10章-7.相互利用とは 2004.12.18
僕達はシェルターに戻った。武器の手入れをし、シャワーを浴びて。僕は氷織がいる医務室へと向かう。
時間があるなら少しでもヒオリの傍にいたい。まだ寝ているだろうか。僕はそんな事を考えながら医務室の扉に手を掛けた。
しかしその時、中から話し声が聞こえて。
僕はその場で固まってしまった。
意図せず僕は気配を消していたからだろう。中から聞こえてくる話し声は、僕が扉のすぐ傍にいても続けられた。
「彼女の状態は?」
「正直言って、絶望的だよ」
ノリさんと晩翠家の男性が話しているのだろう。
「ノリさんはどうして彼女の延命を? 生きていても彼女は辛いだけだろうに。投薬だってタダじゃない。東家だって余裕がある訳じゃないでしょうに」
「うん。でもね、彼女には生きていて貰わないといけないんだよ」
「どうして……。この麻薬は本当に酷い。ノリさんもよく知ってるでしょう。こんな若い子が……、立ち直れる訳が無い。安楽死させてやるのが優しさなのでは?」
「そうだね……」
ノリさんの声は暗かった。一方で、晩翠家の男性は苛立ちすら感じていそうな声色だ。
「もしかして、彼のためか……? 彼を動かす為に……、彼を麒麟と戦わせる為に彼女を生かしていると……? そんな事ッ――」
「その通りだよ。彼に戦ってもらうために、僕は彼女を無理矢理生かしているんだ。僕は酷い人間だね。本当に……。彼女が死んでしまったら、百鬼君はもう動けなくなるだろう。彼の精神は鬼人達にも伝播するから。そうしたら、皆生きることを辞めてしまうかもしれない……」
「くっ……。確かにそうだ。だが、それでも……。それに、これは大人達が始めた戦いだ。そこに彼等子供達を巻き込むなんて。今までは、彼にとって大切な彼女を探すためだったと言えたから……」
「うん。君が言う事が正しい。彼女が見つかったのだから、彼ら子供達はもうこの戦いからは外して、安全な場所へ何とか逃がしてやる方向で動くべきだよ。だけど、僕達には彼らの武力が必要なんだ」
「くっ……。ノリさんの考えは……、分かり……ました。私も共に。その罪を背負います」
「ごめんね。君にも苦しい思いをさせてしまうね……」
僕は扉の前で立ち尽くす。
ノリさんの思惑を知って、正直ショックだった。だが、十分に納得も出来ていて。
ノリさんが言ったように、僕の強い感情はダイレクトに鬼人達に伝わってしまう。そして、僕と同じ状態へと引っ張ってしまうのだ。
だから、僕が戦えなくなったら、鬼人達も皆戦えなくなってしまう。戦力は格段に落ちてしまう。
そうなれば、このシェルター自体の防御力は下がるし、麒麟を倒しきれないかもしれない。それは、多くの人にとってマイナスとなる。
だから、全体の幸福を考えるならば、ノリさんが行っている事は、妥当だと僕は感じる。理解出来てしまう。
もし、ヒオリが死んでしまったら……。
僕は想像する。やはりノリさんが言ったように僕は一切戦えなくなるだろう。何もかもを捨てて、すぐに後を追ってしまうかもしれない。
少なくとも、生きる事に価値を見いだせなくなるだろう。そうなってしまえば、何も成し遂げられない。
僕は思い切って医務室の扉を開けて中に入る。すると話していたノリさんと晩翠家の男性は、目を丸くして僕を見ていた。
「すみません。盗み聞きするつもりはなかったんですが……」
僕はそう言って真っ直ぐにヒオリの元へ。ベッドの近くに置かれた丸椅子に座り、寝ているヒオリの手を握った。
指先まで丁寧に包帯が巻かれている。だが、そこに確かにある温かさを感じて僕は安心する。
それでも、彼女に繋がれた沢山の管を見ると、やはり心臓が締め付けられる。ただ寝ているだけではないのだと、見せつけられている気分だ。
「ノリさん。ノリさんは今後も僕達を利用してください。僕はそれで構いませんから」
「ナキリ君……」
「その代わり、1つ聞かせてください。何故ノリさんは僕達に協力的なんでしょうか? 僕達の生活費だけでも相当なのに、東家の情報網で得た貴重な情報を、何の対価もなく与えてくれるなんて、まるで身内かのような待遇です。流石に戦力として使えるから……だけではありませんよね?」
「……」
僕は振り返り、背後に立っていたノリさんの顔を覗き込んだ。彼はポーカーフェイスが得意だろうし、感情を隠す事も上手だ。だから、顔を見たからと言って、確かな情報が得られる訳では無い。
でも僕は、彼がどんな顔をして答えるのか気になった。だから彼をじっと見つめた。
するとノリさんは、ゆっくりと口を開いた。
「そうだね。ちゃんと話さないのはフェアじゃないね。隠し事ばかりしておいて、君達を良い様に使うなんてのは不公平だね。僕が君に友好的な理由は簡単だよ。雪子鬼ちゃんが望むからだ」
やはりセズキだったかと僕は思う。
東家の血縁者であるセズキが望むから、ノリさんは僕達にとても親切にしてくれると言うのだ。
理由のない親切などありえない。理由がハッキリして僕は安堵する。
とはいえ、血縁だからという理由だけでセズキを大切にするというのは、僕にはあまり共感できない事だった。東家が特別なのか、それともノリさんの性格か……。
真相は分からないが、僕達にとってそれは非常に都合の良い事である事は間違いない。
ノリさんが僕達の戦闘力を利用するのだ。僕達も、遠慮なくセズキとの繋がりによる恩恵を利用させてもらおうと思う。情報に生活費、加えてヒオリの治療に掛る費用。そう考えると、僕達はもっと働かないとダメかもしれないとすら思えてきた。
「彼女がね、ナキリ君達を悪いようにしたら許さないと。あんな状態なのに言うんだから。それに、いつかしっかり記憶を克服して、ナキリ君達の所へ戻りたいと言っているんだよ。戻るために頑張るんだとね」
「そうですか。だから、僕達に死なれては困るって事ですね。彼女が戻る先を無くさないために。また、セズキが元気になった時に世界が壊れていたら意味がない。だから僕達に戦わせると」
ノリさんの回答は非常に理解のできる物だった。彼にとって大切なセズキの願いだから、僕に良くしてくれる。そしてそれは結果セズキの為になるからというのだ。分かり易くて良い。
下手に本音を隠されて、慈善的なもっともらしい理由を述べられるよりずっとマシだ。
それに、終始彼は僕の目をじっと見て述べた。一切視線を逸らすことなく、まっすぐに伝えてきたのだ。
その様子からは誠意が伝わってくる。隠し事はまだあるのかもしれないが、嘘を言っているのではないだろうなとは感じた。
「もう面倒な事はやめましょう。過剰な気遣いもいりません。僕達は東家の情報網と資金を今後も利用して優位に活動する。そして、ノリさんは僕達の戦闘力を利用して目的を達成する。これでいいじゃ――」
ピクリ。
僕の手は確かに動きを感じた。
その驚きで僕の言葉は止まる。そして、視線を寝ているヒオリへと向けた。
確かに僕が握る彼女の手が動いたのだ。
ほんの僅かな動きだが間違いない。
「ヒオリ……?」
声を掛けると、ほんの少しだけヒオリが動く。目が覚めたのだろうか。ヒオリの顔を覗き込む。するとうっすらと瞼が開いた。
「うっ……」
ヒオリは小さく呻き声を上げ、顔を歪める。きっと痛みを感じているのだろう。
しかし、何もしてやれない。もどかしさを感じる。
「ヒオリ? 分かる?」
僕はヒオリの視界に入るように乗り出す。
しかし、その時だった。
「ぃ、嫌ぁあぁぁああ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ッ!!!」
ヒオリはカッと目を見開き、突然叫び声を上げると、僕の手を力いっぱい振り払った。
「ヒオリ落ち着いて。僕だよ」
「嫌ッ! 触らないで! 痛い痛い痛い痛い痛いッ!!」
僕はヒオリの肩を掴み抑える。複数の管が繋がっているのだ。暴れては危険である。
だが、ヒオリの力は凄まじく、僕は跳ね除けられる。まるで通じない。僕の言葉は一切彼女には通じていない。
それでも僕はヒオリを抑える。ベッドから転げ落ちてしまえば怪我が悪化してしまうのだ。
「薬ッ! 薬を頂戴!」
「ヒオリ、ごめんね。薬は無いんだ」
「何でッ!? 何でよ!! 苦しいッ! 痛いッ! 嫌ァァァァ!!! なら、殺してよッ!!!」
「っ……」
ヒオリはなおも暴れる。薬をくれと僕に強請る。何でもするから、薬をよこせと。
ヒオリは何度も僕を叩いた。腕や胸を思いっきり殴られる。だが、そんなもの痛くなどなかった。
それ以上に僕は、僕の心が引き裂かれそうな痛みでどうしようもなく、壊れてしまいそうだった。
これが現実なのだ。
そう神にでも言われている気分だった。
「ナキリ君。これ以上暴れると彼女自身で体を壊してしまうから。眠らせるよ」
「はい……」
ヒオリを懸命に抑える僕の背後で、晩翠家の男性が別の点滴を設置していた。そして、まもなくするとヒオリは眠ってしまった。
僕は彼女の乱れた包帯を巻き直す。1度外してみれば、正常な皮膚なんてどこにも残されていないくらい、火傷や傷だらけの皮膚があらわになる。
僕はそれを見て分からなくなる。他のプレイヤー達と一緒に死んでしまった方がヒオリは幸せだったのでは無いだろうかと。
僕のせいで彼女は捕虜となったのだ。僕に対して有効な人質という価値が存在していたために、こんな目にあってしまった。
生きてさえいればなんて……。本当に僕は身勝手だった。
ヒオリの事を思いやれば思いやるほど、間違った事をしているのだと感じて、地獄に突き落とされるような気分だ。
でもだからといって、ヒオリを死なせるなんて出来やしない。ヒオリの殺してくれと言う言葉は僕の心を深く抉った。
薬を強請る姿を見ると、そこにヒオリらしさなんて欠片も残されていないのではと感じてしまう。
麻薬はその人の人格すら壊してしまうというのだから、もうヒオリはヒオリではないのかもしれない……。
考え方も歪めてしまうという。僕はヒオリならきっと大丈夫だと、心のどこかで考えてしまっていた。そんな訳ない。そんな都合のいい話、あるはずかない。
ヒオリは特別精神が強いわけじゃないのだ。どこにでもいるような、普通の女の子なのだから。
「今彼女は、中毒症状と酷い禁断症状が出ていると考えられる。幻覚や幻聴も酷いはずだ。きっと君の事を認識できない。薬を手に入れたいという欲求しかない状態だろう」
晩翠家の男性は淡々と説明する。
「禁断症状が出ている間、彼女は高熱にうなされている時のような苦痛を味わうはずだ。薬を摂取すると、その苦痛からは解放されるという事を知っているから、薬を欲しがるんだよ」
僕はアルコールくらいでしか依存や中毒の感覚は分からない。確かにアルコールを接種すると気持ちよくなり、痛みに鈍感になる。
依存症とは、その心地よい状態がデフォルトになってしまって、不足すると不快感を覚えるといったものだったはずだ。だから、薬物を探し求めて接種を続けてしまう。
また、中毒症状でいえば、急性アルコール中毒だろうか。僕は初めて飲んだ時に飲みすぎて、危なかった事を思い出す。
過剰摂取によって命の危機だった。ヒオリも今、その薬物によって体が痛めつけられているということなのだろう。
「2から3ヶ月は恐らくこのままだ。禁断症状で辛い思いをするだろう」
「分かりました」
ヒオリの痛みを少しでも肩代わり出来たらいいのにと。僕は出来もしない事を願う。
乱れた包帯を巻き直し、僕は彼女に優しく布団を掛けた。
「今日はもう少し、ヒオリの傍にいます」
僕は何をする訳でもなく。丸椅子に座って、ただ静かに彼女の寝息を聞き続けた。




