79 ぼくだけが『ガーディアン』に襲われないようです
セルペンス中佐は、胸元の無線機を握りしめた。
その視線は、水面が鏡のように静まり返った外濠と、その奥に広がる廃墟の闇を交互にさまよう。
眉間に深い皺が刻まれ、普段の冷静沈着な表情にわずかな苦悩がにじんだ。
サフィールは、その様子を固唾を飲んで見守っていた。
……たぶん、大佐に連絡を取るべきなんだと思う。
でも、もし撤退命令が出たら――?
カヴァーレ少尉もモラレス軍曹も。ぼくを庇ってくれたクライ少尉を、置き去りにはしたくない!
「エレイオス訓練兵」
中佐の声はそれでも落ち着いていた。
だが、その奥に隠しきれない焦燥が感じられた。
「君の探査能力は素晴らしい。
ですが、状況は我々にとって極めて不利です。敵の数は不明瞭、水中の地形も不明。そして、我々はたった2人。このまま深部に進むのは、無謀としか言いようがないでしょう」
サフィールは、中佐の言葉に息を呑んだ。
自分たちが置かれた状況の厳しさを改めて突きつけられ、胃の奥がキリキリと悲鳴をあげ冷たくなっていく。
クライ少尉が引きずり込まれた瞬間の光景が脳裏に焼き付いて離れなかった。
ぼくは、彼女の顔さえ見れなかった……
咄嗟に、ぼくを庇ってくれたのに!
「……グラヴィアス大佐に状況を報告し、一時撤退を要請すべきでしょうか?」
サフィールは、震える声で尋ねた。
それが、最も現実的な選択肢だと分かっていた。でも。出来るならぼくはみんなを助けに行きたい。
中佐は、無線機を握る手に力を込めた。
「……いえ。この都市の奥に、我々の任務の核心があります。ここで引き返せば、これまでの犠牲が無駄になる可能性もある」
中佐のトカゲみたいな冷たい瞳に、強い光がひとすじ宿る。
それは任務への揺るぎない執念のようにも、あるいは失われた仲間への責任感のようにも見えた。
「だが、無闇に突入するわけにはいきません。
エレイオス訓練兵。君のエコロケーションは、水中の敵の位置を正確に捉えました。
奴らの動き、パターン、そして、もし可能ならば、捕らえられた隊員たちの痕跡を探ってほしい。出来ますね?」
サフィールは、ごくりと唾を飲み込んだ。
怖くないといえば嘘になる。
水中にいるガーディアンロボットが自分と同じ速度で泳ぎ、戦える存在なら水棲星人の自分だって勝てるか分からない。
でも、ぼくにしかできないことなんだ。
仲間たちの安否を確かめる唯一の手段が、この手にある。
「……はい!」
サフィールは意を決し、外濠の縁へとゆっくりと歩み寄った。
水面は相変わらず静かで、何もなかったかのように周囲の石造りの建物を映し出している。
それが変に不気味だった。
その鏡のような水面の下にあの銀色の影が潜んでいる――ふるふると首を振って、その考えを頭から追い出した。
サフィールは恐怖で震える手を抑えながら、水面に顔を近づける。
そして深く息を吸い込み、エコロケーションを放つ。
澄んだ音波が水中に広がり、跳ね返ってくる情報を脳内で解析する。
水中のガーディアンロボットは、確かに5体。彼らの位置は変わらず、外濠の下の方をゆっくりと漂っている。
だが――
サフィールは、自分を疑った。
超音波が、ロボットたちの体を捕捉して反響してもロボットたちは一切サフィールに意識を向けない。
彼らが、水棲星人を模しているなら、エコロケーションに気付かないはずはないのに。
まるで、自分がそこに存在しないかのように、奴らは何の反応も示さないのだ。
彼は恐る恐る、指先を水面に浸してみた。
ひんやりとした水が指を包む。
しかし、ロボットたちは微動だにしない。通常であれば異物を感知し、即座に反応するはずなのに。
――まさか?
サフィールはさらに一歩水に近づき、片足を水中に踏み入れた。足首まで水に浸かる。
それでも5体のガーディアンロボットは彼を攻撃しようとしなかった。
ただ無機質にその場を漂っているだけ。
サフィールは、空母アストライオスでのことを思い出していた。
あの時、“リリーゴールドだけが、ガーディアンロボットからいないものとして扱われて”はいなかったか?
そして、それは何を表していた?
「中佐……!」
サフィールは、驚きと困惑に満ちた声で叫んだ。
「ロボットたちが、ぼくを攻撃しません……! 何の反応もない……!」
「本当ですか?!」
セルペンス中佐は、その言葉に目を見開く。
彼の冷静な表情が初めて大きく揺らいでいた。
サフィールは、水に浸かった足をゆっくりと動かしてみる。
ロボットたちは、まるで彼が透明な存在であるかのように、その動きを完全に無視していた。
この遺跡の防御システムは、やっぱりぼくを攻撃対象として認識していない――?
その信じられない事実にサフィールは混乱しながらも、一筋の希望を見出した。
これがあの時のリリーゴールドと同じなら、ぼくだけがこの遺跡で安全に進める。
「分かりません……でも、ぼくは、奴らに襲われません! ぼくなら、この水の中を進めます!」
セルペンス中佐は沈黙した。
顎に手を当て何かを考え込むような顔で、俯いている。
たった2人。絶望的な状況。
しかし、唯一、安全に敵地へ潜入できる存在。
それはこの任務を続行する唯一の希望かもしれない。
中佐の声は先ほどまでの苦悩に代わり、新たな決意が宿っていた。
「君がこの任務の鍵のようです、エレイオス訓練兵。我々はこのまま進みます。
――君が我々の道を開いてください」




