43 この訓練、嘘つきがいる
サフィールの喉から発された超音波は、微かに震えながら雪煙を通り、セルペンスの身体まで到達する。
目くらましの雪幕に真正面から突っ込んだサフィールは、大きく足を振り上げ――
その瞬間、セルペンスは右からの攻撃に防御姿勢をとる。
キックの命中する、残響音。
雪を踏みしめるズリっとした、移動音。
雪幕が地面にバサバサと降る、落下音。
確かに――キックの命中した音はあったのに、体には衝撃は伝わらない。
なんだ? そう思った時にはもう遅かった。
目の前の雪煙の晴れる前に、そこからサフィールの蹴りが顔に飛ぶ。
セルペンスは今度は本物の衝撃を顔面で喰らい、後ろに吹き飛ばされる。
しかし、雪に倒れたはずなのに……今度はなんの音もしない。
視界がチカチカと点滅していた。セルペンスはこめかみを揉む。
起き上がる間もなく、サフィールが雪の上をザッザッと高速で移動する足音が耳に届いた。
おぼろげな視界のまま、セルペンスは反射的に立ち上がると跳躍する。
音から判断して、すぐ近くにサフィールが居るはずだ。
だが――跳躍した先になぜかサフィールが居た。
混乱する意識に、サフィールの回し蹴りが叩き込まれる。
腹部に鈍い衝撃が伝わる。
「っ……幻覚? ――それならば」
セルペンスは呟いて、スっと目を閉じた。
トカゲに似た身体能力を持つ彼には、第3の目ともなる光の感受体が額にある。
トカゲ型異星人は、多くのトカゲの身体的特徴を引き継いでいる。
この第三の目もそのひとつだ。
額に位置する光感受体によって、可視光の動きや遮蔽を察知する能力を持つ。
サフィールの姿が見えなくても、太陽の光と影のズレから、おおよその位置を割り出すことができる。
視界を閉じて、光だけを追う。太陽が遮られているのは、右側だ。
だが――セルペンスの耳には全方向から、雪の上で足を引きずる移動音が聞こえる。
「……惑わされませんよ」
目を閉じたまま、セルペンスは細く輝くサイバーレイピアを振りかぶり、右方向へ振り下ろす。
手応えはある……だが、衝撃がおかしい。
人体を斬ったにしては手応えが軽すぎる。
ふっと目を開けると、斬ったのは雪の塊だったようだ。
あたりを見回すが近くにサフィールの姿はない。
その時だった。
轟音がとどろく。
洞窟上の崖から、雪崩が滑り落ちてくるのが見えた。
地響きが地面から伝わる。
近くの木々から、小鳥たちが慌てて空へと舞い上がっていった。
そこまで見て、セルペンスはこれは幻覚ではなく本物の雪崩だと判断する。
「総員、撤退――!! 対戦は、一時中断とします!」
セルペンスは素早く長距離跳躍をする。
その号令で、イチヒとリリーゴールドも慌ててその場を離れる。
イチヒの下敷きになっていた隊員たちも、重たい溶けかけの防弾チョッキを脱ぎ捨てると全速力で退避を開始する。
「あれ、サフィール・エレイオスさんは?!」
雪崩の轟音が落ち着くと、リリーゴールドが離れた位置からキョロキョロとあたりを見回す。
目の前にいるのは、イチヒとセルペンス中佐と、さっきまで戦っていた先輩隊員2人だけ。
「おいリリー! あれ!」
イチヒが雪崩で出来た雪の丘の上をゆっくり滑り降りてくるサフィールを見つけて、指さした。
サフィールはそのまま下まで滑り落ちると、イチヒたちに合流せず、洞窟に向かって歩き出す。
「今のうちに進みます。ではお先に」
「あっ、おいこら! 抜けがけすんな!!」
「待ってよお!」
サフィールの様子を見て、イチヒが走り出す。リリーゴールドも慌ててその後ろを追った。
「……何だったんでしょう。あれは」
セルペンスは口元に手を当てて、先程の戦闘を思い出していた。
サフィールの実際の攻撃と、それに見合わない音の数々。いると思った場所にはおらず、全く違う場所からの反撃。
幻覚かと思ったが、よくよく思い返せばセルペンスはサフィールの姿は攻撃直前まで視認できていなかった。
「水棲星人の、しかもマーメイド型っすよね? 見たの、初めてっすよ、副隊長」
満身創痍の隊員――カヴァーレ少尉が声をかけてくる。彼は先程リリーゴールドに燃やされ、イチヒに押しつぶされたうちの1人だ。
その隣で頭に雪をつもらせているもう1人の隊員が、モラレス軍曹。彼も、カヴァーレ少尉の言葉が気になるのか真剣な目で耳を傾けている。
「カヴァーレ少尉。知っているのですか?」
「イエッサー。水棲星人の中でも、エコロケーションでまわりを惑わす、美しい姿が特徴っす。……でも、マーメイド型は女しか生まれないって聞いたんすけど」
カヴァーレ少尉は不思議そうに首を傾げた。
彼の言葉を聞いて、セルペンスははっと気づいた。
超音波――エコロケーションなら、音の反響を操り幻覚ならぬ、幻聴を引き起こせても不思議ではない。
だが、セルペンスはこの訓練前に全員の個人データを頭に叩き込んできたはずだ。
彼のデータに、エコロケーションは含まれていただろうか?
――あとで、大佐から個人データファイルを見せてもらいましょう。能力値に、エコロケーションが含まれていたなら私の見落としです。
もし含まれていなかったうえに……性別すら偽っていたのなら……公文書偽造でお仕置ですね!
「それより、カヴァーレ少尉、モラレス軍曹」
セルペンスはひんやりと冷えた声で、自分の部下の隊員2人に呼びかける。
「訓練兵相手に手も足も出ないとは、何事ですか?」
細めた目は一切の感情がない。表情すらも冷えきっていた。
「これから錬成しましょう。雪山で10kmマラソンしたらよい気分転換にもなりますよ、きっと」
「「ヒィィ!! アイアイ・サー!!!!」」
有無を言わせない声音に、隊員2人は声をはりあげて応えた。




