52 嫌いだった自分を、今なら受け入れられる
サフィールは水面から顔を上げた。
濡れたネイビーの髪がゆるくウェーブを描きながら、頬や首に張り付いていた。
滝壺を見下ろす。
白い水しぶきが上がるばかりで、セルペンス中佐たちの姿は見えない。
「勝ったんだ……ぼく、ひとりで」
――いつか、父様と母様みたいに強い軍人となって戦果をあげたい。
それがずっと、サフィールの生きる理由であり、目指す場所だった。
冷たい水が、火照った身体をゆっくりと冷やしていく。
ゆらめく水面に、父にも母にも似ていない自分の顔が映っていた。
水棲星人の突然変異種。
それが、サフィール・エレイオスだった。
――海の星、惑星ネレイダ。
この宇宙軍養成学校のある惑星シジギアより2つほど太陽から離れた、冷たい海の星で、15年前サフィールは生まれた。
《わああん、わああん》
産まれたての赤ちゃんが、初めて冷たい海に触れて泣いていた。その場でゆらゆらと波に流される。
水中では音は聞こえない。そのはずなのに、その赤ちゃんは甲高い声で泣いていた。
ナースが、すぅっと泳いで近寄ると流される赤ちゃんを抱きしめた。赤ちゃんのネイビーの髪が、波間にゆらゆらとそよぐ。
その姿を見たナースの動きが、一瞬止まった。
それに気付いたドクターも隣に泳いでくる。
そして、目を見開いた。
その赤ちゃん――サフィールは、男の子の身体にあるはずの無い“マーメイド”の特徴を備えていたのだ。
まるで女の子のように繊細で美しい顔立ち。
本来、水棲星人が持つはずのサメの歯も持たない。
そしてなにより、生まれた瞬間に産声を上げた。
マーメイドだけが持てる『声』――エコロケーションを持っていたのがその証明だった。
ナースは、サフィールをそっと海のベッドに寝かしつけると水から上がった。
診察室は、サンゴ礁の上にある。足元は海水が流れ込むが半分は海の上だ。
サンゴ礁の上で、ドクターは難しい顔をしていた。
目の前の夫婦に、なんと声をかけるべきか悩んだ。
だが、真実を伝えねばならない。
彼の耳に装着されたインカム型の疑似声帯が、彼の脳波を拾って声帯の代わりに機械音声を紡ぐ。
『男児ですが……マーメイド型で間違いないでしょう』
マーメイド型は、遺伝しない。
完全なる突然変異で生まれた人魚の出現率は極めて低く、5000人に1人ほどしか産まれた記録がない。
しかし軍人である父と母の間に、“戦士ではなく人魚の子”が生まれてしまった。
『……そんなはずはない。こいつは男だ。強く育てる。そうだろう?』
『そう……ええ、そうよ。私たちの子だもの』
そう言ったふたりの目には、戸惑いが宿っていた。
――生まれ落ちたその日から、サフィールは強い軍人になるための人生を歩んできた。
いつか、両親に認めて貰えるような強い子になりたかった。
サフィールは、揺らめく水面に映る自分の顔を見つめた。
昔は、この顔も、このエコロケーション――声も大嫌いだった。
両親のように、強い海獣になるためにひたすらに努力した。誰よりも尾びれである足を鍛え、誰よりも早く泳げるように何時間も練習した。
イルカみたいな自分が嫌だった。両親みたいに強いサメになりたかった。
絶対に、戦いでエコロケーションを使ったりしなかった。海獣として、戦ってきた。でも。
セルペンス中佐と対峙して、自分を偽ったままでは勝てないと知ってしまった。
ちっぽけなプライドなんか捨てて、持てる力全てを使わないと、勝てない存在がいる――
脳裏に、オレンジ色の金属の巻き毛が浮かんだ。
彼女は、自分の硬さも、質量も、それ故のデメリットも全て自分の武器にして使いこなしていた。
ただ硬いだけじゃない。
ただ重いだけじゃない。
――彼女は、強い。
しかもいつも、イチヒがリリーゴールドを守って戦っているように見えた。
サフィールだったら、自分より強いかもしれない相手を守ろう、なんて思えなかった。
サフィールは、初めて両親以外に憧れを抱いた。
「ぼくも、彼女みたいな――ヒーローになりたい……」
その為に、なんだってする。
こんなちっぽけなプライドは捨てる。
エコロケーションだって、この顔だって。なんだって使ってやる。
ぼくは、ヴェラツカに追いつきたい。
ぼくの持てる全ての力を使って、この訓練を絶対に生き残って見せる。
そしてあの、彼女たちと揃いの銀葬先鋒隊のバッジを胸に飾るんだ。




