渉材料になることを意味していた。
“彼”は過去の世界で、元帥に『魔女の娘と接触したい』と声をかけていた。
だが、あの時は既に、リリーゴールドやクリスタルスカルたちが宇宙軍の研究材料としてその手に落ちていた。
その環境では、『あなたの知らない魔女の話を出来ます』と言って見せても、大した交渉材料にはならない。リリーゴールドを解剖していくうちに、多くのことがわかってしまうからだ。
だが、この世界線の宇宙軍は違う。彼らは『魔法』に辿り着けない!
“彼”は笑う。そうして――元帥の個人ネットワークに侵入し、メッセージを送る。
『魔女の娘に接触したい。叶えてくれるのなら――私が使う“魔法”を見せても構わない』
――と。
それから数日経って、リリーゴールドはイチヒと多くのやり取りをした。その中で今の未来が、どう選ばれた世界なのかを理解することが出来た。
リリーゴールドはアストライオスの艦長室に座りながら、モニターを操作していく。
パパパッとモニターが生きているかのように動いて、艦内の乗組員たちの様子を映し出してくれる。
モニターに、サフィールとネフェルスが連れ立って歩いている姿が映る。
――この未来では、サフィールは最初から少尉として銀葬先鋒隊の空母アストライオス部隊に正式配属されていた。
そして、彼と共に『人魚の為の街』惑星NA1025へオーパーツ回収作戦のために訪れた時、ネフェルスと出会ったのだ。
このオーパーツ回収作戦の総指揮は、リリーゴールドだった。この未来では、空母アストライオスは大隊預かりではあるものの、指揮権は艦長であるリリーゴールドに一任されていた。
もちろん、リリーゴールドが総指揮を執るなら『クリスタルスカル』をオーパーツとして本部に報告するわけがない。
クリスタルスカルが何なのか、リリーゴールドにはDNA鑑定をするまでもなく分かるのだから。
この世界の過去のリリーゴールド艦長の出した答えは、『オーパーツは無かった。あったのは、ガーディアンロボットのみで、そうと知らず破壊してしまったため、提出できる成果は何も無い』というものだった。
次にモニターは、セトと喧嘩しながら歩くイチヒを捉えていた。
この未来でのイチヒは、最初から中尉としてリリーゴールドの副官に正式配属されていた。
彼女の副官としての任務は――『リリーゴールドを監視し、掌握し、兵器としてコントロールすること』だった。理事長によって命令されたこの件は、過去の時から変わっていない。
そう、イチヒは過去と殆ど何も変化がなかったのだ。
強いて言うなら、“リリーを守るために理事長を欺く”決意をするだけじゃなく、『実際に欺いている』ことが微かな変化だった。
イチヒは、クリスタルスカルの件を宇宙軍本部ではなく理事長にだけ報告した。
ただしそれは――
4次元存在の遺体に宿る思念体ではなく、リリーゴールドにのみ従う自立型AIデバイスとして。
イチヒは、リリーゴールドのアイデンティティである『4次元』については一切漏らしていない。
リリーゴールドは、すっと目を閉じた。体がふわりと浮かんだ感覚がして――電脳世界で、空母アストライオスの操縦席に座る。
アストライオス! 出撃するよ!
リリーゴールドが呼びかければ、アストライオスの虹色のエネルギーが、シジギア古語で応える。
《艦長命令、受諾。空母アストライオスが起動します――》
船内に備え付けられた翻訳フィールドが、アストライオスの声をイチヒとサフィールにも分かるものへと変換し、届けていく。
イチヒはヘルメットを小脇に抱え、戦闘機へ向かう。
セトが、浮遊しながらその後を追って行く。
途中で合流したサフィールも、イチヒと揃いのヘルメットを被っていた。
2人は目配せし合って大きく頷く。
広いドックへ辿り着くと、イチヒとサフィールはそれぞれの戦闘機の中へと身を沈める。
ネフェルスも、サフィールの戦闘機の中に吸い込まれていく。
この戦闘機は、ただの宇宙軍の所持する戦闘機ではない。
5000年前セトが生み出した、完全武装ガーディアンロボットそのものだ。
巨大な人型ロボットの彼らは、比喩ではなく……精巧な変形機能をもって戦闘機となる。
セトがドックの中を素早く進む。
《発進用意――!!》
セトの号令で、ハッチが開いた。
その向こうに暗闇の中星々の瞬く広大な宇宙が広がっている。
宇宙軍養成学校卒業まで、残り半年。
それでも――学生の身でありながら、彼らは正式配属となった。
そして今、選び直されたこの未来で、彼らは“戦争”へと飛び込んでいく。
大遅刻すみません……!
そして、物語は最終局面へ。




