1 君には『任務』がある
「突然お呼び立てして悪かったね」
低く穏やかな声が部屋に響く。
目の前の理事長席に座るのは、パンフレットで見覚えのある初老の男――宇宙軍養成学校の最高責任者。
彼はにこやかに微笑む。
だがその目だけが、まるで全てを見透かすように鋭い。
今日は、『宇宙軍養成学校』合格発表の日。
イチヒは自分の番号を確認しに、はるばる惑星シジギアのキャンパスまでやってきた。
そして自分の番号を見つけて喜んだのもつかの間、『理事長が君に会いたいそうだ』と呼び出されたのだ。
「いえ……」
イチヒは答えながらも、場違いな空気の重さに喉を詰まらせた。彼女の金属光沢のあるオレンジ色の巻き毛が、不安そうに揺れる。
軍人のように背筋の伸びた理事長は、黒の軍服をきっちりと着こなしていた。まるで型抜きされたように整った姿勢で足を組んでいる。
「君を呼び出したのはほかでもない、『魔女の娘』について、お願いしたいことがあってね」
その言葉に、イチヒの背筋が伸びる。
『魔女の娘』――最近イチヒの生まれ故郷の地球ですら、その名前を聞かない日はなかった。
1万年前の神話に描かれた魔女。その娘が、なんと現代に現れたというのだから。
理事長は手元の書類を一枚めくると、目線を上げた。
「学術試験では君が1位だった。金属星人と地球人の混血……珍しい存在だね。将来有望だ」
口調は柔らかいのに、言葉の端々に命令が滲んでいる。
――これが、『宇宙軍』……
私はこれから、ここの一員になるんだ。
イチヒの指先が緊張でこわばっていく。
「――君には、『魔女の娘』と同室になってもらいたい。そして」
「我々に情報を報告する任務を与える」
イチヒの動揺を知ってか知らずか、理事長がゆっくりと立ち上がるとこちらへ歩いてくる。
イチヒは、怯まないように努めた。真っ直ぐ理事長を見つめる。
「そう警戒しなくてもいい。ただ、『魔女の娘』の友人となり、彼女が本当に魔女と繋がりがある本物なのか、確認してくれたらいいんだ。
彼女のことを、我々宇宙軍として把握したいだけなのだよ」
そうして、理事長はイチヒの肩にポンポンと手を置く。先生が生徒にするように。
「――ご両親には長生きして欲しいだろう?」
イチヒの耳元に小さく落とされた声は、有無を言わせない迫力があった。
ぞわり、とイチヒの背筋が震えた。冷や汗が背中をつたう。
「……心得、ました」
俯いた視線が、あげられない。理事長の表情は見えなかった。イチヒの視界に、彼の黒い軍服を彩る豪奢な金モールと、色とりどりの勲章が映る。
まだ入学していないイチヒでも分かる。
彼には逆らっちゃいけない。
ようやくの思いで口を開いたイチヒの声は、震えていた。
「君が入学してくるのを、心待ちにしているよ」
最後に理事長はまたにっこりと微笑んだ。
まだ、何も始まっていないのに。何か大きなものに巻き込まれていく予感だけが、肌に突き刺さる。
イチヒはもう、“普通の新入生”ではいられなくなってしまった。
――合格発表から2ヶ月。
イチヒは、入寮案内のパンフレットを片手に寮内を歩いている。
ガラゴロとキャリーケースを引きずりながら、通路を右へ左へ進んでいく。どこもかしこも同じ作りの同じ廊下で、イチヒは完全に迷ってしまっていた。
「えっと……3015室……3015室……どこだ?」
見渡す限り、灰色。まるで総合病院かなにかのようだ。
何百人もが生活する寮なんだからすこしはデザイン練っとけよ、とイチヒはひとりで文句をたれる。
キョロキョロとまわりを見回しながら歩いているとドン、と何かにぶつかった。
「うわ、すみませ……」
反射的に謝って顔を上げる。
天井まである白い巨大な――ぼんやり光る壁がぱっと振り向くなり、イチヒの名前を呼んだ。
「イチヒ・ヴェラツカさん!!」
壁だと思ったそれは、真っ白い長い髪をした『魔女の娘』だった。
彼女はにこっ、と子供みたいに笑う。
「覚えてくれてる? 入学式で会ったよね!」
イチヒの2倍はあろうかという身長の彼女は、小首を傾げて屈託なく笑って見下ろしてくる。
もう頭が天上についていた。むしろ天井が低くて彼女はちょっと屈んでいた。
彼女の髪も肌も、ほのかに発光している。
……忘れるわけが無い。
イチヒは理事長に会ったその日から、何十回も心の中で彼女の名前を呼んでいたのだ。
「リリーゴールド・ズモルツァンドさん。
覚えてますよ、同室ですから」
イチヒは努めてにっこりと微笑んだ。
2025/6/28 大幅改稿しました。
2人の伝説の、はじまり。