29 私は、彼女のための『ヒーロー』になりたい
「ただいま〜!」
ヴィーンと扉の開く音がして、リリーゴールドの元気な声が聞こえる。
「おかえり、リリー! 遅かったな」
「ふふーん、じゃーん!」
リリーゴールドは得意げに胸元のピンバッジをかざした。
シルバーの地金に、ラメの入ったネイビーの宇宙が描かれ、その上にシルバーの剣が斜め十時に交差するマーク。
「銀葬先鋒隊内定だな? リリーも貰ってると思ってたよ」
そう言って、イチヒも胸元のバッジを摘んでリリーゴールドにかざして見せた。
「やっぱりー!! あたしも、イチヒが内定もらってると思ってたよ〜! だから一緒に『最終選抜訓練体験』もやりますって言った!」
「ん? ……は? なんて?」
――今聞き捨てならない言葉が聞こえたような?
イチヒはゆっくり瞬きをすると、目の前のリリーゴールドをじっくりと見上げた。金色の目と意図して視線を合わせる。
「え? ……えっとぉ、『最終選抜訓練の体験』……」
「なんでせっかく飛ばした試験の体験を受けようとしてんだ……?」
「えっえっ? だって大佐が……冗談のつもりだったが、訓練の一環としてもいいだろう……って……」
「いやそれ冗談だったんだろうが!!! まともに受け取る奴がいるか!!! 最終選抜訓練って言ったら地獄で有名な訓練だぞ?! 正気か?!」
「ええええ?! そうなの?! 大佐が複合環境障害突破訓練よりはマシだって……」
リリーゴールドの反応を見るに、マジでなんにも理解してないんだろうと見て取れた。
ふぅ、とため息をつく。
――そうだった。こいつに常識は通用しないんだった……
「あのな、リリー? 複合環境障害突破訓練って何時間だったか覚えてるか?」
「ん? んーと2時間くらい?」
「3時間だ!! ……で、『最終選抜訓練』は1週間だぞ」
「ほぇっ? 1週間?」
リリーゴールドが金色の目をでっかくして驚いている。ぱちぱちと瞬きしながら、いっしゅうかん……と呟いていた。
「そうだ。……1週間、ガチモンの山奥でサバイバル。しかも敵役は――銀葬先鋒隊現役隊員たちだと言われてる」
イチヒは頭を抱えた。
既に内定を得ているイチヒたちを相手するなら、銀葬先鋒隊の先輩たち……いや隊長たちすらも面白がって攻撃に参加してくるかもしれない。
イチヒの脳内に、嬉々としてAI戦闘アンドロイドを撫で回すグラヴィアス大佐が浮かぶ。
――あの人は絶対参加するだろうな……!!
「ごめぇんイチヒ……イチヒと一緒にやりたかったんだよお……地獄なの知らなかったんだもん……怒んないでよお……」
イチヒが頭を抱えて黙っているのを、怒りと捉えたのかリリーゴールドが怒られた子犬みたいな顔して見つめてくる。
「……いや怒るだろ?」
「ごめぇん……」
ついイチヒはからかいたい衝動にかられ、わざと仏頂面のままリリーゴールドを見上げた。
リリーゴールドは目を伏せて、しおしおと小さく縮んでいく。
「ぷっ! 冗談だよ! 怒ってないからそんな顔すんな!」
あんまりに縮こまっていくリリーゴールドが可哀想で、思わず声に出して笑ってしまう。
どんなに縮こまったって3mの巨大な身長は、いつもイチヒより遥かに大きい。
「しょうがないから……付き合ってやるよ、地獄サバイバル」
「……!! ……うん!!」
リリーゴールドはその言葉で、ぱぁっと笑顔を取り戻した。
……案外、キャンプみたいで楽しいかもな。
ふとイチヒは考えた。
――もちろんそんな生易しいものでは無いのだが。
「……イチヒー、ご飯もう行っちゃった?」
「いや、行ってないよ。食堂行こうか」
「うん!」
「それ訓練着のままだろ? 着替えてきな」
「はーい」
と、答えたリリーゴールドはパタパタと自分の部屋に吸い込まれていった。
イチヒは、静かになった部屋を見回す。
……もう1ヶ月が経ったのか……
身体は訓練に慣れたのか、初日の頃にあった酷い筋肉痛もだいぶマシに感じられるようになった。
最初は人の心がない鬼だと感じたサルベル教官の教えも、今は意味のあるものだと理解できる。まあ、今でも彼が鬼のように厳しいことに変わりはないのだが。
……1ヶ月か……、いつまで私は『任務』に囚われればいいんだろう?
つまりイチヒが、リリーゴールドを裏切り続けてもう1ヶ月が経っていることにもなる。
理事長の真意は未だにはっきりしない。
イチヒは、リリーゴールドのことを任務ぬきにして友人だと感じ始めていた。
友達だから、もっと彼女のことを知りたいんだ。
理解したいんだ。
友達だから……裏切りたくないんだ。
――いっその事、任務の話をリリーに教えてしまおうか?
イチヒの胸にそんな思いが去来する。
でも――『任務』が無くなった時、私は彼女の隣に並び立てるだろうか?
イチヒは、自分の強さに自信がなかった。
だけれども、「ヒーローみたいだね!」といつかリリーゴールドが言った言葉が、彼女の胸を暖かく照らしていた。
……私は、私の力で、ヒーローになりたい。
そして、誰よりも彼女の味方でいたい。
それが――あの子にとっての『ヒーロー』になるってことだと思うから。
彼女を絶対に裏切らない、『ヒーロー』になるんだ、これから。
これが、イチヒの結論。




