3 規格外なルームメイト
イチヒは大きく伸びをする。長いこと列車に揺られたせいで肩が強ばっていた。
列車を下りると、色とりどりの看板が目に飛び込んでくる。その全てが見慣れない共通宇宙語で書かれたものだ。
大きな矢印とともに《宇宙軍養成学校》の文字がある。
――今まであんなに勉強したんだ。ちゃんと、読めてる!
行き交う人ごみから聞こえてくる言葉も、ほとんどが共通宇宙語だった。駅から出た今、もう翻訳フィールドは作動していない。
だが、イチヒにはほとんどの単語が聞き取れていた。
駅内からも巨大な学校のキャンパスが既に見えていた。建物には虹色にミラー反射する窓が一面に付いていて、学校というより巨大な要塞のようだった。
紙袋をぶら下げ、キャリーケースを引きずりながら人の波に混ざって校門をくぐる。
「さすが、人が多いな……」
イチヒはあたりを見回した。初めて地球の外で暮らすイチヒは、見慣れない人の多さにげんなりした。人混みをかき分けて進む。
カサカサと手元の「入寮案内」を開いてみる。構内の地図と、イチヒの住む女子寮第5棟までの道順が書いてあった。
空高く2つの太陽が昇っている。イチヒにはまだ、どちらがベガでどちらがアルタイルなのか判断できなかった。
「ええと、こっちか」
地図をくるくる回しながら、それらしい舗装路を進んでいく。建物は全体的に同じ灰色の壁とミラー反射する窓のデザインで、見慣れるまではしばらく迷いそうに思えた。
歩いているうちに、イチヒはこの星が地球より重力が軽いことに気がついた。歩くより、まるで跳ねる感覚だ。荷物を詰め込んだキャリーケースも、引きずっているという感覚すらなかった。
イチヒは、地球人との混血種とはいえほとんど金属星人と同じ体質を持つ。彼らは金属細胞を持つのが一番の特徴なのだ。
つまり、地球人よりよっぽど体が重いのである。イチヒも1000kg以上の重さがある。うっかり素の重力を受けると、地面にめり込みかねない。
イチヒは、手首のリストバンド式端末にアクセスする。これは、自分の両手首、両足首と背中に装着した「重力軽減装置」の制御端末だ。
端末を操作すると、「現在地の重力場をスキャン」を実行する。数秒で「最適化を実行しますか?」と文字が浮かび上がった。イチヒは迷わず「はい」を押した。
ふっと体に親しみのある重さが落ちてきた。さっきまで持っている感覚がなかったキャリーケースも、ちゃんと地面を引きずる感覚が手のひらに届く。
「やっぱり今度、最新型を買おうかな……」
地球から出なかった頃ならまだしも、今はいちいち重力場スキャンするのは面倒だな、と考えながらイチヒはまた「入寮案内」を開いた。次の角を曲がれば女子寮第5棟のはず。
角を曲がると、そこにはぼんやり光る巨大な『ターゲット』が立っていた。間違いなくリリーゴールド・ズモルツァンドである。
「ズモルツァンドさん!」
イチヒは努めて明るい声で呼びかけた。すると巨大な白い少女は勢いよく振り向く。白い長い髪がふわりと広がって思いのほか風圧を感じた。
「イチヒ・ヴェラツカさん!」
相変わらず子供のように笑って、手を振りながらイチヒに向かって歩いてくる。
「あたしのこと、覚えててくれたんだ! うれしー」
イチヒは内心、いや君を覚えられない人は存在しないだろ、とツッコミを入れた。目の前に来るとやはりリリーゴールドと目線を合わせるために、イチヒは首が痛いほど見あげないといけない。
「同室ですから。覚えてます」
「ほんと? やったあ、あたしもイチヒ・ヴェラツカさんのこと覚えてたよ! 」
話しながら、イチヒはキャリーケースを引きずって歩きだす。するとリリーゴールドも隣に並んで着いてくる。どうやら一緒に部屋まで来てくれるようだ。
「部屋ねー、ちっちゃいよ」
「そうなんですか? 二人部屋なのに困りますね」
軽く話しているうちに部屋の前まで到着する。リリーゴールドが、壁のスキャナーに手をかざして解錠してくれた。
「ここに手をかざして、認証するんだって! ほら!」
リリーゴールドは、イチヒの手を取るとスキャナーに押し当てる。かちゃん、と扉の内部で鍵の開く音がした。
部屋は、イチヒの想像よりもだいぶ広かった。共用部なのか目の前にはリビングルームが広がる。簡単なIHコンロや冷蔵庫などが置いてあるのも見えた。
リリーゴールドは小さく身を畳みながらドアをくぐって入ってくる。
「ね、ちっちゃいよねー天井とか」
「いや、部屋が小さいんじゃなくて君がでかいんだよ?! 部屋は充分でかいわ!」
あ。イチヒは思わず勢いに任せてツッコミを入れてしまってからしまった、と口をつぐむ。
「あはは、イチヒ・ヴェラツカさんもちっちゃいかー」
当のリリーゴールドは、イチヒの敬語が崩れたことなど気にもとめずに楽しそうに笑う。いや待て、今私を小さいと言ったか? この規格外な生き物に丁寧に接しようとしていた自分がなんだかアホらしく感じる。
「いや……私は、小さくはないが……」
「そっかあ。 でもたしかに、イチヒ・ヴェラツカさんはママよりはおっきい!」
「あ、ああそう。ちなみにお母さんってあの魔女の……」
「うん! ママ90cmだから!」
「いやそれは小さいとかいう次元じゃねえな?!」
イチヒは思わず突っ込んでしまった。いやもう、理解が追いつかない。なにこの生き物……規格が違う……私の知ってる人類の常識通用しない…… もしかして私が知らないだけで、地球外生命体ってみんなこうなのか? いや、そんなことあってたまるか!
イチヒは、今日列車で見た様々な異星人たちを思い出す、どこにも、天井より大きい人類も、90cmの人類もいなかった。今まで勉強した宇宙史にだってそんな存在は出てきた記憶がない。
気を取り直して、リリーゴールドの正体を突き止める『任務』があるのだ、と自分に言い聞かせる。イチヒは呼吸を整えてから、リリーゴールドに声をかけた。
「個室はもう見ました?」
「見たよー! イチヒ・ヴェラツカさんのお部屋はこっち!」
リリーゴールドは、少しかがみながら歩くとリビングルームの右側の扉を指さした。それから、あたしはこっち! と左側の扉を指さす。
「ああ、ありがとう。あと――その『イチヒ・ヴェラツカさん』っての、やめない?」
イチヒは、キャリーケースを転がしながら右側の扉に近づく。
「じゃあー、『イチヒちゃん』?」
リリーゴールドが腰を屈めながら、首を傾げる。
「何でそうなるんだよ!! 『イチヒ』でいいだろ!」
子供の頃ですらほとんど呼ばれなかったちゃん付けに、イチヒはまたもや思いっきりツッコミを入れてしまうのだった。ついさっき、冷静に『任務』をこなそうと思ったばかりなのに。
「そっか! イチヒー!」
「ああ、私もあんたのこと『リリー』って呼んでもいい?」
「……! うん!」
リリーゴールドは、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべる。純粋な、子供のような。イチヒの心にちくり、と罪悪感が刺さった。イチヒはこの心の棘を忘れ去るように、わざと背中を向けると自室の扉を開けた。