27 私は影として選ばれた――『監視任務』の始まり
イチヒは、一度は砕けた己の右腕を撫でた。腕は怪我の後などひとつもなく、つるりと滑らかに磨きあげられた金属の触り心地だった。
――私、リリーを守れたんだ。でも……
イチヒは、宇宙軍に入るまで誰かを守れたことも、誰かのヒーローになれたこともなかった。
文明から忘れ去られたような辺境の惑星地球で、小さなシェルターに縮こまって生きていた。その狭い環境では、金属の異質な見た目の自分は家以外に居場所がなかった。
イチヒは、十分に広い寮のリビングを見回した。
同居人のリリーゴールドの部屋の扉を見つめる。まだリリーゴールドは、部屋には戻ってきていない。
今日は、いつもの鬼の筋トレ訓練のあとイチヒは個別に呼び出しを受けていた。リリーゴールドも呼び出されていたから、きっと話が長引いているんだろう。
何しろ、銀葬先鋒隊に内定したのだから。
だが、イチヒの心は晴れなかった。
――私は、リリーのオマケでしかないんだ。
彼女の力が、私もエリートに押し上げた。
でもそれは、『監視任務』のためのエリートだ。
……私の力じゃない。
――時は遡って数時間前のこと。
イチヒは、今日も毎日の日課の鬼の筋トレ訓練に参加していた。最後方で、リリーゴールドが今日も鬼のサルベル教官に扱かれている声がする。
「ズモルツァンドォ!! ずれたぞ!! ここが戦場ならお前の半径2mは敵に狙われている!!」
「イエッサァ!!!」
……半径2mだったら、私も死んでるな。
イチヒはどうにか周りとカウントを合わせながら、死に物狂いで足を高く伸ばす。
今の種目は鬼の筋トレ4つ目の、無重力耐性足上げ腹筋だ。
地面に背中を着いて寝っ転がり、カウントに合わせて足の力と腹筋だけで、真っ直ぐ伸ばした足を90度まで持ち上げる。
その名の通り、もちろんほぼ無重力の模擬空間で行われる。ちょっと気が抜けて、足を振り上げすぎようものなら、反動が着いておしりからどんどん宙に浮いていってしまう。
足を上げる反動を使わず、太ももと腹筋の筋肉を育てることが目的――らしい。
「動作が揃っていない! 動作を揃える着意を持って、もう一度最初から実施をする」
聞きなれたサルベル教官の命令が聞こえて、イチヒは奥歯を食いしばった。
……そうして訓練を何往復かして、やっと今日の筋トレメニューを完走できた。
実はあの後、イチヒも足が90度にあがらなくなってしまい、何度もやり直しを命じられていた。何とかこなして最後、5つ目の筋トレまで終わったところである。
「ヴェラツカ、この後個別でグラヴィアス大佐より話がある。訓練場に残るように」
「イエッサー!」
サルベル教官に言われて、イチヒは訓練兵たちが各々シャワー室へ向かうのを見送りながら待っていた。ふと見ると、リリーゴールドもサルベル教官となにやら話していたから、きっと彼女も呼び出しだろう。
――銀葬先鋒隊の本決定の1ヶ月って、そろそろだよな……?
グラヴィアス大佐が来るらしい、と聞いてイチヒの心は浮き足立っていた。
前回、グラヴィアス大佐の技力テストを受けた時、『銀葬先鋒隊に推薦するが、本決定は1ヶ月後まで待て』と言われたことを思い出す。
――銀葬先鋒隊。
それは、宇宙軍のなかでもひと握りしかいないエリート部隊で、どんな困難な作戦の時でも必ず先鋒隊として突撃し活路を切り開く。
『銀河に葬り去るもの』の名を抱く、最強の特殊部隊。
この特殊部隊の選抜は、推薦、訓練、正式配属の3段階からなる。
なんと入学直後の『技力テスト』から、推薦枠をかけた戦いは始まっていたのだ。
イチヒたちは、この推薦を見事勝ち取り、上層部の審議を待っていた。
審議を無事通過すれば、候補生として『最終選抜訓練』を受講できる――と知らされている。
そしてその最終選抜訓練を耐え抜いたものだけに『銀葬先鋒隊』の名が許されるのだ。
しばらくして、赤い髪を短く切りそろえた、大柄な筋肉の女が近づいてくる。グラヴィアス大佐だ。
「待たせたな、ヴェラツカ」
「とんでもありません!」
イチヒは敬礼して答えた。グラヴィアス大佐も敬礼を返すと、手元に持っていた書類を開く。
「呼び出したことだが――君を銀葬先鋒隊として内定する。……今回は異例だが、『候補生』ではなく内定扱いだ。最終選抜訓練を経ずに、すぐ実戦に入る」
「……内定、ですか……?」
想像していたのとは違う言葉の響きに、イチヒは困惑する。てっきり、最終選抜訓練の日時まで教えて貰えると思っていたのだが。
「さよう。つまり君は、既に銀葬先鋒隊の一員である! 任務に同行してもらうことになるが、任務についていけないと判断した時点で内定取り消しとなる。しっかり準備しておけよ」
「イエス・マム……!! ……喜んで拝命します!!」
イチヒは両の拳をぐっと握る。まさかの飛び級扱いだ。あの超エリートの一員として……もう、任務に同行できるなんて!
「実は、理事長たっての指示でな。複合環境障害突破訓練での成果を鑑みて、直ぐに任務でその力を役立てて欲しいと仰せだ。こんなことは有史以来初めての快挙だよ」
……理事長、と聞いてイチヒの顔が曇った。複合環境障害突破訓練での任務報告は、まだ時間が取れず達成できていない。
――私は、またリリーゴールドの監視をさせられるのか……
あの過酷な訓練で、圧倒的な力を見せたのはリリーゴールドの方だ。イチヒは、ドローンのプラズマ砲撃を耐え忍んだだけ。
おそらく、イチヒに課せられた『任務』は銀葬先鋒隊に入っても続いているのだ。
イチヒの胸がどんよりと重くなる。
リリーと一緒に笑っていたいのに。でも、背中からまた裏切らないといけない。
けれど、任務を放棄したら両親になにか危険が及ぶかもしれない。
――それに。私はきっとオマケだ。
任務のため、近くに置いておくのに調度良いから選ばれただけだ……
神妙な面持ちのイチヒをみて、グラヴィアス大佐がバンバンと背中を叩いた。
「私も複合環境障害突破訓練を見ていたが、素晴らしい成果だったぞ!
無鉄砲なズモルツァンドの力を上手く引き出し、窮地を切り抜ける判断力と行動力――タングステンの身体だけに頼らない頭のキレがヴェラツカの真髄だな!
飛び級内定もなんら不思議なことではない。文句を言うやつがいたら、私が黙らせてやる!
ヴェラツカの強さは私が一番知っている!」
的はずれな励ましだったが、その言葉は素直に嬉しかった。
――大佐は、そう言う。けど、
私が選ばれたのは、リリーの『近く』にいるから。きっと、それだけだ。
リリーゴールドの光が、イチヒに暗い影を落とす――
史上初の飛び級です。でも。




