45 サフィールと手の届かないふたり
パチパチと炎が揺れる。
洞窟の奥で、イチヒたちはリリーゴールドの生み出した炎で暖を取っていた。
洞窟の中に白い暖かな光が広がる。
洞窟の外は、また酷い吹雪に見舞われていた。当分ここから動けそうにない。
サフィールは意識を失っていた。リリーゴールドは彼を自分の傍に横たわらせて、じっと様子を見ている。
さっきのモジュールには、意識を失ったサフィールの代わりにリリーゴールドが手を添えている。
彼は目を覚まさないが、肌の氷がなくなり少し血色が良くなってきていた。
彼が倒れても軍病院に救急搬送されないところを見るに、この洞窟には撮影ドローンは潜んでいないらしい。
もし見つかったら、恐らく強制的に連行されてしまうだろう。
「イチヒなら……サフィール・エレイオスさんを見捨てないって思ってた」
リリーゴールドは、目を閉じたままのサフィールの、濡れたネイビーの前髪を撫でた。
イチヒは、リリーゴールドがフルネーム呼びするのを聞くと何だかおかしくなってしまう。
最初に出会ったときも、リリーゴールドはイチヒのことをフルネームで呼んでたっけ。
まだたった3、4ヶ月前のことなのに何故か懐かしく思った。
リリーゴールドの言葉は続く。
「ずっとね……イチヒはあたしのヒーローなんだ。この世界に来てひとりぼっちのあたしを、イチヒは見捨てなかった」
その言葉を聞いて、イチヒは自然とこう答えていた。
「……リリー。実は私、理事長に頼まれてあんたのこと、監視してたんだ。だから――」
……私は全然、ヒーローなんかじゃない。
言いかけた言葉は、リリーゴールドに遮られる。
「ううん。知ってたよ。でもね、いつかイチヒが打ち明けてくれるって、信じてたから。だって、友達だもん! だからね、イチヒはあたしのヒーローだよ。今も、前も、ずっと!」
リリーゴールドは、へへっと子供みたいに屈託なく笑う。
イチヒこそ、何度この笑顔に救われてきただろう。
もしかすると、リリーゴールドを監視する任務の辛さですら、いつも彼女の笑顔に救われていたのかもしれない。
監視対象に救われるなんて、諜報員失敗だが。
だが、そもそもイチヒは諜報員に向いていないし、なる気もなかった。だから、これでいい。
「そうか。……私、実はもう報告任務怠ってたんだ。リリーの、ヒーローでいたいと思ったから」
「えへへ、実はもう報告してないのも、知ってた」
リリーゴールドはいたずらのバレた子供みたいに、バツの悪さを笑って誤魔化す。
「は? どうやって……」
「あのねぇ、カァシャは――この世界全部のネットワークにアクセス出来るんだ。だから、カァシャに見せてもらってたの」
「いや待て、今とんでもねえこと言ったぞ?! AIカァシャって――全世界ハッキングし放題なのかよ……」
イチヒはゾッとした。
リリーゴールドの話が本当なら、銀河間弾道ミサイルですらAIカァシャは意のままに操れることになる。それだけじゃない、IT化した兵器は全て彼女の手足となる。
この事実を――軍は、理事長は知っているのだろうか?
いや、知らないだろうな……
知っていたら、リリーゴールドの監視報告なんて足のつくことやるわけがない。
理事長は恐ろしい相手を敵に回したのだ。
当のリリーゴールドは、相変わらずのほほんとしていて、全然戦争なんて興味無さそうな顔してるけど。
「そういえば……リリーは、なんで宇宙軍に入ろうと思ったんだ? 戦争とか、興味ないだろ」
「んー、ママがね、選んでくれたの。宇宙軍に入ったら、きっと素敵なことが起きるから行きなさいって。……あたし、イチヒに会うために入学したんだと思う!」
リリーゴールドは、上を向いて少し考えながら言葉を紡ぐ。母親の――魔女の姿と言葉を思い出してるんだろうか?
「なあそれ、前も言ってたよな。私に出会うために3次元に来たって。――今まで会ったこと、なかったよな……?」
「えっへへ〜、それはひみつ!」
あの時と同じように、リリーゴールドは照れ笑いして答えを教えてはくれない。それから、リリーゴールドもイチヒに尋ねた。
「ねぇ、イチヒは? なんで軍に入ったの? やっぱり、ヒーローになるため?」
「はは、受験した頃はそこまで高尚なこと考えてなかったよ。――ただ、故郷の地球から出たかったんだ」
目を瞑れば思い出す。
子供の頃のこと。母にちっとも似ていない自分は、近所の誰とも馴染めなかった。
父がほかの星へ行商に行き、家に母と取り残される度に「ここに生まれてはいけなかったんじゃないか」そう思ったこともある。
父についていくことも考えた。でも、自分の力だけで未来を切り開きたかった。
早く大人になりたかった。
「そっかぁ……あたし、地球に行ってみたいな」
「おう。いつかうちに招待するよ」
「ほんと? やったあ、楽しみ! またあの固いパン食べたい!」
リリーゴールドは無邪気にはしゃぐ。イチヒは、その笑顔を眩しく見つめていた。
――サフィールは、こっそりと目を開ける。
実は、2人が宇宙軍になんで入ったか話しているあたりから目が覚めていたのだ。
だが、ふたりの世界にとても入っていけなかった。
……いつかぼくにも、こんな風に信頼し合えるバディが出来るのかな……
サフィールには、まだ信頼できる相手がいなかった。
軍に入ったのだって、両親に認められたいからだ。誰かを守るとか、誰かと一緒に戦うとか、サフィールにはまだよく分からなかった。
……ぼくもいつか、だれかの『ヒーロー』になれるといいのに……
サフィールはまた、そっと瞳を閉じた。




