11章-8.求められる役割とは 2005.3.1
僕達は次に爛華がいる部屋へと案内された。ノリさんに続いて部屋に入ると、そこにはランカを含めて3人の女性がいた。
「百鬼君久しぶり!」
ランカは笑顔で僕に手を振る。そこには一切の影はなく、力強く美しい、ランカらしい笑顔があった。この日も変わらず、彼女は彩度の高い赤色の服を身に纏い、ハツラツとした印象だった。
その姿を見ると、僕の気持ちも自然と切り替わる。
「ランカさんお久しぶりです」
僕は彼女に近づき挨拶する。彼女のお腹は随分と大きくなっていたが、元気そうな様子にほっとする。
「お陰様で順調よ! やっぱり男の子だって! 間違いないみたい!」
「名前はもう、決めたんですか?」
「タイガ。漢字は『虎』に運河の方の『河』で虎河よ。トラみたいに、大きくて強い子に育って欲しくてね!」
トラとランカの子なのだから、とんでもなく強い子になるだろうと僕は想像する。
「強そう……」
グラは興味津々でランカのお腹を見ながら呟いていた。
相変わらず表情は紫色の長い前髪と黒いマスクに隠されて見えないが、少し嬉しそうだ。何となく雰囲気から伝わってくる。
「もしかして、この子が噂のナキリ君とグラ君?」
「そうよ!」
ランカの隣に立つ女性2人は僕達を興味深そうに見ていた。一人は、アッシュグリーンの髪をひとつに束ねた妊婦の女性だ。
ランカとほぼ同じくらいの大きさのお腹ということは同じくらいに生まれそうだなと思う。一重の瞼に赤い瞳。黄緑色のゆったりとしたワンピースを着ていた。
そして、もう1人の女性は肩下位までの長さの黒髪をひとつに結んだ女性だ。グレーのニットのセーターにジーパンを履いている。
ふわっとした柔らかい雰囲気で、僕と目が合うとニコッと笑った。
「紹介するわね! 妊婦仲間の六色 若菜さんと、先輩ママの東 桃さん。ここですっかり仲良くなっちゃったわ! こんな環境じゃない? 1人じゃなくて良かったって。本当にありがたいわね」
ランカは笑顔で彼女達を紹介してくれた。
モモと紹介された黒髪の女性の姓は東と言っていた。つまり、ノリさんと雪子鬼の血縁者ということだろうか。
また、ワカナと紹介された妊婦の女性の赤い瞳……。僕はその瞳を見て、かつて僕に『百鬼』と名付けた少女を思い出していた。少女とその父親は確かに赤い瞳だったと記憶している。
「本当は色々お喋りしたいけれど、あまりここにナキリ君を引き止めちゃだめね。この後は東鬼君に会って、その後避難地域の視察でしょう?」
「はい。その予定です」
「よろしくね! リーダー!」
「うっ……」
ドンッと鈍い音が鳴り、僕は顔を歪めた。ランカに背中を強く叩かれた。ガッツリ喝を入れてもらった訳だが、非常に痛い。
ランカは渋い顔をする僕を見て、楽しそうに笑っていた。
「リーダーって……?」
「麒麟を無事に制圧できたら、ナキリ君がリーダーになるのよ?」
「え? リーダーは暁さんでは……?」
「何言ってんのよ、あのタヌキはそんな面倒な事はしないわ。間違いなくナキリ君が担がれる事になるでしょうね」
「げ……」
確かに、武力の象徴だった牛腸も鮫龍もいなくなってしまったのだ。アカツキはあの性格だから、矢面には立たずに裏で舞台を動かそうとするはずだ。
そうなれば必然、表舞台で矢面に立たされるのは僕ということになる。
「ふふふっ。諦めなさい。ナキリ君なら任せられると、皆が思うから担がれるのよ」
期待が重すぎる。僕はまだ自分の手の届く範囲ですらしっかり出来ていないというのに。
そんな大きな物を背負わされるだなんて聞いていない。知識だって乏しいし、世の中の事を分かっていない。とてもじゃないが自分に務まるなんて思えない。
「もう、諦めが悪いわね。もう1発叩き込むわよ!」
「いや、それはちょっと……」
僕は思わず後退りしてランカから距離をとってしまった。その様子に、ランカ含め女性達は楽しそうに笑っている。
「ほら、もう行きなさい!」
僕達は強引に追い出されるようにして、ランカ達がいる部屋から退出した。
彼女の力強い笑顔を見ることが出来て良かったと思う。僕達に心配を掛けないために、気丈に振舞っているのだろう。トラを失って辛くない訳がない。こんな短期間で立ち直れるとも思えない。
もし僕がヒオリを失っていたらと置き換えて考えてみても、やはり無理だと感じる。僕には他者を気遣える余裕なんてないだろうと思うからだ。
だからこそ。ランカは人としても強いなと、改めて感じた。
***
次に案内されたのは、シノギのいる場所だった。そこは地上階に有り、向かうまでに何人もの人間とすれ違った。ここへ訪れた病人、怪我人、そして医療施設を運営する側の人間達。
どうやらシノギは、本人の意向で『避難地域に避難してきた人間』としてこの場所に滞在しているというのだ。ランカやヒオリの様に存在を隠してはいないという事になる。
その意図は非常に気になる所だ。何かしらの考えがあっての事だろうと思われる。
ノリさんが扉をコンコンとノックすると、室内からシノギの返事が返ってきた。そして、間もなくすると扉が開いた。
「ナキリさん。来ていただきありがとうございます」
シノギは松葉杖をついて僕達を出迎えた。
「もう、そんなに動けるの?」
「はい。晩翠家の薬がとても凄くて……。僕自身とても驚いています」
シノギの怪我は相当酷かった。一生ベッドで生活することになってもおかしくない程にボロボロだった。
それが今では、しっかりと立っているのだ。右足は無くなってしまったが、それ以外に欠損は無く、問題なさそうに見える。苦しんでいる様子もないので痛みも無いのかもしれない。
「僕がまだ子供だったから、回復が速かったみたいです。手術を受けた後は順調に回復できました」
彼は右手を閉じたり開いたりしてみせる。スムーズに動く様子を見ると、強がりでも何でもなく本当に回復できているのだと分かる。
「少し動かしにくい所はありますが、日常生活に支障はないです」
「良かった」
僕はその言葉を聞いて、本当に安堵した。
あの時、店へ助けに戻って良かったのだと、今になって感じてしまった。
命さえ助かれば良いとは言い切れない現状を見過ぎたせいだろう。過去の選択を全く後悔しないなんて事は無かった。
もしかしたら、死んでしまった方が良かったのではなんて、ふいに考えてしまう事があるのだ。だからこうして、あの時の判断と行動が良かったのだと思えた事は、僕にとっては非常に大きなことだった。
「あ、すみません。立たせたままで。座ってください。少し話したい事があります」
僕達はシノギの部屋に設置されたテーブルセットへ腰を下ろした。
彼に与えられた部屋は8畳程度の部屋で、僕達が座る4人掛けのテーブルセットの他は、デスクにベッド、クローゼットがある。水回り関係は共用の物があるので、そちらを利用しているのだと考えられる。
シノギは、デスクからノートパソコンを持ち出して、画面が僕達の方へ向く様にテーブルの端に置いた。僕はそのパソコンの画面に目をやる。
やはりシノギはこの避難地域で何かをやろうとしているようだ。ただ療養していただけ、ではなさそうである。
「僕は療養の間、この医療施設で他の避難者と同じように生活しました。とはいっても、実際はこうして立派な個室を頂いている時点で同じではないのですが、他の避難者達からは『酷い怪我を負ってこの地域へ搬送されてきた可哀想な子供』くらいの認識と思います」
「ふむ……」
なかなか面白い事をしているなと思う。
「医療施設に訪れる人達とコミュニケーションを取りながら、この避難地域の内部の状況を分析しました」
シノギには『人を読む力』がある。少ない会話からでも相手の考えている事を把握したり、行動を予測する事に長けているのだ。
避難地域の状況は定期的にノリさんから伝え聞いているが、恐らくそれとは全く別視点の情報が得られそうだと感じる。
「ここにいる人達のデータをまとめました。避難地域の運営に欠かせない人間と不穏分子のリスト。そして、こちらのリストの人間が『自分の頭で考える事の出来ない人間達』です」
「ほぅ……。つまりこの不穏分子が、流されやすい人間を使って何かしようとしてそうだと……?」
「はい。その通りです」
ノリさんは興味深そうに、シノギがテーブルで見せたパソコン画面を見ている。僕も、シノギがリストアップした『自分の頭で考える事の出来ない人間達』のデータを見る。要は、放って置くと反乱や暴動が起きるだろうと、シノギは警告しているのだ。
「割合としてはどれくらい? この流されやすい人達」
「3割を少し超えたくらいになります。しかし、それは15歳未満を除いているので……」
「成程。つまり僕は今日、その15歳未満の子達を中心に、彼らの認知と浅はかな考えをひっくり返せばいい?」
「はい!」
シノギは力強く答えた。相変わらずの鋭い目つきだ。そこには自信がみなぎっている。
「データを詳しく見てもいいかな?」
「もちろんです」
僕はシノギのパソコンを手元に置いて、記載された内容を確認した。隣に座るノリさんは僕の横からその内容を一緒に見ている。
ノリさんならば、その特異な記憶力で、この時間内に記載された内容は全て記憶してしまうのだろうなと思う。
「これは凄いねぇ……。この内容の1次情報は、東家の人間じゃ得られないね」
ノリさんが言うように、シノギが作成したデータから読み取れる避難地域の様子は、今までノリさんから伝え聞いていたものとは異なる。
個人に対しての解像度が非常に高い。ここに生きる人間達の生活感や心情、欲求やストレスがリアルに伝わってくる。
「運営側の人間には分からないことばかりだよ。シノギ君は凄いね」
ノリさんはシノギに微笑む。するとシノギは嬉しそうに照れていた。
これだけの精度の情報を収集し、かつ分かりやすく纏めることが出来るなんて、成長したなと感じてしまう。
「シノギありがとう。これだけの情報があれば、直ぐに動けるよ。今日はこの問題の人間達に接触するから、その後の経過観察も頼める?」
「はい、勿論です」
シノギのお陰で、今日この避難地域でやらなければならない事が明確になった。事態は想像以上に酷く緊急性がある。直ぐに向かった方がいいだろう。
僕達はシノギに礼を言うと、早速避難地域の視察へと向かったのだった。




