11章-5.東家のセキュリティとは 2005.3.1
「ノリさん、よろしくお願いします」
僕は運転席に座るノリさんに言って、助手席に乗り込んだ。
後部座席にはグラが乗り込む。すると間もなくして、僕らを乗せた車はゆっくりと発進した。
今日は避難地域内にある、医療施設へ訪問する事になっている。場所は極秘であり簡単には辿り着けない。地図を渡されても、僕達だけでは見つけられない様になっている事から、ノリさんに連れて行ってもらうのだ。
約2か月ぶりに氷織に会える。状態は良くなっているとは聞いている。意思疎通も可能だという話だった。
それを聞いて僕は期待していた。やっとヒオリと話す事ができるのだと思うと、込み上げてくるものがある。
ただ、同時に恐怖もあった。僕は彼女に何て声をかけたらいいのか……。ずっと考え続けているが、未だに分からないままだった。
当然、ヒオリと対面した際に、僕自身どう振舞おうかと、あらゆるパターンをシミュレーションしてみた。しかし、やはり分からなかったのだ。あまりにも解像度が低くて、これといった答えは出せなかった。
正直僕はヒオリの事で頭が一杯ではあるのだが、医療施設に赴く理由はそれだけでは無い。
医療施設には東鬼や爛華もいるのだ。彼等とも話せたらいいなと思っている。
ちなみに雪子鬼は精神面で特別なサポートが必要なので、東家の拠点にいる。そのため今日は会えないが、ノリさんからは順調に回復していると聞いた。
あの悲惨な状況下で、助かる命があって良かったと改めて思う。全員死んでしまったかと覚悟した時の絶望は、もう二度と味わいたくない。
あと見つかっていないのは鬼楽だが……。
未だに何の情報もない。生きている確率は低いだろう。東家に捜索を頼み、進捗を毎週聞いているが、結果は全くだった。
「行程だけど、まずは目的の医療施設に行って、その後避難地域全体の視察でいいかな?」
「はい。問題ありません」
今日の目的は医療施設への訪問だけでは無い。避難地域の視察も兼ねている。どんな運営をされているのかや、状況を把握するためだ。
現状特に大きな問題は起きていないと言う話ではあるが、住みやすい場所とは言い難い。故に、小さな問題は当然各所で起きているそうだ。僕達もこの避難地域に仲間を避難させてもらっているのだから、任せきりというのも良くないだろう。
「ノリさんは避難地域には何度か行ったんですか?」
「そうだね。初期の頃に2回訪問したよ。その時は何もない林の中という状態でね。仮設の小屋が並んでいるだけの場所だったかな」
最初は本当に何も無かったのだろう。それが今では医療施設まで出来上がっているのだから驚きだ。医療施設については、避難シェルターの環境よりもずっと良いと聞いている。
元店主達が頑張ったのだろう。何も無い所に街を造り上げる計画なのだから、その苦労は計り知れない。
「避難地域で今不足している物って何でしょうか?」
「不足している物だらけだから、何っていうのは難しいけれど。一番困っているのは武力かな」
「武力……ですか……」
確かに避難地域にプレイヤーは不足しているだろう。それにプレイヤーが避難地域の為に協力するとはあまり考えられない。
今避難地域に残っているプレイヤーの大半は、避難地域の中心人物である元店主達に付いていた専属プレイヤーくらいだろう。10人にも満たない低ランクプレイヤーしかいないと考えられる。
これでは麒麟に襲撃されればひとたまりもない。彼等が外部と戦うという選択肢は無いと言っていいだろう。
「勿論今後は外部に向けて武力を有している事を示して、牽制したいと言うのはあるんだけれど、今一番困っているのは、内側に向けた武力なんだよ」
「内側……?」
僕はノリさんが言わんとしている事を正確に読み取れない。避難地域内へ向けた武力が必要とは一体どういう事だろうか。
「元店主達だけでは、統率を取るのが難しくなってきたそうだ。牛腸君の店がやっていたようにとまではいかなくても、ある程度の武力を示していかないとそろそろ上手く回せないようだね」
「そうですか……」
避難地域が良くなってきたからこその悩みと言えるだろう。人間はなかなか現状に満足はしない。生活が少し安定すれば、やはり欲は出てくるものだろう。だが、現状の避難地域は明らかに弱い。まだ表に出てはいけないのだ。だから避難地域に住む以上、引き続き我慢が必要になる。
ノリさんの話から、同調圧力だけではどうにも出来ない所まで来たのだろうと察する。武力で抑えつけるとまではしなくても、避難地域のルールを破れば確実に罰せられるくらいの認識は必要不可欠だろう。
「僕達に出来る事はありますか?」
「うん。本当に申し訳ないんだけれど。百鬼君達の武力を貸して欲しい」
「分かりました」
元店主達が避難地域を運営しやすくなるように、僕達は武力を示せばいいのだろう。必要悪という事かもしれない。
会合時に暁から要求される立ち回りに比べたら、こんなお願いは可愛い物だ。そのくらいなんてことない。
僕はノリさんの要望を受けた。
***
車は静かに戸建て住宅の駐車場に止まった。
随分と郊外まで来た。僕達の拠点からは車で1時間程だろうか。車内から周囲を確認するが、そこは戸建ての住宅街だった。築30年以上は経っていそうな木造の2階建ての住宅が道沿いに立っている。住宅は過度に密集しているわけではなく、広い庭を有していたり、畑や空き地を挟んでいる。そんな場所だった。
遠くには山が見えていて、道沿いの木々も多い。人通りはなく、静かな場所だった。
僕はシートベルトを外して車から降りる。すると、ひんやりとした風を受けた。それは刺すような鋭い寒さだった。
どうやら僕達の拠点がある場所とは気候が少し違う様だと感じる。標高が異なるとか、地形によるものだろう。
「入り口は念入りに隠していてね。今日はここから入るよ」
ノリさんは戸建て住宅を指す。
ここから入る……とは……?
困惑する僕に、彼はニコっと笑うと、ためらいも無く戸建て住宅の玄関のカギを開けて扉を開いた。
僕とグラは顔を見合わせた後、静かにノリさんに付いて行った。
玄関から室内に足を踏み入れると、室内は住宅ではなかった。ノリさんが照明を付けたことで、内部の様子が明らかになる。土足のまま内側に進める様に土間がフロア全体に続いているようだ。入って正面に階段があり、2階にも行けるようになっていた。
1階のフロアは大空間で、端にいくつか扉が設けられているので、小部屋があるようだ。室内の壁際には沢山の段ボールが積まれていた。
この建物の機能としては、倉庫だろうか。外観からは想像のつかない室内の様子に、僕は息を飲んだ。
「ここはね、倉庫として活用しているんだよ。ここに避難地域へ持っていく物資を一時保管していてね。避難地域への入り口は、この建物の地下から、地下通路で向かうんだよ」
ノリさんは奥の方に設けられた扉の一つを開く。その扉の先を覗き込むと、暗い下り階段だった。地下通路に繋がっているのだろう。
彼は懐中電灯を取り出して点灯する。
「暗いから、足元に気をつけて」
懐中電灯が照らす階段を僕達はゆっくりと降りていった。
***
階段を降りきった所には、真っ暗な横穴があった。まるで下水道のような雰囲気だ。幅は2メートルあるかどうか位、高さも2メートルを少し超えたくらいの地下通路が続いている。
空気の対流が殆どないからだろう。まとわりつくような湿気と埃っぽさを感じる。
「この先はね、迷路になっているんだよ。間違った道には罠も仕掛けられているから、絶対に東家の人間の案内無しに進んではいけないよ」
僕達は頷いた。
「罠の設置位置は定期的に手動で変えるんだけれど、その位置も東家の人間にしか分からない仕組みだからね」
徹底的なセキュリティに驚かされる。
「だから、絶対にはぐれないように付いてきてね」
僕達はノリさんに続いて、暗く細い地下通路を進んで行った。
通路の構成は非常に複雑だった。通路自体真っ直ぐではなかったり、5つに分岐する場所まであり、進むほどに方向感覚を失ってしまった。
また、道に目印となるような物は何一つない。ずっと同じ造りの道が続くだけなのだ。感覚がおかしくなって気が狂いそうになる。
それでもノリさんは全く迷うことなく進んでいく。これが東家の人間だけが持つ、特殊な記憶能力が成せる技なのだろう。常人とは明らかに異なると実感する。
そして、本当にノリさんを見失ったら終わりであると感じるほどに寒気がした。
「今は何よりも麒麟に見つからない事を重要視しているから、避難地域の人間は東家の協力無しに出入りできない状態でね……。不便さはやむなしとしているんだよ」
自由に出入りが出来ないとなると、ストレスが相当溜まるだろうと容易に想像出来る。だが、今の状況下では我慢する以外ないだろう。
知れば知るほどに、避難地域の運営は困難だろうと想像できた。
そして時間にして言えば30分程度。ついに僕達はたどり着いた。
「この扉の先が避難地域だよ。お疲れ様」
目の前に現れた、金属製の重そうな扉。防音室の扉のようなレバー型の大きなドアノブが付いている。
ノリさんはガシャンとそのレバーを下げて扉を開けた。




