74 空母アストライオスが古語しか話せない件
「行くよー!」
リリーゴールドは、傍らに佇むイチヒに目配せした。
イチヒも真剣な表情で頷く。
2人は、あの日電源を落とした『空母アストライオス』のエンジンルームにいた。
リリーゴールドが“艦長”だからなのか、アストライオスのエンジンが切れているからなのか、ここにたどり着くまでにガーディアンロボットに会うことはなかった。
防御迷路も展開されておらず、2人は真っ直ぐ地下に下る道を歩いてきた。
リリーゴールドが、そっとその白い指先を巨大なエンジンに添える。
白い金属におおわれた巨大なエンジンが、微かに震えた。
リリーゴールドの触れた場所から、虹色の光が生きているように文様を描きながら広がっていく。
そっと目を閉じる。
広がる虹色の光に、波長を合わせた――
虹色の波紋は、鼓動のように波打って広がっていった。まるで、アストライオスが巨大な生き物であるかのように。
視界が開けた。
リリーゴールドの脳内に、薄水色の電脳世界が広がる。電脳世界の真ん中に、巨大なエンジンがそびえていた。
そのエンジンには、現実世界には存在しなかった操作盤が現れている。そっと、操作盤に触れる。
世界が揺れた。
《データ確認中……“リリーゴールド・ズモルツァンド艦長”を確認。空母アストライオスが起動します》
シジギア古語で話す自動音声が、リリーゴールドを認める。
リリーゴールドの足元に、エンジンの動く微かな振動が伝わってくる。でもそのリズムは鼓動や、ドラムのように優しい音で響いていた。
リリーゴールドはすっと目を開ける。
現実世界のリリーゴールドの指先は、エンジンの白い金属壁に触れたままだった。
天井までそびえる白いエンジン全体に、明滅する虹色の文様が広がっている。
「アストライオスが、起きたみたい」
「しっかし、慣れねえな……こんな巨大エンジンにしちゃ、静かすぎる。タービンやピストンの機械音がないなんて頭が変になりそうだ」
イチヒが部屋中を見回して呟いた。
4次元エネルギーで動くアストライオスには、3次元の戦車や空母のような機械音もなければ蒸気もディーゼルの香りもない。
エンジンルームだというのに、あまりにも澄んだ空気が流れていた。
「じゃあイチヒ! もうアストライオスは起きたってことだし、探検に行こう!」
「は?」
リリーゴールドは、困惑するイチヒの手を取ってエンジンルームを出ていく。
部屋を出た先は、突然ダンジョンみたいな古い石造りの薄暗い廊下が広がっていた。壁に埋め込まれたセンサーライトが、パパパッと並んで灯っていく。
「なんだよ、探検って……」
「大佐が言ってたでしょ? アストライオスを制御しろって! まずは中身を知らないとね!」
2人の靴音が湿った廊下に響いていく。
すると、遺跡全体に響くような声が立ち昇ってきた。
「《“艦長”命令……受諾。探検モードに移行します……迷路の展開レベルは初級がよいですか? それとも超級がよいですか?》」
リリーゴールドの会話を聞いていたのか、アストライオスが返事をした。
でも相変わらず、その声はシジギア古語だった。
「うお?! なんか喋ってんぞ?! また全然なに言ってんのかわかんねえけど!」
イチヒが上を向いて叫んだ。
リリーゴールドがおでこに人差し指を当ててちょっと考えてから、アストライオスに話しかける。
「うーん、あたしは脳内で自動翻訳されるからいいけど……アストライオス! 宇宙共通語って喋れないの?」
「《……検索中……すみません。データベース内に『宇宙共通語』が存在しません。データを.ling形式でインプットして頂ければ会話が可能になります》」
「.lingって何〜?」
「《Linguistic Data Format データの事です》」
わかんないから質問したのに、さらにわかんない答えが返ってきた。
リリーゴールドは誤魔化すように笑う。
「えへへ……わかんないや……
イチヒ、.ling形式って何かわかる?」
「あー、AIに入れる追加ダウンロードコンテンツ言語版みたいなファイルのことだな。それが何だって?」
「それをインプットしたら、宇宙共通語で喋ってくれるんだって!」
「ああなるほどなー……っていうか、どうやんの?! コイツ、アップロードボタンとかあんの?!」
「えーっと、アストライオス! アップロードってどうやるの〜?」
アストライオスが答える。
「《電脳世界クラウドに、アップロードしてください》」
「あー……なるほどお……」
その言葉を聞いて、リリーゴールドは目を細めるとガックリとうなだれる。
これ、昔の艦長絶対、バリバリ4次元の人だあ……
まだ演算処理を始めてもいないのに、なんだか頭痛がする気がしてくる。
そう。4次元ではみんなの共通クラウドとして電脳世界がある。
誰かに伝えたいデータはみんな0と1の羅列にしてアップロードして保存しているのだ。口で話したり、何かに書き記すことなんてないのである。
この記憶や意志などを0と1に変換する作業を、4次元では演算処理と呼んでいた。
だが、リリーゴールドはめちゃくちゃ演算処理が苦手だった。
かつて訓練中に使った『表面張力の魔法』――分子同士の引力を書き換える演算処理でも、軍用ヘリをハイジャックした『ハッキングの魔法』――特定の指示系統を司るAIのプロトコルを書き換える演算処理でも、酷い頭痛に襲われていた。
「嫌だよお……頭痛くなるよお……」
そのなんとかってファイル形式はそもそも分かんないけど、分かったとしてそんな負荷のかかる演算絶対やりたくない!!
「おいおい、こっちはアストライオスの言葉がわかんないんだ。通訳してからガックリきてくれ」
イチヒの声がして、リリーゴールドは恨めしそうに隣を振り向いた。
「あたしがそのファイル形式にそったデータを一生懸命演算して、それをホログラム世界で渡して欲しいってさ……」
「いやごめん。聞いても何の話かわかんねえわ」
「うわあん」
リリーゴールドが大袈裟に泣いたふりをすると、イチヒがふと思いついた顔で言う。
「っていうか、軍の持ち物になったんだろ? 空母アストライオス。なら経費で翻訳フィールド買ってもらおうぜ」
「……!!! それだあ……!」




