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50 君は、チートで強くて、敵わない

 ――吊り橋が激しく揺れる。サフィールは、振り落とされないように必死に手すりのロープにしがみついた。掴んだロープに、サフィールの掌から粘性水がじわりと染み込んでいく。

 


 サフィールが吊り橋のちょうど真ん中辺りまで来た時、対岸から吊り橋へセルペンス中佐と、もう1人の女性隊員が襲ってきたのだ。

 そこから今まで、膠着状態が続いている。

 狭い吊り橋では、互いにすれ違うことすら出来ない。

 

 サフィールは焦れていた。

 セルペンス中佐はそのずばぬけた跳躍で隊員の頭上を飛び越え、サフィールにサイバーレイピアを叩き込んでくる。

 だが、サフィールが攻撃に転じるとセルペンス中佐はまた跳躍して距離を取ってしまう。そこへ、エネルギーバリアを展開した彼女が盾となって立ち塞がる。

 セルペンス中佐の、ヒットアンドアウェイ作戦に完全に翻弄されていた。


 

 その瞬間、2m先からセルペンス中佐が跳躍する。サフィールの頭上に一息で迫った。

 ライムグリーンの光の刃が脳天目掛けて振り下ろされる――!

 しかし、サフィールはそのサイバーレイピアの下から、するりと滑るように抜け出す。

 セルペンス中佐が体制を整えるため橋へと降り――ようとして、足を取られた。バランスを崩し、体幹がブレる。


 ……かかった!


 サフィールのいる半径1mほどは、彼がばらまいた粘性水でテラテラと濡れていたのだ。

 体制を崩したセルペンス中佐に、サフィールはスライディングしながら蹴りを叩き込む。

 だがセルペンス中佐は、しなやかに身を捩り防御姿勢をとった。胸前でクロスした腕に、サフィールのキックが炸裂する。

 しかし、致命傷には程遠い。

 セルペンス中佐は片手を濡れる橋について、ゆっくりとなんとか立ち上がる。


「なるほど、これが――水棲星人(エラフィリア)の粘性水ですか」


 セルペンス中佐は、右手にまとわりつくぬめる水をまじまじと見る。爬虫類の縦瞳孔が、ゆっくり細められる。

 ただの水ではない。すべり、ぬめり、蒸発もしにくい。


「たしかに、これは厄介ですね……ですが」


 セルペンス中佐は、サフィールの眼前に小型プラズマ小銃を突きつけた。


「遠距離戦であれば恐るるに足りません。

 さて、あなたは遠距離武器がない。

 これは訓練です。命を奪う気はありません――ああでも、あなたが動いたら反射的に引き金を引いてしまうかもしれない」


 そう言いながらも、セルペンス中佐の鋭い瞳はサフィールを離さない。銃口は、まっすぐサフィールの額に向けられたままだ。

 殺意だ。

 背筋を凍らせる殺意が――その銃口から放たれていた。

 

 この距離では、サフィールの蹴りよりもプラズマ弾の方が速い。動きを止めてしまった時点で、サフィールに勝ち目はないのだ。

 本当の戦場なら――すでにサフィールの額は撃ち抜かれていたはずだった。


 ……悔しい。投降したくない。

 サフィールは唇を噛む。

 だが、自分の20cm先に突きつけられた銃口にひるんでしまった。情けない。

 こんな時、もしヴェラツカだったら――

 彼女ならひるまなかった。彼女だったら、銃口があっても止まらず突っ込んでいたはずだ。


 もし、サフィールに彼女のような強い身体があったとしても、銃口に向かって走れただろうか?

 

 一緒に過ごしてわかったことがある。彼女の身体は微細な小さな傷だらけだった。

 痛くないのか、と聞いたサフィールに彼女は笑った。

「痛いよ。でも、死ななきゃかすり傷だ。打ち直しゃ一発で直る」

 人間は打ち直せないんだ、と伝えたら彼女はそうだったな、とまた笑った。

 ヴェラツカは、心が強い。

 ぼくには……出来ないかもしれない。


 サフィールは、侮っていた。『魔女の娘』も『最強金属』も。ただのチートだろう、と。

 自分にだって彼女たちのような力があれば――同じように強くなれると思っていた。でも、彼女たちが強いのはチートだからじゃない。心が、強いんだ。

 どんなに強い教官を相手にしても、ふたりは一度もひるんだりしなかった。

 それなのに、ぼくは――

 

 


 その瞬間、吊り橋が今まで以上にたわむと大きく左右に揺れた。

 ミチミチ……と吊り橋のロープが悲鳴をあげる。


「あんた――教官ぶるなら、その銃を下ろせ!!」


 イチヒの勢いのある大声が飛んできた。

 彼女は、橋を大きく揺らしながら橋の上を走っていた。


「ええ?! ヴェラツカ?! 来ないはずじゃ……!」

「うるせえ!! なら心配させねえくらい完封勝利しろ!!」


 イチヒは全速力で走る。その勢いのまま突っ込んできて、セルペンス中佐とバリアを展開する女性隊員諸共弾き飛ばしていく。


 ミチミチ……ビキッ……

 橋を支えるロープがその質量に耐えかねて、細くほつれながら千切れていく。


「ヴェラツカ……!! 橋が……!!」

「うるせえ!! 分かってたけど……分かってたけどあんたをひとりには出来なかったんだ、仕方ないだろ?!」


 イチヒが叫び終わるやいなや、ギリギリで耐えていたロープの最後の一筋が、千切れた。

 

 全員の体勢が崩れ、足元を失った1人の隊員が渓谷に吸い込まれていく。エネルギーバリアが岩肌に擦れるも、彼女の身体をかろうじて守りながら落下していった。

 橋の板がバラバラと外れ、崖のあちこちにぶつかりながら渓谷の川に落ちる。

 

 橋の残骸からおよそ45m下は、深い川。群青色の波しぶきが、岩肌にぶつかってはじける。

 

 吊り橋は真ん中でちぎれ、左右の対岸に半分ずつぶらさがっていた。

 イチヒは回収ポイント側の岸にぶら下がるロープを、ギリギリで掴んでいた。

 なんとか渓谷の岩肌に指をかける。指先が、岩肌にくい込み、めり込んでいく。

 幸いにも、ここの渓谷の岩質は硬めのようだ。イチヒの質量でも、もしかしたら何秒かは耐えられるかもしれない。


 セルペンス中佐は、ぬめる板になんとか手をかけていたが、その手は徐々に滑り落ち始める。

 その時、イチヒが彼を蹴り落とした。

 


 

「エレイオス! あんたはまだ負けてない!! 決着をつけろ!!」


 

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