64 『4次元』では電脳世界がデフォルトです
3人がやっとの思いでシャフトを抜けると、無機質な真っ白の空間が広がっていた。
さっきまで真っ暗なシャフトの中にいたから、目が眩むようにチカチカとする。
そこは、確かにエンジンルームと呼ぶにふさわしい場所だった。
天井には太いダクトが這い回り、壁一面に何らかの計器が並んでいる。あちこちに今は灯っていないランプがついていて、壁から何本もチューブが出ていた。
そして中央に、巨大なエンジンがそびえ立っている。
エンジンは下の階を貫いているらしく、エンジン周りは吹き抜けになっていた。その周りには手すりが張り巡らされている。
リリーゴールドが歩いて近寄っていく。手すりに身を預けながら下を覗いた。
イチヒとサフィールも、真似をして下を覗く。
下の階を貫いているどころじゃない。何階も下まで巨大なエンジンは繋がっていた。
訓練で戦車や宇宙船は見た事がある。でも、イチヒたちが見た事があるどのエンジンよりも、巨大なものだった。
継ぎ目のないつるりとした白い金属に覆われた巨大なエンジンは、まるで無限の階層を持つ巨大な建造物。
巨大なエンジンがあるにしては、部屋は異様に静かだった。タービンやピストンが動くような機械音が、一切なかったのである。
蒸気もディーゼル特有の匂いもなく、代わりに微かな金属質の香りが漂っている。
リリーゴールドが、すっと手を伸ばす。
彼女の長い指先がエンジンの外装に触れた。
すると、その表面に幾何学的な紋様が薄く浮かび上がる。
そして呼吸するように明滅して、淡い虹色の光を放った。
「――これ、たぶん4次元エネルギーだ……」
リリーゴールドが呟いた。
イチヒとサフィールは顔を見合わせる。こんな異様なエンジンは見たことがない。
「それで、電源スイッチとかはあったのか?!」
イチヒの声に、リリーゴールドは静かに首を振った。
「わかんない……見た感じはないけど……」
それを見ていたサフィールが、ふと思いついた顔で語り出す。
「――ねぇ。さっきリリーゴールドの座った操縦席はホログラムだったよね。
なら、……エンジンルームの電源も、ホログラムの世界の中なんじゃない?」
「それだ! きっと見えないように、分かるやつだけ触れるように隠してあるんだよ!」
イチヒも同意する。
「……そっか! ロボットも、操縦席も全部電脳世界で繋がってた!」
リリーゴールドが弾かれるように顔を上げた。
3次元に慣れちゃって忘れてたけど、4次元では物質に頼る常識が無かった。
なんでも0と1のデータで管理するし、それを口で伝えたり見える所に置いたりなんかしない。全員がアクセスできる、電脳世界に保存するのが当たり前だった。
――魔女の言葉を思い出す。
「ねぇママ。なんでママは口で喋るの? みんなは全然口でお喋りしないのに」
「おほほ、それはね――楽しいからよ」
顔の半分もあるメガネの奥で、母が笑う。母のまとう、夜空を切って縫い合わせたドレスがきらきらと輝いた。
「楽しいの?」
「そう。――だって脳波で話しちゃったら、表情も、声色もなくて“ただのデータ”のやりとりだけになっちゃうでしょう?
でも、ママはリリーの顔を見て、声を聞きたいの」
そう言って、母はリリーゴールドの頬を両手で包み込む。もう母より随分大きなリリーゴールドのことを、母は宙に浮きながら真っ直ぐに見つめてきた。
「リリーは、ママの声は聞きたくない?」
「聞きたいよ! ママの声だいすき!」
「ほほほ、ママもリリーの声が大好きよ」
そうしてリリーゴールドは、自分より小さい母のことをぎゅっと抱きしめた。
母の夜空のドレスからひんやりとした夜風が吹いて、リリーゴールドの手をかすめていく。リリーゴールドは、手に当たったドレスを指先でちょん、とつまむ。
「ねぇ、ママ。ママがカラフルなドレスを着るのも、楽しいから?」
「あら、よく分かったわね。そうよ――この世界は全部透明で……つまらないんだもの」
リリーゴールドは、あたりを見回した。4次元世界は、何もかもが透明で光と影だけで成り立っていた。
ほとんど物質らしいものもなくて、リリーゴールドもいつも退屈だった。母が『魔法』で出してくれる、3次元のカラフルな空や水や炎を見るのが、毎日の楽しみだった。
「あたしも、ママみたいにカラフルな色が良かったな。あたし全部、真っ白なんだもん」
リリーゴールドは拗ねたように口を尖らせて、自分の真っ白な髪の毛を掴む。母の黒髪と違って、自分には色がない。ほかの4次元存在と同じように。
「あらあら、リリーはちゃんと色があるのよ。ママとおんなじ、“金色の目”をしてるでしょう。私たちだけの――特別な“金色”よ」
母がにっこりと微笑む。メガネの奥で優しい金色の瞳が光った。
無彩色の4次元の世界で、母だけが変わっていた。
リリーゴールドは、そんな母のことが大好きだった。
――リリーゴールドはぱちぱちと瞬きをする。懐かしい母の記憶をそっとしまうように、もう一度目を閉じた。
指先から伝わるエンジンエネルギーの鼓動に、そっと脳波を添わせていく。
虹色の光が脳裏を駆け巡った。
ふわっと意識が拡がる。次の瞬間、薄水色の電脳世界で、リリーゴールドはエンジンルームにいた。




