90 『3次元生命体』じゃありませんでした
《ねぇ、サフィール。ウチ……どうなっちゃうのかな》
頼りなげな少女の声がする。
サフィールはどうすることも出来なくて、ただクリスタルスカルのネフェルスを抱き締めた。
守りたい、そう強く思う。
――まぁ、ネフェルスはぼくらの“神様”だったわけだし、ぼくなんかよりずっと強いんだろうけど……
《……ありがとう、サフィール。優しいね……》
腕の中で涙に濡れた声がした。
ぼくは、彼女に泣いて欲しくない。
そこでサフィールは、ふと思い出した。
一緒に戦ってきた、イチヒとリリーゴールドの姿を。
イチヒは、いつだって伝説の『魔女の娘』を全力で守っていた。3次元のイチヒのほうが、きっと4次元のリリーゴールドより弱いのに。
それでも、イチヒはどんな怪我をしようと、どんな絶望的な状況でもリリーゴールドを守る。
……ああ、きっと今のぼくと同じ気持ちなんだ。
相手が強いか弱いか、そんなことじゃない。ただ、“彼女に笑ってて欲しい”、それだけだ。
「クリスタルスカルはおそらく、宇宙軍本部預かりとなるでしょうね。なんせ――“遺伝子の情報上、生命体ではない”との検査結果が出ていますから」
セルペンス中佐が、本部から送られてきたデータをタブレットモニターで確認しながら告げる。
さっきそのデータは、サフィールも直接見ていた。
そこには、遺伝子配列は人類に酷似。しかし、遺伝子データに生命体の反応なし。と書いてあったのだから。
ちら、と横に集まっているイチヒ立ちに視線を向ける。案の定、あちらのクリスタルスカル……セトが喚き散らしていた。
《セトは生命体であるッ! 何だこのふざけた結果は!》
「落ち着けって! そりゃ、3次元の施設での検査は、『3次元生命体かどうか』しか調べられないに決まってんだろ!」
イチヒがセトを両手で鷲づかんでいた。セトは、今にも飛び出して行きそうだった。
「あーあ……原子を同じに練り上げてても『遺伝子データ』までは真似できてないのかあ……
4次元データは3次元からは見えないしなあ……てか、遺伝子データってなに?
……それ、演算やばそう……ヒェ」
リリーゴールドは腕を組みながら、ぶつぶつとひとりで呟いている。サフィールには、なんの事かさっぱり分からなかったが。
銀葬先鋒隊大隊は全員で、宇宙軍本部のある惑星セントゥリオンに来ていた。
そして先日行った、クリスタルスカルたちとリリーゴールドの、DNA鑑定結果が届いたところだった。
サフィールは、ネフェルスを抱きかかえたまま、隣に立つセルペンス中佐に声をかける。
「――セルペンス中佐。リリーゴールドはどうなるんですか? 彼女は――どう見たって人類でしょう!」
「残念ですが。
――データはそうは言っていません」
セルペンス中佐は、ひんやりとした冷静な声で告げた。いつもは頼もしいその落ち着き払った声が、今は酷く冷徹に響く。
「ふっざけんなッ……!! リリーを、……道具だとでも言うのかよ……ッ!!」
その時、イチヒがセトを放り投げてセルペンス中佐の胸ぐらを掴む。
「ヴェラツカ少尉!! 落ち着け!!」
グラヴィアス大佐が、慌ててイチヒの両肩を掴んで中佐から引き離した。セトも心配そうに、ふわりと飛んできてイチヒの顔を覗き込む。
「……クソ……すみません」
「よい。気持ちは分かる……中佐だって、ズモルツァンド中尉のことを本気で『人類じゃない』と思ってるわけではない、それは分かるだろう?」
「……はい」
イチヒは、苦々しい顔で吐き捨てるように応えた。その両手がギュッと拳を握っている。
「……僕も、せっかく入学から見てきた大事な新兵が、こんな形で奪われるのは納得できませんよ」
セルペンス中佐の声も、心なしか冷静さを欠いて震えて聞こえる。
イチヒとリリーゴールドを見出してくれたのは、セルペンス中佐と、グラヴィアス大佐だった。
重たい空気が流れていた。
すると、自動扉が微かな稼働音と共に静かに開く。
「ズモルツァンド中尉、クリスタルスカルのお2人も。軍病院へ同行願います」
白衣をまとった数人を引連れた軍人が、すっと背筋を伸ばして現れる。
その階級章から見て、おそらく本部の少将だろう。
この場に、彼に反発できる階級の者は1人もいなかった。大佐と中佐が、緩慢な動作で敬礼して迎え入れる。
「いってきまあす」
リリーゴールドの気の抜けた声がして、彼女は浮いているクリスタルスカルたちを引き連れて、イチヒたちの目の前を通り過ぎていく。
その時、イチヒの脳内にリリーゴールドの声がねじ込まれてきた。
《ねぇ、イチヒ。せっかく『宇宙軍本部』に来たんだから――『魔女の天文時計』の本物を探してきて〜! 見てみたいんだあ、ママの時計!》
リリーゴールドの声が響いて、イチヒはバッと彼女を見る。リリーゴールドは、いつもみたいに子供っぽく笑っていた。ヒラヒラと手を振って、部屋を出ていく。
……は?! お前、自分の現状分かってんのか?!
最悪……これからモルモットにされるかもしれないんだぞ! 何物見遊山気分でいるんだよ……
《ねぇ、イチヒ。もしかしたら……『魔女の天文時計』であたしたちの運命が変えられるかもしれないの、だからおねがーい》
彼女が部屋を出てもイチヒの脳内には、リリーゴールドの声が届いていた。
……わかった。何か勝算があるんだな?
イチヒの問いかけに、返ってきたのはリリーゴールドがえへへ、と笑う声だけだった。




