67 『翻訳フィールド』と『惑星間ネットワークAI』
その日、イチヒはリリーゴールドと一緒に星間列車に揺られていた。
車窓に、真っ暗な宇宙と遠ざかっていくベガとアルタイル――2つの太陽が見える。
イチヒはぼんやりとそれを眺めていた。
地球を出たあの日から、もう半年が経っていた。あの日、イチヒはひとりでこの列車に乗った。
だが、今はもうひとりじゃない。
「ねぇ、イチヒ! お弁当、どっちが食べたい?」
リリーゴールドの声がして、イチヒは隣を振り返る。
彼女は真剣な眼差しで、机に並べた2つの弁当とにらめっこしている。
これはさっき、駅構内の土産物販売店で買ったものだ。
「……どっちが食べたいんだ?」
イチヒは苦笑する。全く、リリーゴールドと一緒にいたら感傷に浸る暇もない。
「えー! シジギア弁当も気になるし、ネレイダ弁当も気になるよお……うーん」
2人の座るボックス席には小さな机が備え付けられている。
リリーゴールドが、長距離列車に乗るのは初めてだとはしゃぐので、つい土産物販売店で弁当を買ってやったのだ。
小さな机には、『シジギア名物! 天然野菜と天然魚介のチーズ弁当』『ネレイダ特製! 天然海鮮丼』が並んでいる。
「じゃあ、半分こしよう」
「いいの?! やったあ!」
リリーゴールドがいそいそと包み紙を開ける。
その時、車内放送が流れた。
ポーン……
「《本列車は現在、惑星間航路に進入中です。翻訳フィールドを展開します。言語間の干渉は脳波信号を通じて緩和され、全乗客が自然な対話を可能とします》」
イチヒの耳にもすっかり馴染んだ宇宙共通語だが、やはり母語ではないからか、翻訳フィールドが直接脳内で意味の理解を助けてくれる。
耳に届いた音の意味をワンテンポかけて考えるより先に、頭に意味が湧いてくる……そんな不思議な感覚だった。
翻訳フィールド――脳波に直接信号を届けるこのシステムは、駅や空港、列車などの公共空間に限って展開され、そのエリア内ではどんな言語でも理解可能にする。
……そういえば、父さんも翻訳フィールドに助けられてるって言ってたっけ。
行商人の父は、宇宙共通語はペラペラだし、地球人の母と暮らしてることもあって地球語もだいたい話せる。でも、この宇宙には何百という言語がある。
その言語全てを理解するのは無理だし、相手が宇宙共通語を話せるとも限らない。そんな時、翻訳フィールドがあれば誰とでも意思疎通がはかれるのだ。
ふと気になって、隣に座るリリーゴールドに声をかけた。
「なぁ、リリー。リリーの母語って4次元の言葉なんだろ? 翻訳フィールドってどんなふうに聞こえてるんだ?」
「ほぇ? んー」
リリーゴールドは、シジギア弁当をもう食べているところだった。持ち上げていたフォークをぱくり、と口に入れてから考える素振りをする。
「前イチヒに脳内通信で話しかけたでしょ? あれと仕組みは同じだよ、翻訳フィールド」
「……ん? 待てよそれって……」
「うん。たぶん、誰かがあたしたち4次元の脳内通信の仕組みを研究して、翻訳フィールドを作ったんじゃないかなあ」
「おいマジかよ……知らないうちに、『魔法』の技術がこんな身近に浸透してたのか……」
イチヒが頭を抱えてうなだれる。
その時、フォンッという聞きなれた起動音がした。
「カァシャ。翻訳フィールドって誰が作ったの?」
『――音声認識中――完了。おかえりなさい、リリーゴールド。
翻訳フィールドについて説明します。
これはおよそ80年前、宇宙軍管轄の情報技術発展統括チームによって開発されました。
その後、宇宙軍の統括する全惑星に広まっています。
現在では、駅や星間列車、空港や宇宙船で広く使われています。
必要であれば、翻訳フィールドの仕組みや詳細な歴史についてもお伝えできます。どうしましょうか?』
「だってさ、イチヒ」
「まじか……やっぱこういうのってだいたい宇宙軍発祥なんだな」
「ねぇ、カァシャ。翻訳フィールドってあたしたち4次元の脳内通信と同じだよねえ?」
『はい、それは半分正解です。
翻訳フィールドは、4次元の基本的な意思疎通方法の脳内通信の仕組みを流用しています。
しかし3次元は、4次元のようにクラウド化した電脳世界にアクセスできません。
よって、脳波をデータとして蓄積せずにその場限りの意思疎通のサポートとして利用しています。
その他、何か知りたいことはありますか?』
「ううん、もう大丈夫。ありがとー!」
『はい。どういたしまして、リリーゴールド。
また何かお手伝いできることがあれば、何時でも声をかけてください』
そう言って、AIカァシャはふっとかき消えた。
何度見ても、隣の友人が気軽に軍事機密AIをただの検索エンジンみたいに使うのに慣れない。
それどころか、このAIが全宇宙ネットワークにアクセスできるバケモノAIだってことも、リリーゴールドを見てると忘れそうになる。
リリーゴールドはまるで家族にでも接するかのように、AIに接しているから。
「なんか気まずいよなぁ……AIカァシャに、私がリリーのスパイやってたのもバレてたしな……」
「うんー、でもカァシャは気にしないと思うよ。友人関係を通して、心の成長が見られて素晴らしいですって言ってた」
「あー……、たしかあんたのママが作った教育AIなんだっけ?」
イチヒは、以前リリーゴールドと話した内容を頭の隅から引っ張り出して訊く。
リリーゴールドが頷いた。
「そう! ママが、あたしが3次元に来た時の“第2のママ”として設計してたんだって!」
「もうそれも驚きだよ……私が習った教科書には『慈悲深い魔女が、この世界を離れる時残した人類を守るための置き土産。それが惑星間ネットワークAI3機である』って書いてあったぞ……」
「なんかさー、こっちで習う『魔女』のイメージってママのこと、ちゃんと理解してないんだよねー」
リリーゴールドは不服そうに口を尖らせる。
イチヒは困ったように笑うしか無かった。
そりゃそうだ。『魔女』はこの世界じゃ、神話の中に出てくる“神様”なんだから。
――たったひとりの娘を愛するような、そんな人間じみた存在なんかじゃない。
イチヒだって、リリーゴールドと生活するまではその“神様”に違和感なんて抱かず生きてきた。
“神様”には人間みたいな心はないし、人間みたいに悩んだり笑ったり、迷ったりなんてしない。
ついに新章スタートです。
穏やかな日常の向こうに何が待ち受けているのか……
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