10章-5.イレギュラーとは 2004.12.18
「氷織。行ってくるよ」
僕は医務室のベッドで眠っているヒオリに告げる。
彼女が見つかった日の翌日。僕は朝から彼女の病室を訪れていた。何も出来ることなんてない。それでも、ずっと彼女の傍にいた。
今は投薬によって深く眠っているらしい。昨夜一度意識を取り戻したそうなのだが、酷い禁断症状が出て苦しみ暴れたため、直ぐに投薬して寝かせたそうだ。
幻覚や幻聴の症状が出ているとの話だった。暫くは禁断症状が続くだろうと、晩翠家の男性が言っていた。
僕はヒオリの頬を撫でる。温かい。ここに生きているのだと感じると、涙が出そうだった。
名残惜しさを感じつつも、医務室を後にする。
そして気持ちを切り替える。
今日はこれから新しいメンバーを加えて、麒麟の重要拠点を潰しに行くのだ。
僕が屋外に出ると、そこにはメンバーが揃っていた。グラ、天鬼、鬼兄弟。斗鬼、鬼神野、鬼百合。いつもの覚醒組に加え、今日から幼い鬼人の子達とは入れ替えで加わった、10人の鬼人の青年達だ。
事前の打ち合わせで殆ど作戦は決められている。後は実行するのみの状態だ。
「お待たせ。行こうか」
僕達は出発した。
***
襲撃の対象は、麒麟の傘下である武力組織の拠点だ。それなりの規模だ。その拠点を潰すことで、麒麟の戦力、及び資金源にダメージを与える事が出来るという話だった。
SSランクのプレイヤー2人、Sランクプレイヤーが10人、さらに他にも沢山の構成員がいるのだから、相当な戦力である。
この武力組織は周辺地域に元々住んでいた人間から多くの金を巻き上げている。麻薬なども使用してコントロールし、生かさず殺さずの状態で搾取していた。まるで深淵の摩天楼が行っていた統治の方法そのままだ。
「百鬼。来た」
グラはいち早く敵の接近を察知する。僕は狂気を纏った。そして一気に解放した。新しく今日から加わった青年達は、僕の狂気に適応できているようだった。問題は無さそうだ。
僕達は1つの集団のまま、敵が接近する方向へと一気に駆け出した。
僕は走りながら背負っていた鋏を手に取り、分解する。
グラと共鳴し感覚を共有しているから分かるのだ。僕の護衛に人員を割くほどの余裕なんて一切無いという事に。
僕自身も狂気を纏って戦わなければならない。
そしてついに敵陣営とぶつかり合う。各所で金属がぶつかり合う激しい音や発砲音が響く。僕は全員の位置を確認し共有している感覚から状況を瞬時に把握する。
フォローが必要な所、勝てそうな所等。僕は誰一人として失うつもりは無い。僕達の連携力をもってすれば可能なはずだ。
僕は思考しながらも、敵の攻撃を鋏の刃で受け止める。2つの刃をクロスさせて敵の刀の攻撃を止めていた。ぎちぎちと押し合い、金属から火花が散る。
「なんだなんだ~? あんなにコソコソ隠れ回って、ヒット・アンド・アウェイしていた副店長君じゃないか~!」
刀を持つ男は顔を歪めて嫌味たらしく言う。随分と余裕そうだ。この男はどうやら強い。押し合いで僕が勝てる見込みはなさそうだ。
それならば――。
「おぉっとぉ!! あぶねぇな! 2人掛かりか~?」
僕は近くで手の空いた天鬼を使い、男の背後からの攻撃を繰り出す。しかし男はその攻撃を軽々と避け、僕達から距離を取った。
「成程な~! これがお前らの無言の連携と。噂には聞いていたが面白いことするじゃないか~!」
刀を持った男は楽しそうだ。戦闘狂だろうか。
見た目は30代くらいで、体形は筋肉質。身長も高く180センチメートルを超えていそうだ。武器は刀1本。長袖の無地の白いTシャツに、明るい色合いのジーンズと非常にラフな格好をしている。よく見れば靴はサンダルだ。雪が降るほどの寒さにサンダルだなんて理解できない。
また顔面には刺青が入っている。とても特徴的な見た目だ。1度見たら忘れられないような特徴は、高ランクプレイヤーらしいなと感じる。
「ナキリさん。この人僕より強い。強いの隠してたみたい」
「ふむ……」
僕は周囲の状況も確認した。グラと鬼兄弟はSSランクのプレイヤー2人の相手をしている。ここは動かせないだろう。
他は、各所で戦闘が繰り広げられる。そちらも現状余裕があるわけではない。アマキよりも強い相手に対して、僕が出来る事は無いに等しい。むしろアマキの邪魔をしてしまうだろう。
「グラ兄じゃないとダメかも……」
「そっか」
つまりこの男はSSランクプレイヤーでも上位なのだろう。僕達では倒せないという事だ。凌ぐしかない。
と、その時だった。
「ようは相談なんだけどさ」
「なっ!?」
キンッと金属のぶつかり合う音がして、気が付けば僕の眼前に男が迫っていた。咄嗟に構えた鋏の刃で男の刀を受け止めていた。アマキに至っては今の一瞬でこの男に蹴り飛ばされて遠くに吹き飛ばされていた。
一体今の一瞬で何が起きたのか。
全く理解が追いつかない。
男の鋭い眼光に射抜かれるようだ。僕をじっと見て男は不敵に笑う。この鍔迫り合いだって、男が加減しているからこそ押し合っているように見えているだけだ。男が本気を出せば、僕は直ぐに押し負けて真っ二つにされるだろう。
「坊主! 動くなよ? 分かるよなぁ? この状況」
蹴り飛ばされるも直ぐに立ち上がってこちらに向かってこようとしたアマキに男は言う。
男はアマキに対して、それ以上動けば、僕を殺すと言っているのだ。アマキは動けずに男をキッと睨む。
「相談だよ。俺は強い。もし見逃してくれるなら俺はこの場から直ぐに立ち去る。どうだ?」
どうだも何もない。麒麟の人間を逃がす気など無い。
「俺は麒麟の人間じゃない。スパイだ。麒麟の内部調査をするために一員のフリをしているだけだ。だからお前たちと戦う気は一切ない」
そんな話、信じられる訳がない。
「んー。これでもダメか〜。ならお前と戦っているように見せるだけでいいから。裏切りを麒麟の人間に見せたら潜入できなくなるから困るんだよ。いや、8歳になる息子が麒麟に捕まっちまって探してるだけなんだが……」
いよいよ怪しい。今度は同情を誘いにきたのだろうか。悪いがそんな嘘に騙されたりはしない。
「全然信じてもらえないな~。困った困った」
男は笑っている。どれだけ余裕なのだろうか。確かにこれだけの実力差だ。僕を殺す気ならば簡単に殺せただろう。
そう考えれば、男と敵対が避けられるという提案は悪くない。だが、やはり信用ならない。
「まぁ、そりゃぁそうか~。お前等にも都合があると。いいよ。2人で掛かってきな。遊んでやる。周りの麒麟の奴らが死んだら俺は逃げさせてもらうよ〜」
男は瞬時に後方へ飛んで僕から距離を取ると、左手をくいっくいっと手招いて僕達を挑発する。
「ナキリさん……」
アマキは近くに来て、不安そうに僕を見上げる。どうしたものか。僕は携帯電話を取り出した。そしてノリさんへと掛ける。
「あ。ちょ! お前! 何電話してんだ!」
男が慌ててギャーギャー言い始める。が、襲ってくるわけではないので無視だ。
「ノリさん。今平気ですか?」
『うん。平気だよ。どうしたの? 問題があった?』
「はい。刀を使う男が現れました。事前資料に無い高ランクプレイヤーです」
『ん……、それはおかしいね。特徴を教えてもらえるかな』
僕は男をチラリと見る。男は渋々といった様子で、僕が電話を終えるのを待っているようだ。腰に手を当てて不服そうな顔をしている。
「身長180センチメートル以上、筋肉質な体つき、年齢は30代……後半?」
「前半だよ!!! 失礼な奴だな!」
男は声を荒らげる。
「年齢は30代前半らしいです。それから武器が刀1本。服装は長袖Tシャツにジーンズ。サンダルを履いています。アマキの見立てだと、渡り合えるのはグラくらいだと……」
『顔の特徴は?』
「顔は……」
僕は再び男を見る。
「顎鬚を生やしています。顔の雰囲気は……ガラが悪そうというか……。首元から頬、左目の上あたりまでにかけてタトゥーが入ってます。髪は黒色でパーマを掛けているのか癖毛、長さは肩下程度。後ろで1つに結んでます」
『あぁ。分かった。彼は麒麟の人間じゃないから。どうせ逃がしてくれとかなんとか言ってきたのかな?』
「はい。その通りです」
どうやらノリさんに心当たりはある様だった。男が言った通り麒麟の人間ではないらしい。
『悪いんだけれど、適当に戦っているフリして逃がしてあげて。ごめんね。事前情報に無い変な人が現場にいて申し訳ない』
「いえ」
僕は携帯を胸ポケットに仕舞った。そして男を見る。
「裏が取れたから。要求を飲むよ」
「おう、ありがとな!」
男はニヤリと笑った。完全に悪人顔だ。悪い人間にしか見えない。本当に逃がしていいのか不安になるが、ノリさんが言うのだからこの男は本当に麒麟の人間ではないのだろう。
「せっかくだ。手合わせしてやるよ。2人で全力で掛かってきな」
男は刀を構える。その佇まいは本物だと僕は直感的に思う。どこにも隙の無い構えに、僕は緊張してゴクリと唾を飲み込んだ。
僕はアマキとアイコンタクトを取る。そして思いっきり地を蹴り、男へと全力で切りかかって行った。




