0 魔女の娘は正義を知らない
「あたしは――正義なんか、知らないっ!!」
焦げ付いた鉛色の空に、白い少女の涙が散った。
火花を含んだ生暖かい風が、荒れ果てた大地を通り過ぎていく。ここはかつて、地球だった場所。
白い髪が生き物のようにうねる。長い髪はふわりと舞い踊り、その髪のひとすじひとすじに青い炎をまとっていく。
青い炎はまるで彼女の涙のようだった。リリーゴールドは、命を燃やすように泣き叫んでいた。
彼女の周りの地面が、重力に逆らうようにべろりとめくれた。地面の破片が空中に浮び上がる。
リリーゴールドの傍らには、彼女が守りたかったはずのものたちが瓦礫となって散乱していた。
――守れなかった。
その事実が、彼女を追い詰めた。
正しさも、希望も。リリーゴールドには、もう何も分からなかった。
どうすればいいのかなんて、誰も教えてくれない。
リリーゴールドは、泣きじゃくりながらその身に宿した青い炎の魔法を炸裂させる。
肌の上で、青い火花が静電気みたいにバチバチと散った。
「これが正しいのか正義なのかなんて、そんなことわかんないよ!! ……でも、」
「ただあたしは、大事なものを抱きしめて生きていたかっただけなの――!!」
リリーゴールドの金色の瞳は、蕩けるように燃えていく。まるで太陽の炉心のように。
彼女の身体から青いフレアが巻き上がる。大きな青い炎はリリーゴールドを飲み込み巨大な球体へと育っていく。
その目にはもう、感情なんてなかった。
ただ透明な涙だけが、彼女の頬を濡らしていた。
「リリー!!!」
イチヒは、吹きすさぶ爆風の中たったひとりの親友に手を伸ばす。
金属みたいに光るオレンジ色の髪が、風に巻き上げられてきらっと光った。
風が酷い。目も開けていられない。
視界が霞む。
伸ばした手が、虚空をさらう。
でも、青い炎の真ん中で泣いている親友を、ひとりぼっちになんてさせたくなかった。
熱気と放射線を帯びた風が、イチヒの金属細胞の身体を燃やしていく。溶けないはずのイチヒの最強金属の身体は、だんだんと鋭く熱を帯びる。
痛い。身体が引きちぎれそうだ。
でも、手がどんなに痛くても――私は、伸ばした手を引っ込めたりはしない。
だって私は、彼女を守るヒーローになると、あの日決めたから。
彼女の魔法に及ばなくてもいい。
特別な力がなくたっていい。
それでも、私は――!
「リリー!! 守りたいものがある、それがあんたの正義なんだよ! 力なんかいらない……」
「……だから一緒に生きろよ! 燃え尽きるなんて、絶対に許さない!」
……なにがあろうと、彼女と一緒にいると決めたんだ。
太陽の灼き尽くすような青白い炎に、伸ばした指先がたしかに、触れた。
その瞬間、リリーゴールドを包む球体の炎は時が巻き戻るように収束していった。暴れ回っていた磁気嵐も徐々に勢いを無くしていく――
風が、止んだ。
荒れ果て、えぐれた黒い大地が広がっていた。
地平線のあちこちで灰色の煙が上がっている。
今にも泣き出しそうな鉛色の空が、鈍く地上を照らした。
白い少女は、ひび割れた大地の真ん中にぼうっとひとりで立っていた。
冷たい酸性雨が、静かに降り出した。
リリーゴールドは泣き腫らした瞳で、ぼんやりとイチヒを見つめてくる。まるで幼い子供が助けを求めるみたいな、そんな目で。
イチヒは痛む肌で微笑んだ。
「あんたは誰かの正義のための兵器になんて、ならなくていいんだ。だって私のバディだろ?」
そう言って、ゆっくりとリリーゴールドに歩み寄った。
もう炎はない。彼女の隣にだって行ける。
腕を伸ばして、そっとリリーゴールドを抱きしめる。
自分よりはるかに背の高い友人の背中を優しく叩いた。
雨音だけが、その戦場を静かに濡らしていた。
――これは、その強大すぎる魔法ゆえに世界に利用された少女と、彼女を守るためにヒーローになった私の物語。
けれどその物語は、たぶん、誰かが望んだ『正義の物語』なんかじゃない。
誰もが信じた正義が、私の親友を泣かせたのだから。
あの日、あの理事長がリリーゴールドに言った。
「お前の魔法は兵器だ。正義のために使え」と。
でも私は、あいつを“正義のための兵器”になんかさせない。
あいつは兵器じゃない。
誰がなんと言おうと、私の親友だ。
彼女と出会ったのは、宇宙軍養成学校の入学式だった。
そのときからずっと、何かがおかしいとは思ってた。
なにが正しくて、なにが嘘か。
それを決めるのは、“あたしたち自身”じゃなきゃいけないんだ。
これは、銀河の果てにいる誰かの正義じゃない。
ただ私と、彼女とが選んだ――『生き方』の物語。
――でも私たちを利用しようとした大人が、私とリリーを出会わせた。
一緒の部屋ですごした学生時代のあの日々を、私は絶対に忘れない。
あの時間が、私たちの運命を動かし始めたんだ。
これは、ふたりの未来の姿。
ここにたどり着くまでの物語が、幕を開けます。