47 無理を通せば道理も引っ込む!
『こちら、セルペンス――
イチフタマルマル。対象1人のみが吊り橋に侵入。
――どうぞ』
軍用ヘリの中で待機するグラヴィアスの無線機がジジッと揺れた。
副官のセルペンス中佐からの経過報告だ。
彼には、吊り橋の対岸回収ポイントの真裏で待機するよう命じてある。そして、彼の近くの茂みに我々の部下も1人待機させていた。
「ほう……陽動か?」
彼女は、目の前のドローンモニターを確認しながら呟く。
サフィールが1人で吊り橋を渡る様子が、空中から撮影されていた。
「大隊長。エレイオスが囮でしょうか」
操縦席にいる部下――アスタリオ伍長に声をかけられ、グラヴィアスはしばし考えてから、答えた。
「間違いなく、そうであろうな」
自分の後ろに控える部下たち――カヴァーレ少尉と、モラレス軍曹にも分かるように、紙の作戦地図をぺらりと広げる。
それから吊り橋にS・E――サフィール・エレイオス――と書き込む。
本来なら軍事作戦では、敵軍をシンボル記号で表記する。だが今回の敵――つまり訓練兵たちは、全員歩兵だ。
グラヴィアスは見分けやすさを優先し、あえてイニシャルを採用する。
「全員で吊り橋を渡ってしまっては、吊り橋の中腹で前後から挟み撃ちにされるリスクがある。これは当然、3人にも想定できるはずだ」
グラヴィアスはそう言いながら、矢印を書き入れる。
針葉樹林側から始まり、橋を通る矢印を書いてから大きいバツを上から書き足す。
「吊り橋という不安定かつ狭いフィールドでの戦闘を避け、エレイオスを囮に進ませる。
エレイオスが対岸からの敵襲に対応し、橋に迫る敵はヴェラツカとズモルツァンドの2人が対処する気であろうな」
グラヴィアスは更に対岸からの矢印と、針葉樹林側からの矢印を書き入れた。
そして、針葉樹林側にI・V――イチヒ・ヴェラツカ――、L・Z――リリーゴールド・ズモルツァンド――と書き足す。
対岸の回収ポイントは、吊り橋を渡る以外たどり着くすべがない断崖絶壁の孤島。
もし吊り橋を避けるなら、断崖絶壁を登るしかない。
もし断崖絶壁を登っていても、こちらには撮影ドローンが10機もある。見つけられないはずはない。
となれば、イチヒとリリーゴールドは針葉樹に潜み、橋に入る前に戦闘に持ち込むつもりだろう。
細い吊り橋の中ではなく、橋前での戦闘を選ぶのはなかなかにリスクヘッジがとれている。
だが。
これでは作戦が丸わかりだ。もちろん、銀葬先鋒隊はそんな陽動にのってやるほど単純じゃない。
「大隊長。このまま偵察任務続行ですか? それとも……」
隣の操縦席から、アスタリオ伍長が確認してくる。
グラヴィアスは、にやりと獰猛に笑った。
「アスタリオ伍長! 旋回し、吊り橋へ向かえ!」
「アイアイマム! 直ちに!」
アスタリオ伍長は、操縦席のスイッチを押し手動操作モードに切替える。そして、操縦桿を握った。
「こちら、グラヴィアス――
イチフタマルゴー。作戦変更。繰り返す、作戦変更。我々ヘリ部隊は偵察任務より攻撃任務へ移行する。
総員、即時配置につけ。――以上」
大隊長の無線を聞いた隊員たち2人が、彼女の背後でパラシュートの最終点検を始めた。
カヴァーレ少尉とモラレス軍曹は、先の戦闘訓練でイチヒ・リリーゴールドペアに完全敗北した経緯がある。
ここでどうにか戦果を挽回したい。
自然と点検にも熱が籠っていた。
――一方、時を同じくしてサフィールは慎重に吊り橋を渡っていた。
雪はほとんど止み、パラパラと粉雪が冷たい風に舞っている。
そっと口を開いて、エコロケーションで周りの距離を測る。
どうやら光化学迷彩で透明になり潜むような、意地の悪い潜伏部隊はいないらしい。目で見た通りの反射音が返ってくる。
ゆっくりと深呼吸をした。
サフィールはぎゅっと吊り橋のロープを握ると、前を見据える。
吊り橋は1歩進むごとに、風と自分の振動で激しく揺れていた。
――今回の作戦は、ぼくの戦闘にかかってる。
ふたりの信頼を……裏切っちゃダメだ。
絶対に、勝つ――!
イチヒたちの作戦はこうだ。
まず、橋を渡り切れる可能性に一応かけつつ、サフィールが吊り橋を攻略する。
万が一、敵が現れた時はエコロケーションで敵をかく乱。しかし防戦が無理だと判断した時点で、橋を犠牲にし、渓谷下の川へ退避。
敵が川に落ちた場合、川の中で戦闘を継続。
この時リリーゴールドはサフィールをより安全に渓谷下まで届けるため、橋の手前側だけを落とし渓谷にぶらさげる。垂れ下がった橋はサフィールのためのハシゴ代わりとなる。
その際、出来るだけ多くの隊員を川に落とすとなおよい。
今回敵役になる銀葬先鋒隊隊員は、大佐と中佐を含めて7人。
今回の作戦では、サフィールがどこまで敵を引き付けられるか、そして水中戦でどこまで敵を制圧できるかが要だった。
イチヒは、水棲星人の水中戦闘能力は教科書でしか見た事がない。だが教科書に載るくらいに、彼らは水中で無敵とも言える。
では対岸へはどう向かうのか?
それは――
リリーゴールドが、重力軽減装置をoffにしたイチヒ(1t)を重力魔法でむしろ重力加速させ、対岸まで投げ飛ばす。
イチヒは、リリーゴールドからの考えを聞いて、信じられないといった顔で首を横に振った。だが、効果的な手段は他にないのだから仕方ない。
胸に手を当てると、ドキドキと胸が早鐘を打つ。
……やってやろうじゃねえか。
こんな時、人は何故か笑ってしまうものだ。
イチヒは武者震いと共に、唇に笑みを乗せた。
《たぶん、向こう岸まで、上手く投げ飛ばせると思うんだ。……たぶん》
いや、たぶんじゃ困るんだが?!
心の中で叫んだが、イチヒはもう覚悟を決めていた。気にしたら負けだ。
その瞬間、上空の撮影ドローン3機たちの挙動が揺らぎ始める。
何だ――?
イチヒが確認しようと上を向く。
視界に雪空と快晴が広がる。
重なり合う双子太陽のベガとアルタイルの日差しが見えた時、それを物々しい巨大なシルエットが遮った。
「……ふっざけんな、軍用ヘリだって?! こっちは生身なんだぞ?!」
鈍いグレーのボディの無骨なヘリコプターが、浮かんでいたのだ。
消音器が作動しているのだろう、姿が現れるまで音はほとんどしなかった。
今は風の揺らめく音が、辺りに充満している。
そして軍用ヘリは――ゆっくり旋回するとサフィールのいる吊り橋へと方向転換する。
まさか――
……吊り橋を、軍用ヘリで襲うって言うのか……?!
14m程の中型軍用ヘリは、ゆっくりと吊り橋へ近づいていく。その機影は、まるで巨大怪獣が空から吊り橋を見下ろすかのようだ。
対して、20m弱の頼りなげな吊り橋を歩くサフィールの人影は、まるで米粒だ。
絶句して空を見るしかないイチヒの脳波に、リリーゴールドの意識が割り込んでくる。
《イチヒ! 作戦変更しよ。……あたし、ヘリジャックするね!》
背後にいたリリーゴールドが、森の奥に移動していく気配がした。