18 幻影なんかに惑わされない距離の近さ(物理)
リリーゴールドが先頭を進み、イチヒはその後ろにピタッと張り付いて進んでいく。
さらにドローンが、2人の歩む軌道をなぞって着いてくる。
「なんで……そんな近く飛んでんだ……」
『何故だか分からないがガスが晴れていくぞォ――!
中和剤でも持っていたのかァ?!
いつもこのエリアはガスでカメラに鮮明に映らないのだ。ありがたい次第である!』
ドローンからサルベル教官の大声が響く。
「いやいつも見えてなかったのかよ?! 危険すぎんだろ?! 毒性ガスだぞ?!」
イチヒのツッコミのキレも、すっかり普段通りだ。リリーゴールドが隣にいる安心感がそうさせていた。
「……イチヒ。おかしい。なんかいる――」
先導するリリーゴールドが足をピタリと止めた。イチヒはリリーゴールドから離れないように、彼女の脇の下から顔をのぞかせる。
前方を見ると――そこには、『リリーゴールド』が立っていた。
「は?! リリー?!」
「え?! イチヒ?!」
2人の声が重なる。イチヒは、リリーゴールドの脇の下に顔を突っ込んだまま、頭上のリリーゴールドを見上げる。
リリーゴールドも、脇の下のイチヒに視線を落とす。
「……どゆこと? イチヒがふたり?」
「んな訳あるかぁ! 私が本物だよ!! 迷いようがないだろ!! というか、」
――なるほど、『幻覚ガス』ね。
「私には目の前のソレは、リリーに見える」
「そうなの?! なんであたしがふたり?!」
「いや、どう考えてもお前が本物だろうが!!」
――恐らく、今回の障害スポットはこうだ。
教官のアナウンスが『ガスエリアを突破しろ』とだけ伝え、参加者は今回の試練は毒性ガスだけだと誤認する。そしてガスの中で幻覚を見せ、本物のバディがどこか探させる――チームワークと信頼を試す試練だ。
「まさかべったりくっついて歩いてるとは、予想外だったわけだ?」
イチヒはくるりと振り返って、真後ろのドローンに問いかける。
『………………』
ドローンはだんまりを決め込むようだ。浮遊する稼働音だけが響き渡る。
こうなってしまってはそもそも試練にすらならない訳だが――
「ひっ……イチヒがぁ……」
目の前のリリーゴールドの巨大な背中が震える。
「どうした? だからイチヒは今あんたの背中にくっついてるって――」
「……あ。そうだった。こっちのイチヒが本物だったぁ、よかったぁ」
どうやら、意地の悪い幻覚らしい。リリーゴールドは、子供みたいに瞳を震わせてイチヒを見る。
「何が見えた?」
「ええとね――」
――リリーゴールドの視界に、ガスの立ちこめる中友人がひとりで立っていた。
リリーゴールドの目は、確かにソレがイチヒの姿形をしていると認識していた。
ソレは、イチヒの姿形でにこりと笑う。だが、何かがおかしい。
……どろり、と蝋が溶け出すように白銀の金属の肌が溶け落ちた。
いつも知的に光るシルバーの瞳は、光を失っている。死んだ目で笑いながら、友人はゆっくりこちらに近付いてくる。そして。
『リリー、あんたが燃やしたんだ』
鼓膜の奥にノイズだらけの声が張り付いた――
「うわ……」
リリーゴールドから幻覚の内容を聞いて思わずえづく。自分が溶けるイメージはあんまりしたいものじゃない。
たぶん、神経毒か何かだ。幻覚は基本、本人の一番恐れるイメージを脳が作り出して起きる。
――そうか、怖いのか、リリー。
リリーゴールドは、とんでもなく強くて、常識を吹っ飛ばした『魔法』も使える。でも、その力が自分でも怖いんだ。
こいつは、めちゃくちゃ強い完璧な英雄じゃない。
「リリー、こっちを見ろ。私はお前に燃やされてない。お前は、――私を絶対無理燃やさない」
リリーゴールドを無理やり振り向かせると、首が痛いほど見上げてその金色の瞳をしっかり見据える。不安そうな瞳が何往復か彷徨って、イチヒのシルバーの瞳とかち合った。
「……ん。大丈夫、あたし、イチヒを燃やさない」
リリーゴールドは何度か瞬きをすると深呼吸して、イチヒのシルバーの瞳をしっかりと見つめ返して来た。
「そうだ。お前は力をコントロールできてる。それに、」
「タングステンを舐めてもらっちゃ困るな。あんたの普段の炎じゃ焦げもしないね」
――そりゃ、恒星本体の最大出力を出されたら一瞬で消し炭になるけども。
リリーゴールドが普段そんな高火力を撒き散らして歩いていないことは、同室のイチヒが一番よく理解していた。
「えへへ、そうだよね! イチヒ強いもんね!」
リリーゴールドにいつもの調子が戻ってきた。彼女は安心したようにふにゃ、と笑う。
イチヒは、あやすようにぽんぽん、とその長い腕を叩いた。
「さて、じゃあ私にも『幻覚』とやら見せてもらおうか?」
イチヒは、ガスのもやの奥に佇むリリーゴールドの幻覚を睨みつけた。