11章-6.願いとは 2005.3.1
長い地下通路の果て。金属の重い扉を開けた先には暗い上り階段があった。
懐中電灯の光だけを頼りに、僕達はゆっくりとその階段を上がって行った。
階段を上った先は、木造の小さな建物の内部のようだった。窓が1か所だけあり、照明が無くても何となく室内の様子が分かった。
この建物も倉庫の様な場所なのだろう。それ程広くない室内だが、壁際には沢山の段ボールが積まれていた。
「ここはもう避難地域だよ」
ノリさんはそう説明して屋外へ続く扉を開けた。
屋外に出るとそこは林の中だった。土が剥き出しの、舗装されていない道が目の前を通っている。
振り返って自分たちが出てきた建物を見れば、小さな木造の小屋だった。
「少し行ったところに、避難地域の中心エリアがあるから。少しはここよりも町っぽくなっているから安心してね」
ノリさんは苦笑していた。僕達が周囲の様子に唖然としているのを見て、フォローしてくれたようだ。
最初に林と小さな小屋と整備されていない道を見てしまったのだ。あまり期待が持てずにいる。
だが、この場所は避難地域の中心エリアからは、少し外れた位置と言うのだ。出入口と倉庫の機能を持った場所だからと考えれば、このみすぼらしさは納得できる。
僕達はノリさんの案内の元、避難地域の中心部へと向かった。
***
避難地域の中心エリアはバリケードに囲まれており、中心エリア内と外という区分けがくっきりとできていた。エリア内は、まさに開発途中の開拓地といった様子だった。あらゆる場所で建設工事が行われている。主要施設は鉄筋コンクリート造で、多くは箱型の2階建ての建物だった。
そして、個人の住宅は主要施設から少し離れた位置に密集していた。コンテナ形状の仮設住宅が綺麗に並んでいる。電気と水道は通っているようだった。
トイレや風呂、洗濯場などの水回りは共用の施設があるらしい。詳しくは視察の時にという事で、僕達は目的の医療施設へと向かった。
医療施設の建物は、避難地域の中心エリア入り口からは少し離れた位置にあった。位置関係を考えると、中心エリアへの入り口からは最も奥地にあると考えられる。
他の建物に比べて平面的にも大きく、鉄筋コンクリート造の立派な2階建ての建物だった。ただ、極端に窓は少なく内部の様子は分からない。
「医療施設は敵の襲撃を想定して、特に頑丈に造っているんだよ。いざと言う時は立て籠もる事が出来るようにね」
ノリさんは僕が疑問に思いそうな部分を先回りするように説明してくれる。敵の襲撃を想定して、建物自体に工夫が沢山されているのだろう。
色々と考えられているなと感じる。扉も重そうな鉄扉だ。
彼は早速その扉に付けられたセキュリティの盤を操作している。チラリとその手元を見るが、30桁以上の数字を高速で入力していた。
とてもじゃないが、手元を盗み見て数字を覚えて打ち込むなんて出来そうにないなと感じる。
そんな様子からも恐らくこの建物は、避難地域の人間でも一部の人間しか、入る事を許されていないのだろう。
ここも避難地域の出入りと同様に、東家の人間によって管理されているのかもしれない。
まもなくして、カシャッと鍵が空く音がした。ノリさんは扉を手前に開き、僕達に入るよう促した。
***
案内された先は、地下の空間だった。ノリさんの話によると、地上階は避難地域の人の為の医療施設で、地下は普段隠されているという。
氷織達がいることを知っているのは、この施設に常駐する晩翠家の男性と、東家の人達、そして元店主達だけらしい。彼等以外は、地下の存在すら知らないそうだ。
この地下への入口も、倉庫内に隠されていて、見つかりにくいようにされていたので、徹底的に隠す方針なのだろうと考えられる。
「僕もこの施設には初めて来るけれど、聞いていたよりは綺麗で安心したよ」
床は黒のプラスチックタイル、壁面は白のビニールクロスが貼られていた。ノリさんが言うように、汚れも殆どない上、医療施設らしく清潔感があり安心する。
改めて思うが、ノリさんも初めてこの施設へ来たと言うのに、一切迷わない事に驚く。東家内で細かく情報共有されているからだろうと想像はできるが、やはり信じ難い。
「さて着いた。ここがヒオリちゃんの部屋だよ」
ノリさんが止まった場所には、ひとつの引き戸があった。扉には何も書かれていない。表札の類は無いし部屋番号すら記載がない。
真っ直ぐな廊下に、転々とあった扉のひとつであり、言われなければどの部屋が何の部屋なのか分からないような設えだった。これもセキュリティのためなのかもしれない。
僕は自分の心臓がドクドクと勢いよく脈打つのを感じる。緊張しているようだ。もしくは恐怖しているのかもしれない。
僕は大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着けた。この扉の先で起こる事は受け止めなければならない。期待と恐怖を胸に、僕はノリさんの後に続いて室内へと踏み入れた。
***
室内には晩翠家の男性が待機していて、僕達を出迎えてくれた。そして、部屋の奥、カーテンの仕切りの向こうにヒオリが寝ていると言う。
「ヒオリさん。入っていいかな?」
「はい」
晩翠家の男性が声を掛けると、ヒオリの小さな返事が聞こえた。その声に僕の心臓は飛び跳ねる。
決して彼女らしい明るく元気な声ではなかった。どちらかと言えば、元気の無い絞り出すような声だった。しかし、確かにヒオリの声だ。姿は見えずとも、意思疎通が可能であるヒオリがすぐそこにいるのだと分かり、嬉しさから僕の心臓はさらに激しくドクドクと脈打った。
僕の前を行く晩翠家の男性は、カーテンに手を掛けてゆっくりと開く。するとベッドで横になっているヒオリがそこに居た。僕達が現れると、ヒオリは横になった状態のまま視線を僕達に向けたのだった。
彼女は変わらず沢山の管に繋がれ、あらゆる所に包帯が巻かれている状態だった。薄いブルーの患者衣を着て黒色のニットの帽子を被っている。顔色は悪く、とても回復しているとは言い難い。見るからに辛そうな様子に言葉を失う。
暫くの間、僕は彼女を見つめながらも何も言う事ができなかった。
用意していた言葉は、ヒオリを見た途端に消えてしまった。『最善』の言葉も分からないし、『最善』の振舞いすら分からない。
現実を受け止めるのに精いっぱいで、僕はただ無様に立ち尽くしていた。
ヒオリは晩翠家の男性に支えられながらも、ゆっくりと上体を起こそうとする。動く事で痛みを伴うのだろう。苦しそうな表情をしながらも、懸命に起き上がろうとしている。
そして、ようやく座った状態まで起き上がる事が出来ると、じっと僕を見上げた。
彼女の表情はとても固い。何を考えているのか察する事が出来ない。
かつての彼女は本当に表情豊かだった。僕に見せてくれる笑顔も、拗ねた顔も、怒った顔も、照れた顔も、どれもが輝いていて。
そんな彼女の考えている事なんて、顔を見れば何時だってお見通しだったのに……。
今じゃ何も分からない。何も察する事が出来ずに恐怖すら感じる。
「百鬼。久しぶりだね。来てくれてありがとう」
しかし、ヒオリに名を呼ばれて、僕の心臓は嬉しさで再び飛び跳ねる。
至極単純な僕は、彼女に認知してもらえただけでも嬉しくて舞い上がりそうだった。
そして、期待はどんどん膨らんでいく。確かに表情は硬いが、きっと上手くコミュニケーションが取れて、彼女の事が分かるのではないかと。
今の気持ちや望み、思っている事や考えている事。最近の生活の様子ややりたい事、何だっていい。彼女の事が知れるのではないかと。
「聞いてるよ? ナキリ達の活躍。麒麟を追い詰めてるって。誰も失うこと無く、的確に目的を果たしてるって」
ヒオリは視線を僕とは合わさずに、淡々と話す。
こんなに話すことが出来るほど回復した事に、僕はやはり嬉しさを感じる。見た目は酷い状態に変わりないが、精神面は予想よりもずっと良い状態だと感じて涙が出そうになる。
「その背中にある大きな鋏でナキリも戦うんでしょ? すごく強いんだって聞いたよ。その辺のプレイヤーよりずっと凄いんだってね」
ヒオリの視線は下を向く。どこか憂いのある表情だ。
「ヒオリ……?」
僕はその様子に何か胸騒ぎがして、ヒオリの名を呼ぶ。けれど、彼女と目が合うことはやはり無かった。
「あ、それから。他の子達も覚醒したって聞いたよ? 凄いね! 少人数ながらとんでもない武力なんだってね。沢山噂もされてるくらいだって。それに、ナキリ達の武力ってすごく評価されてて――。あ……」
その時、ポタリとヒオリの目から涙が零れた。
彼女自身その涙に驚いている様子だった。
そして決壊したように、ぽたぽたと涙が彼女の胸元に落ちて、服に染みを作っていった。
「ヒオリもういい! いいから……。無理して話さなくていい……」
僕はその姿を見て、堪らずにヒオリの言葉を止めてしまった。
分からない。
ヒオリの涙の理由が分からない。
察することが出来ない自分の不甲斐なさに嫌気がさす。
こんなにも辛そうに話す彼女を見ると苦しくなる。どうしたらいいだろう。何をしてやれば彼女の涙を止めることが出来るのだろう。
僕は彼女のベッドの際まで行き、床に膝を着くと顔を覗き込んだ。すると、ゆっくりと瞳が動いて、やっと僕と目が合う。
僕は彼女の頬に流れる涙をそっと拭った。
「ヒオリ。ごめん。僕には分からないんだ……」
彼女が考える事が分かればいいのに……。
「僕には何ができるだろうか……」
ヒオリが望むなら、何だってしてやりたい。僕が出来ることなんて限られてはいるが、もし出来ることがあるなら、喜んでやりたい。
それなのに、何ができるか自分で分からないだなんて。ただ、辛そうにするヒオリを見ているだけの自分が本当に嫌いだ。
ヒオリは何も言わず、ぎこちない動きで僕の手を取った。そして、いつかのように僕の手をそっと自身の頬に当てて目を閉じた。
「っ……」
僕はその姿を見て、再び何も言えなくなる。
僕の掌は彼女の頬を包み込み、そして温もりを感じる。
「あったかい……」
ヒオリは目を閉じたまま小さな声で言う。
そしてしばらくの間、彼女はその温もりを噛み締めるようにしていた。僕はそんな彼女をずっと見つめた。
彼女は今、何を思っているのだろうか。
少しだけ柔らかくなった表情を見て、僕はほっとする。もし拒絶されたらと思わなかった訳では無い。僕の事すら分からないままかもしれないと覚悟していた。
だから、こうして僕の手を取ってくれたことが、とても嬉しかった。
「ナキリ。一つだけ、お願いがあるの」
彼女はゆっくりと瞼を開けて、僕を見た。
「うん。僕にできることなら、何でも」
僕は優しく答える。
ヒオリが願うことなら、どんな手を使ってでも叶えたい。僕は静かにヒオリの願いを待った。
すると彼女は小さく頷いた後、僕の手を掴んだまま、今度は自身の胸元……、いや首元へと誘導する。
そして、自身の首へ。
「お願い……」
ヒオリは真っ直ぐに僕を見た。
その瞳に射抜かれる。
「私を絞め殺して」




