70 スパイ映画見てるけど……お前の隣に本物のスパイいるよ
《ねぇ、イチヒ》
急に脳内にリリーゴールドの声が割り込んできて、思わずイチヒはびっくりして振り向いた。
リリーゴールドは相変わらず缶詰を抱えてもぐもぐと口を動かしている。
今日彼女が抱えているのは、『人口合成肉の干し肉』――チープなジャーキーだけど、イチヒもお気に入りの缶詰だった。
……なんだよ、びっくりさせんな。どうした?
このリリーゴールドの脳波通信も3度目だ。慣れたもので、イチヒは声に出さずに応える。
今は夕飯も終わって、イチヒの部屋で2人で地球の古い映画を見ているところだった。映画はもう殆ど話の山場をすぎていた。
スパイ同士だった夫婦がお互いの任務のために殺し合うことを命じられたが、任務よりふたりの絆を選び、組織に反旗を翻す――画面では派手な銃撃戦が繰り広げられていた。
《あのさ。イチヒもスパイだったじゃん》
イチヒは吹き出した。ゴホゴホとむせて咳き込む。
いやまあ、あってるんだけど!
というか、“だった”じゃなくて現在進行形だよ。
《あれ? そうだったの?!》
そうだよ。ただ――任務報告をサボってるだけだ。
理事長が直接コンタクトをとってこないのをいい事にな。
……全く。映画に感化されたのか?
《それもある! ただ、気になったの。理事長は、なんて言ってイチヒを従わせてたのかなって。だって、あのひとと知り合いじゃないよね?》
リリーゴールドはまだ画面から目をそらさない。口ももぐもぐと動いたままだ。映画には集中してるように見えた。
喋りたいけど干し肉も食いたいってか?
それとも、デリケートな話題だからイチヒの親に聞かれないように配慮してくれたんだろうか。
……『ご両親には長生きして欲しいだろう?』
そう、言われてるんだ。私にはそれが、脅しなのか本気なのか分からない……
《そっかあ……ねぇ、いつから理事長と話してないの?》
そう問われて、イチヒは真剣に考えた。
……確か、リリーが“太陽として覚醒”したことから話してないから――複合環境障害突破訓練の時から、だな。
こう考えるともう、2ヶ月は報告をしていない。
途端に、不自然すぎる気がしてくる。理事長の沈黙が、長すぎないか?
《ねえ、嫌な予感がする。
――本当に、ただの言葉の脅しなのかな?》
リリーゴールドの声に、イチヒは怯んだ。だが。
……気付いてないはずだ。
私からアクセスしない限り、理事長は私と接点がないからな。
イチヒと理事長を繋ぐものは、あの学習室のPCだけ。イチヒのことを、理事長から監視する方法は無い。
《ねえイチヒ。前、カァシャのこと“軍事機密AI”って言ってなかった? それって、理事長も使えるってことだよね》
どきり、とイチヒの鼓動が跳ねる。
で、でも、それだとおかしいだろ。カァシャが使えるなら、私を使わずにカァシャにリリーを監視させれば済む。
《あっ、それもそっかあ!》
リリーゴールドの明るい声が飛び込んでくる。
そこで会話は終わりなのか、リリーゴールドの次の言葉は返ってこなかった。
だが、イチヒの胸をざわめきが支配する。
もし、理事長がAIカァシャを使いこなせるのなら――?
イチヒの裏切りに気付いていてもおかしくない。
両親に、私が気付かないところで危険が及んでいるのか……?
イチヒはリリーゴールドの背中を見つめた。
いつの間にか映画は終わっていて、黒い画面のエンドロールが流れている。
すると、リリーゴールドがぱっと振り向いた。
「ね、マエステヴォーレさんを頼ってみない?」
「マエステヴォーレさんを?」
「うん。だってマエステヴォーレさんってすごーく強いから!」
マエステヴォーレは、イチヒの父の船に乗る鍛冶医師だ。彼の腕はとてもよく、つい先日まで軍病院の特別顧問をしていた。
だが、その彼が強い?
イチヒが不思議に思って黙っていると、リリーゴールドはにへと笑う。
「だってマエステヴォーレさんって、『鍛冶神話の鍛冶神』だもん」
「はぁあ?!」
思わず大きい声が出てしまった。
鍛冶神話なら、イチヒでも知っている。金属星人の故郷、メタルコアに伝わる神話だ。
かつて、直すすべのない朽ちゆく金属の身体だった金属星人に、金属を継ぎ足し、打ち直し命を鍛える修理手術を伝えた伝説のドワーフがいた。
ドワーフは長い髭を生やした小柄な男だった。彼は、魔法のハンマーと、魔法の炉で全ての金属に永い命を与える。
「たしかに、マエステヴォーレさんってやたら小柄だし長い髭だなとは思っていたけどな……!!」
だが、リリーが言うなら間違いない。
それに、この前提を知ってればマエステヴォーレとリリーゴールドが並んだ時の、おじいちゃんと孫みたいな親類感にも納得がいく。
マエステヴォーレは、イチヒの父と一緒に昨日からイチヒの家に泊まっている。
話すなら今がまたとないチャンスだった。
「そうだな……彼に両親のこと、頼んでおこう」
本当に両親に危険が及んだ時に彼が近くにいてくれれば、理事長も脅威ではなくなるだろう。
「うん! 善は急げ、だよ! すぐ話しかけよ!」
リリーゴールドは、イチヒの返答を聞くとすぐに目を閉じた。
ふわ、とその白い髪がかすかに宙に舞う。
脳波通信で話しかけてるんだろう。
――4次元って、便利だな……
イチヒの脳裏に、あの訓練で操縦席に座るホログラムの軍神じみたリリーゴールドの姿が浮かぶ。
だが、目の前で目を閉じるリリーゴールドは食べかけの缶詰を大事そうに抱えている。
……あの時はどこかに行っちゃいそうに見えた。
強くてかっこいいリリーよりも、ちょっと抜けてて食い意地の張ってるいつものリリーがいい。
イチヒはこっそり、彼女のもつ缶詰に手を伸ばす。
ひとつ摘んで口に入れた。
塩っ辛いばかりの、ほとんど肉の味がしないジャーキー。
その瞬間、リリーゴールドがぱち、と目を開けた。
「あっ、ねえ! イチヒ! 今食べたでしょー!」
すみません、61話が抜けておりまして、今日間に差し込みました……!
空母アストライオスのシーンです。よろしくお願いします……!




