40 いけ好かなくても、見捨てられない。だってヒーローだから
しばらく走って、雪の積もる森の中にたどり着く。
密集した針葉樹が傘みたいに、降り続く雪を遮っていた。
「……全員、無事か?」
イチヒが振り向いて確認する。
リリーゴールドは予想通りちっとも疲れた素振りはない。
サフィールも、青い唇で震えてはいるが無事だ。
「少し、洞窟から逸れたな」
イチヒがぺら、と紙の地図を広げた。リリーゴールドが懐中電灯を付けて手元を照らしてくれる。
マーカーを取りだし、先程のグラヴィアス大佐のいた崖にバツマークをつける。
最初のスタート地点が地図の真ん中辺りの平地だ。
その地図の右――平地東側に隣接する崖に、グラヴィアス大佐のバツマークがついている。
そして今いるのはおそらく、地図の左――平地西側に広がる森だ。
最初の『生命維持モジュール』回収地点は東側、バツマークの崖のすぐ近くにあった。
「戻るしかないですね」
サフィールが鈴のなる綺麗な声で呟く。
その声で、全員がさっき通ってきた森の入口を見た。
雪の積もる枝の下に広がるのは、微かに舞い踊る雪と真っ暗な空。
訓練開始直後の猛吹雪に比べれば、雪の勢いはかなり弱まってきていた。隣の仲間の声が聞こえないほどだった吹き付ける風の音も、静かになっている。
「雪は今なら弱い。動くべきです」
サフィールの声にイチヒが反発した。
「いや待て。せっかく安全地帯に退避したんだ。夜が開けるのを待つべきだろ」
「それを待っていてはいつ吹雪が再開するか分かりません」
「おい! 今出ていって、吹雪にも遭ったらどうするんだよ?! 最悪の状況になるだろうが!!」
サフィールの深海みたいなブルーの瞳が揺れた。
イチヒのシルバーの瞳と視線がぶつかり合い、そして先に彼が逸らした。
「あんた達はっ……、もう内定してるからそんな呑気なことが言えるんだ……」
俯いたサフィールの口から、呪詛みたいな低い声が漏れた。かすれた重低音だが、イチヒの耳はその言葉を聞き漏らさなかった。
次の瞬間イチヒは、目を逸らしたサフィールの肩を両手で掴んで揺さぶっていた。
「お前はいつもそうだよ!! 本音を言う時は絶対人の顔を見ない!! 授業の時も、今回だって!」
しんと静まり返る雪の世界にイチヒの怒号がとどろく。
サフィールの頭が揺れた。
イチヒの手を払い除けて、バッと顔を上げる。
「あんたたちには! ぼくの気持ちはわからない!!」
ノイズみたいにかすれた低い声で、サフィールは叫んだ。頭を上げた彼の表情は、張り詰めていて今にも崩れ落ちてしまいそうに見えた。
――サフィールの顔をきちんと真正面から見るのは、初めてだった。
ネイビーのまつ毛に彩られた、深海みたいな深いブルーの瞳。
シロイルカの皮膚のように濡れた白い肌は、今は所々凍りつき始めている。
均衡の取れた美しい顔立ちが、今は泣き出しそうな憎悪の表情に歪んでいた。
イチヒは気圧される。
なにか言おうとして、彼に払い除けられた手が空中をさまよう。
「……もう結構です。ぼくひとりで行きます」
サフィールはまた冷静な顔に戻って、よそ行きの鈴のなる声で告げるとイチヒたちに背を向けた。
そのままの足で、雪を踏みしめながら森の外へ向かう。
「サフィール・エレイオスさん……!」
リリーゴールドの呼び掛けにも動じず、彼はそのまま森の外へ歩いて行ってしまった。
「どうしよう、イチヒ!」
「……知らん。私たちは――ただの体験訓練なんだよ、命を張る程じゃない」
リリーゴールドの慌てた口振りに、イチヒはできる限り意識して冷徹に答えた。
……そうだ、あいつが訓練に失敗して軍病院送りになっても私たちには関係ない。ライバルが減るだけだ。
万々歳じゃないか。
だけど。
みすみす死地へひとりでいかせるのか? 私たちなら、助けられるかもしれないのに?
イチヒは揺れる。
その時、リリーゴールドの太陽みたいな声が聞こえた。
「嘘だよ!! イチヒ、本当は助けたいんでしょ?! イチヒは――ヒーローだったら絶対こんな所で、見捨てないよ!」
その声に弾かれて、イチヒは駆け出していた。
サフィールの足跡を追って、雪の中へ飛び出していく。
程なくして、イチヒは弱い雪の中歩き続けるサフィールの背中に追いついた。
「あんたはいけ好かないが、私たちはチームだ。仲間を、ひとりで危険には晒せない!」
彼の背中に叫ぶ。
サフィールは少し迷う素振りをして、やっと振り向いた。
「一緒にいこう! サフィール・エレイオスさん!」
いつの間にか追いついていたリリーゴールドも、明るく笑う。
「……本当に、お人好しだね、あんたら」
サフィールは、低い声で言ってから、戸惑ったように微笑んだ。
ライバルが現れて、バディの関係も少しづつ深みをましてきました。
この章で、物語が動きます!
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