3 『魔女の娘』あらわる!
【魔女神話】
はるか昔、空から舞い降りた小さな女が文明をもたらした。
女は己を「魔女」と名乗り、人々には見えない不思議な力で時間を操り、空中から様々なものを出して見せた。いつしか女は消え、人々には文明と3機のAIが残された。
惑星各地のネットワークにその女は、「救世の魔女」あるいは「最強の魔女」として謳われている。
銀河は繁栄し、今に至る――
これはどんな子供だって知ってる、どこにでもあるおとぎ話だ。
少なくとも、イチヒはおとぎ話だと思って15年生きてきた。
――リリーゴールドに出会うまでは。
イチヒは、大きめの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
リビングの椅子に腰かける。
持ってきた紙袋から、くしゃくしゃの新聞を取りだした。
そこには、1面大見出しに『魔女の娘あらわる!』と、でかでかと印字されている。
小見出しには『神話に登場する古の魔女の娘を名乗る少女が、宇宙軍養成学校へ入学!』と続いていた。
カラーの写真が大きく載っている。
リリーゴールドだ。
『宇宙軍養成学校』の門の前で、金色の瞳をまっすぐ前に向けて敬礼している姿。
彼女はこの時もじんわりと光を放っている。
金属光沢で光を反射するイチヒの髪と肌ともまた違う、彼女は自分で発光しているように見えた。
この新聞は、地球を出る前の夜に父さんから貰ったものだ。
イチヒの頭に、家族で食卓を囲んだあの日の夜の光景が蘇る――
「入学おめでとう、イチヒ」
「ありがとう!」
珍しく家に両親が揃って、食卓を囲んでいた。
イチヒの金属光沢のあるオレンジ色の巻き毛が、照れくさそうに揺れる。
学生寮に入るイチヒにとって、今日は家族揃って食事ができる最後のチャンスだ。
圧縮酸素のボンベを口に含む。
冷やされた酸素が美味しい。
食卓に並んだ缶詰を手に取って開けた。
ぷしゅっと空気の溢れる音がして、青々としたレタスが顔を覗かせる。
「イチヒ、もう学生寮の部屋割りは出たの?」
「もう出たよ。有名人と同室だって。聞いたら吃驚するよ」
イチヒはそう答えてレタスを口に放り込んだ。
少し苦い。いつもと変わらない味だ。
母が目を輝かせる。珍しく家にいる父が、訳知り顔で母に目配せしている。
「父さん知ってるぞ。『魔女の娘』が入学するんだろ?」
金属光沢のある銀髪がチカチカと光った。
父は惑星間を飛び回る行商人だ。この手のニュースは直ぐに手に入る立場なんだろう。
「正解」
驚く母の顔を尻目に、イチヒは新しい缶を開けるのに格闘しながら答えた。
「ほらこれだよ、『魔女の娘あらわる』!」
父が興奮気味に新聞を広げた。
仕事先で貰ったらしい新聞はくしゃくしゃになっていたが、一面大見出しに『魔女の娘あらわる!』と印字されていた。
母が真剣な顔で、父の新聞をのぞきこんだ。
「まあ本当?! 正直あまり神話の魔女のこと信じてなかったの。でも本当にいたのかしら」
「行商人の間ではもっぱら本物だって噂だ。光り輝く姿を見たやつもいるらしい」
「イチヒ、あなた魔女の娘さんはもう見たの?」
新聞から顔を上げた母が尋ねてくる。
「まぁ、同室だからね」
「同室?!」
新しく開けた桃の缶詰を頬張りながら答える。すると、驚いた母の声が返ってきた。
生鮮缶詰は地球では高級品だ。
毎日何かしらの生鮮缶詰が食べられるイチヒの家でさえ、果物缶はそうそう登場しない。きっと、珍しい果物缶を入学祝いに用意してくれたんだ。
久しぶりに食べる甘い果汁がすごく美味しい。
母は口元に手を当てて驚いた顔をしていた。
父は面白がって目を細めている。
「太陽の力が使えるって噂。だから本人も光ってるんだって」
イチヒは、先日の入学式で見かけた『魔女の娘』の姿を思い出しながら答える。
彼女は大変背が高く、158cmのイチヒは首が痛いほど見あげるはめになった。
長い髪は膝裏まであり、肌も髪も真っ白。
彼女を見た時、子供の頃教科書で見たギリシャ遺跡の彫刻を思い出した。彼女はそれによく似ている。
「同室のイチヒ・ヴェラツカさんだよね?
あたしリリーゴールド・ズモルツァンド!
よろしくね!」
あの日、子供のように屈託なく笑いかけられ、イチヒは気圧されて差し出されるまま手を取ったのである。
「父さん、仕事仲間に自慢して回るよ。うちの娘は魔女の娘と同室に選ばれたってな」
父はイチヒの話を聞いて自慢げにしている。
それから母が、おもたそうな紙袋を持ち出してきた。
「ほら、イチヒ。缶詰たくさん入れといたから持ってきなさい。寮でも、ちゃんとご飯食べるのよ」
「もう、母さん。学校には食堂があるんだよ」
「いいの! お腹すいちゃうかもしれないでしょ」
イチヒは、母から紙袋を受け取る。
父が隣でイチヒと母のやり取りを楽しそうに見ていた。
「ねぇ、イチヒ。あなた地球から出て言葉は大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、私もう宇宙共通語喋れるようになったんだから」
「でも……」
母は心配性だ。
彼女は生まれて1度も地球から出たことがない。娘が地球の外に行くのが、心配でしょうがないみたいだ。
すると父が自慢げに言う。
「あのな、翻訳フィールドってやつがあるんだ。その範囲にいれば、どんな言葉だって翻訳して頭に入ってくる。俺なんかいっつも翻訳フィールドのお世話になってるよ」
「あら、そうなの?! 素敵。わたしも欲しいわ」
「残念だけどな、これは駅とか星間列車とか限られた場所にしかない」
「まあ……そうなのね」
壁にかけられたアンティークの鳩時計が、ポッポーポッポーと鳴いた。母は慌てて時計を見る。
「えっ、もうそんな時間?! イチヒ、父さん。明日早いんでしょう、早く寝なきゃ!」
地球では珍しい、時計の針が時間を告げるタイプのアナログ時計で、100年ものらしい。
いつも母が大事そうに磨いていたものだ。
これを見るのも今日が最後だと思うと、なんだか特別に思えた。
ちら、と窓の外に目をやる。
紫色の光化学スモッグと毒の雲が、灰色の空を覆っていた。
この地球とももう、さよならだ。