53 リリーゴールドの『アナログ懐中時計』
サフィールは、水面から顔を上げた。
水滴が肌に落ちて吸い込まれていく。
ここの川は、渓谷をくだり山間の滝壺へと続いていく。
サフィールのエコロケーションが、この川が局部的にすごく深い箇所があったり、すごく浅い箇所があったりすることを知らせていた。
山岳地帯の雪解け水を含んだ川の水は、深海のように冷たい。
まるで、サフィールの生まれ育った惑星ネレイダの海のようだった。
サフィールはまた水に潜った。すぅっと音もなく高速で泳ぎ、吊り橋のかかっていた地点まで戻る。
川から顔を上げて上を見た時、サフィールは固まった。
――橋がある。
しかも、昨日かけられたみたいに新品の。
――時は遡り、数十分前。
それは、ちょうどサフィールが川底へダイブした直後だった。
イチヒは、なんとか引っ掛けた指に力を込め、上へ上がろうとする。
しかし、片手で掴んでいた橋の残骸のロープは途中で細切れにちぎれてしまい、命綱にすらなってくれない。
その時、リリーゴールドの意識が脳内に割り込んできた。
《イチヒ! 橋をちゃんと掴んで!! 早く!!》
……なんだかわからんが、リリーを信じるからな?!
イチヒは千切れそうなロープをしっかりと掴んだ。
次の瞬間、時間が巻き戻るかのように半分にちぎれていた橋が空中へ浮かび上がり出した。
イチヒは慌ててその橋を両手で掴んで、組み上がっていく板の上に飛び乗る。
あんなに不安定でオンボロだった橋なのに、イチヒが乗っても崩れる気配がないどころか揺れもしない。
川に落ちたはずの板すら上空に浮かび上がってくる。
しかも、その板の欠けた部分がみるみるうちに盛り上がった。もとの長方形に戻りながら、色褪せた木の色は真新しい白っぽい木の色へ変色していく。
そして板どうしはロープでひとりでに編み込まれ、きちんと繋がり橋の形を組み上げていく。
気付いた時には、橋は昨日かけられたみたいに新品になっていた。
「まさか、これって……!」
イチヒの脳内に、あの日リリーゴールドが食堂で壊れた床を平らに巻き戻した情景が思い浮かぶ。
あの日彼女は、金色の懐中時計を持っていた。
そう、『アナログの懐中時計』だ。
今回の訓練で、デジタルスマート時計は持ち込みが禁止されていた。持ち込みが許可されていたのは、アナログの時計のみ。
イチヒは、全速力で走り出す。
いくら本当にこの橋が新品になったとしても、1tを耐え続ける橋があるとは思えない。
橋が落ちる前に、イチヒの重力加速度が橋に届いてしまう前に、渡りきらないとならない――!
1歩進む事に橋は大きく揺れて、きしむ。
ロープがギチギチと嫌な音を立てる。
だが振り返らずに、全速力で駆け抜ける。
《イチヒー! 急いで! 橋が落ちちゃう!》
ギチギチ……バツッ……!
嫌な音がした。
まだ対岸まで5mはあるのに――!
《イチヒ――!!》
イチヒの足が板を踏み抜いた。ロープが千切れて、板が外れてしまったのだ。
そこからバラバラと橋が板に分解され、宙に舞う。
イチヒの身体は橋から落ち、空中に投げ出される。
重力軽減装置でゆっくりに調整された重力加速度のおかげで、その体はこの瞬間まだ自由落下の重力加速を受けていない――
「……諦めきれるかぁ――!!」
急いで、手首の重力軽減装置に触れる。
「重力場をスキャンしますか?」迷いなく「はい」を選んだ。それから1秒。
イチヒの身体はさっきまでより、さらに軽くなる。
重力加速度が、さらに遅くなったのだ。
足場がない場所での重力場スキャンは、バグりやすい。正しく重力を把握できなかった機械が、イチヒの重力を勝手に軽く調整する。
空中で、崩れていくロープをどうにか掴む。
まだ残った歯抜けの橋の板を、ジャンプするように踏んでいく。
段々と身体に重さが降りかかり始めた。
だが、あと1歩で対岸に足が届く――!
思い切り跳躍する。だが。
あと1歩が届かず、イチヒの足は地面を踏み外した。
ギリギリの所で、千切れて短くなったロープを掴む。ロープをつたいながら、地面に手をかけた。
橋の始まりの地面に埋まった柱に手が届いて、やっとのことで対岸に這い上がる。
目の前に、対象の『個人用小型兵器』がそっと置かれていた。
ただし、ひとつだけ。
それは抱えるほどの大きさの、半透明のタンクを備えた中型のライフルだった。
イチヒはそれを持ち上げて、まじまじと見る。
弾倉が無い。
その代わりにタンクが備えつけられ、そのタンクから細いチューブが飛び出ている。
「なんだこれ?」
イチヒは見たことがないし、このタンクが何を意味するのかも分からなかった。
でも、これで2つ目のアイテム回収がクリアされた。
物語も折り返し地点を過ぎました!
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