12章-9.僕の願望とは 2005.4.12
それは単純な怒りなんかじゃなかった。絶望や悔しさ、憎しみに悲しみ。あらゆる感情がぐちゃぐちゃに混ざり合っていて。
今まで必死で抑えていたものが、破壊衝動となって、一気に吹き出してくるようだった。
――壊せ!!!――
とてもじゃないが正気でなんていられなかった。まともな思考なんて出来ないほど、僕は感情に振り回された。大きな闇に飲み込まれそうだった。
――壊せよ!!!――
僕はこれ以上、誰1人として失いたくないのだ。
全員で生き抜きたいのだ。
これから先ずっと。麒麟を殲滅した後もずっと。
彼らと共に生きたい。
それなのにッ!!
こんな所で奪われてたまるか。
僕の大事な人達を。
――全部壊せばいいだろ!!!――
絶対に許さない。
絶対に認めない。
全員で生きて戻るのだと。
絶対に誰も失わないのだと。
その曲げられない意思だけを支えに、僕は意地で立つ。脳内に響く破壊衝動へと立ち向かう。
――考えるな! 壊せ! 破壊しろ!――
だが、もうこの怒りは止まらない。
この解き放たれた狂気は止められない。
本能的にそう分かってしまう。
この膨大なエネルギーを抑え込む力なんて、僕には残されていなかった。
――もう、楽になっちまえよ? なぁ? 相棒――
「うっ……」
元々僕の精神は限界だったのだ。
度重なる戦闘続きで疲弊して。
慣れ親しんだ住処を奪われて。
頼りになる店主やトラ、鮫龍を失って。
愛する氷織は壊されて。
東鬼と雪子鬼も滅茶苦茶にされて。
鬼楽は生死すら分からない。
やっと見いだした避難地域という希望すら、今壊されようとしている。
抱え込めるわけがなかった。
抑え込めるわけがなかった。
僕の中で狂気が爆発して次々に解き放たれていく。
思考が奪われそうになる。
どうしようもないほどの破壊衝動に支配されそうになる。
――何を迷う? 全て壊せばいいだろ!――
僕の中の化け物――鬼が。
今まさに暴れ出そうとしていた。
――いいからよこせ! その体を明け渡せ!――
僕は必死で耐える。
この意識だけは絶対に渡さない。
絶対に手放してはいけない。鬼に渡してはいけない。
今意識を手放したら、誰も助からなくなってしまう。
意地でもこの鬼だけは抑え込んで、僕は『最善』を実行しなければ。
「百鬼さんっ!」
狂気を抑え込む事に必死になる僕の元へ、遠く鬼百合の声が響いた。
「ナキリさん助けて下さいっ!」
声のする方へ視線を向ければ、彼女が泣きながら助けを求めて走ってきているところだった。
キユリは体の左半身に酷い火傷をしていた。彼女の服の殆どは焼け焦げて無くなり、至る所の肌が露出している。左頬にも酷い火傷を負い、血が滲んで赤くなっている。
「皆がっ! 瓦礫の下敷きになってしまって! 私の力じゃ助けられなくてっ! それにどこにいるのかも分からなくてっ!」
「っ……」
「どうしよう……。私、どうしたら……」
キユリ自身の怪我だって相当酷いのに。
彼女は仲間を助けるためにはどうすればいいのかと。そう、僕に判断を仰いでいるのだ。
だが、僕もどうしたらいいのか分からない。この炎の中、どうやって子供達を探し出せばいいのだろうか。
と、彼女の訴えに答える事すら出来ず、頭を抱え俯く僕の視界が突如薄暗くなる。熱波も遮られる。僕は思わず顔を上げた。
するとそこには、グラが立っていた。僕の目の前に立つグラは、今にも発狂して取り乱しそうになる僕とは違って、落ち着き払った様子だった。
「しっかりしてくれ!」
グラの怒鳴り声。
ビクリと体を震わせた僕の視界に、彼の燃えるようなオレンジ色の瞳が映り込む。
その瞬間、まるで射抜かれたように僕の思考は止まった。
「しっかりしてくれ! ナキリがそんなんじゃ、助かるものも助からないっ!」
「うっ……」
突然の頭部への激痛で僕は呻き声を上げた。どうやら頭突きを食らったようだ。
とんでもない痛みに僕は顔を歪める。しかし直後、目の前のグラの額から血がだらりと滴っているのを見て、僕はようやく冷静になれた気がした。
僕が感じた痛みは、グラも同じように感じているのだ。
武器で殴ればいいものを。頭突きなんてしたら、グラまでダメージを負ってしまうというのに。
「ナキリ。俺達は、全員で助かるための『最善』の指示が欲しい。この状況でそんな指示が出せて、全体を動かせるのはナキリだけ。ナキリにしか出来ない。俺達は何をすればいい?」
「皆がどこにいるのか分からないと……」
「それなら無理矢理狂気を出して共鳴すればいい。共鳴すれば位置が分かる!」
僕はハッとする。そんな事すら考えつかない程、僕の思考力は低下していたようだ。
「しっかりしてくれ! 相棒!」
「うん……。ごめん」
僕は打たれた額をさすりながら答える。すると手にべっとりと血が付いた。これには流石に苦笑いだ。
どれ程の勢いで頭突きをしたのか。脳震盪で倒れたら、どうするつもりだったのかと問いたくなる。
だが、ズキズキと響く頭部の痛みのおかげで、僕の精神は落ち着きつつあるのは事実だ。
僕はグラに感謝する。きっと正面から容赦なくぶつかってくれるのは、グラだけだ。だからこそ僕にこれ程響くのだと感じる。
さすが僕の相棒だ。
本当に頼りになる。
「これから一気に狂気を広げる。そうしたら位置が分かるはずだから。皆は必ず2人以上で行動して。建物の中は天井が焼け落ちてくるかもしれないから注意するように。煙にも気をつけて。いい?」
子供達は深く頷いてくれた。
僕はそれを確認すると、狂気を研ぎ澄まして、周囲へと広げていく。
無造作に溢れていた狂気をコントロールして、薄く薄く広範囲に張り伸ばしていくかのように。
鬼人達なら、生きている限りきっとこれに反応してくれる。きっと……。
まさか狂気に願いを込めるなんて思わなかった。そんな事が出来るなんて今まで想像すらしていなかった。何だかとても不思議な感覚だ。
僕は目を閉じて集中する。少しずつ周囲の様子が分かっていく。共鳴した子達の気持ちが伝わってくる。僕へ流れ込んでくる。
皆不安を感じている。恐怖も感じている。それでも、仲間を助けたくて必死になっている。
皆同じ気持ちだ。これ以上、誰1人として失いたくないのだ。
「見つけた……」
僕はようやく瓦礫の中で動けなくなっている子達を見つける。そして、次々に救出を待つ子達の所在が明らかになっていく。
絶対に全員でここを脱出するのだ。
それだけを考え続けるんだ。
僕達は、懸命に捜索と救出を進めていった。
***
「ナキリ! これで最後!」
燃え盛る炎の中から、グラが走って来た。背にはぐったりとした鬼人の子が背負われている。
僕は直ぐに背負われた子の状態を確認する。腕と足に酷い火傷がある。痣も複数個所あった。
だが、呼吸は確かにあって生きている。それを確認して僕は息を深く吐いた。
これで全員。全員揃った。
皆酷い怪我に火傷を負ってしまっているが、全員生きている。
「良かった。本当に良かった……」
皆ボロボロだ。だが、全員生きていた事は本当に奇跡としか言えない。
救助を行ったグラ達も、至る所に火傷を負ってるだろう。僕自身も全身煤けているし、瓦礫をどかす際に少し火傷している。
でも、それでも。
全員生きていて本当に良かったと。助け出すことができて良かったと。
心の底から感じた。
「ナキリさん! 退避場所を確保しました!」
「斗鬼、ありがとね。皆、移動だ。この場所は火が来る可能性が高いから」
僕は全体へ指示を出す。僕達がいる場所は、まだ麒麟の支部の敷地内なのだ。火が回っていない場所ではあるが、時間の問題で焼けていくだろう。
また、敵に見つかる可能性も高い。取りこぼしもまだ沢山残っているはずだ。だから、直ぐにでも移動しなければならない。
「ナキリさん、それと……」
「ん……?」
トキはまだ他にも報告があるようだ。僕は移動の準備をしつつ耳を傾ける。
「何人か、覚醒しました」
「そっか」
何となく予想していた事だ。僕はその報告にさほど驚かなかった。
「覚醒の症状が出た者は、先に退避場所で休んでます」
僕は頷いた。
何となくではあるのだが、全員で生き延びたいと強く願った時、強く共鳴した気がしたのだ。同じ気持ちになったと感じたような気がしたのだ。
だから、覚醒するのではないかと。
そんな気がしていた。
僕達は怪我人をそれぞれ支えながら、トキ達が見つけてくれた退避場所へと向かった。
退避場所は、麒麟の支部近くの空き家だった。木造の平屋で、つい最近までは人が住んでいただろうと分かるくらい生活感が残る住宅だった。
室内は少し荒らされてはいるものの、僕達が身を隠して怪我の手当をするには十分だった。
新たに覚醒した子達は既に覚醒時の症状がおさまり、燃えるようなオレンジ色の瞳に変わっていた。
6歳以下の幼い子達以外は、皆覚醒してしまったようだった。
「ナキリさん。避難地域へ行きましょう」
「え?」
酷い火傷をした子の手当をしていると、背後から鬼神野の声がした。僕がそちらへ振り返ると、そこにはキジノだけでなく、トキとキユリもいた。
「その怪我じゃダメだよ。連れて行けない。3人とももう限界でしょ」
彼等の気持ちはとても嬉しい。こんなにボロボロなのに、まだ戦おうとしてくれているのだから。
でも、彼等を連れて避難地域へなんて行けるはずがない。もう休ませなければダメだ。
「置いていかないでください!」
「まだ自分達は戦えます!」
キユリとキジノも言うが、僕は首を横に振った。
「ダメだよ。ここにいる誰も連れて行けない」
今この瞬間も避難地域は襲われていて、助けを待っているのは分かっている。だが、こんなボロボロの状態では、子供達を危険に晒すだけになる。だから、今から向かうなんてありえない。
つまり、避難地域は諦めなければならない。避難地域にいる、東鬼も氷織も。沢山世話になった晩翠家の男性の事も。
「ナキリ。避難地域へ行こう」
「グラもダメだ」
「なら、勝手に行く」
「なっ!?」
グラは僕の前で、仁王立ちをして腕を組んでいる。見るからに、絶対に折れる気がないといった様子だ。
「俺達は戦う。もう、誰1人として失いたくない。ナキリが大事に思う人間を、これ以上失わせる訳にはいかない。こんな気持ちにさせたのはナキリなんだから、責任取って」
「責任って……」
「もう十分休んだ。いける」
「……」
気がつけば、グラの背後に子供達も並んで僕に訴えるような強い眼差しを向けていた。燃えるようなオレンジ色の瞳達は真っ直ぐに僕を見つめている。
皆グラと同じだとでも言うのだろうか。
「ナキリ、さっさと折れて。俺達の気持ちはもう変わらないから」
僕は深くため息をついた。これには敵わない。
僕がダメと言っても、彼等は『僕の願望』を叶えるために、勝手に避難地域へ行ってしまうという事だ。
まさかこんな強行手段をとってくるだなんて。
当然彼等だけで行かせる訳にはいかない。これは僕が折れるしかないだろう。
それに何より、彼等は僕のために戦うと言うのだ。本当に参ってしまう。
「分かった。分かったよ。皆ありがとね」
僕は幼い子の手当を終え、立ち上がった。
「だけどこれだけは約束して。絶対に死なない事。いい?」
子供達は深く頷いた。グラも力強く頷く。
「行こうか。避難地域を助けに」
僕達はこれ以上大切な人達を失わないために。
避難地域へと向かったのだった。




