2章-1.他店とは 2000.8.2
僕達が生きるこの社会は、表と裏、光と影というように2つの世界に分かれているというのが僕の認識だ。
当然僕たちは裏の人間、影の人間だ。表の人間を『一般人』、『白』と称する一方で、僕達の事は、『黒』や『グレー』等と称される。
一般人達は法によって守られそして裁かれる。そういう仕組みで運用されている。戸籍を持っているというのも一般人の特徴だと思う。
一方の僕達にはそんなものは一切無い。そして法が適用されない。法という基準で裁かれることもなく守られることもない。
それが良い事か悪い事か、それを断言するのは実は難しい。
僕のような武力も権力も財産も地位も後ろ盾もない人間からすれば、それは明らかに悪い事と言えるだろうが、裏側の人間の上層部――『あらゆるものを持つ者』からすると、面倒な縛りからは解放されたという認識になるらしく、生きやすいのだと聞く。
そんな社会に僕は生きている。『一般人』達は僕らのような存在がいる事自体知らないだろう。同じ空間に存在していようとも、交わる事は無い。そんな関係性だ。
隣町の駅に着いた僕は、楽しげに笑う学生たちのグループや、親子などを見て何となくそんな事を思ったのだった。
手を伸ばせば届く距離にある平和との間には、一生手が届かないほどの隔たりが存在している。そう突き付けられている気分だ。
時刻は昼過ぎ。今日はこれから、暁の店へ手伝いに行く。
他の店へ行く事自体初めてだ。勝手も何も分からない。一体他の店はどんな様子なのだろうか。
僕は、不安よりも好奇心の方が勝っていた。隣を歩くグラは、一般人の社会にも溶け込めるよう、いつも程怪しい見た目はしていない。
目立つ紫色の長髪は一つに束ね、黒のジャケットの内に収納していた。ジャケットの内側は白のシャツを着ており、下半身もジーンズだ。キャップを深くかぶっているので、相変わらず表情はイマイチ分からないが。
一方の僕も、身だしなみには気を使っていた。
『副店長らしい見た目』にしろと店主からはキツく言われているのだ。それなりに値の張るシャツやジャケットを身に着けている。
「荷物持ってもらって悪いね」
僕はグラに声を掛ける。解体に必要な道具は全てではないが店から持ち出している。それなりの荷物になってしまった。
僕だけでは到底持つことができなかったため、グラにも手伝ってもらっていた。
彼は首を横に振る。気にするなという意味だろう。
駅から目的の店を目指して僕達は歩く。駅前の商店街を抜けるのが最短ルートであるため、僕達は迷わず商店街を進んだ。
一般人達が作り上げた街は非常に明るく平和で非現実的だ。誰もが表情が柔らかく空気感も穏やかだ。異世界にでも来てしまったかのような感覚になる。
だが、これも紛れもない現実だ。普段僕が目にする凄惨な社会のほんの数メートル先にある別世界。格差。生まれた環境の差でここまでの差があるなんて、知りたくもない。
と、嫉妬に呑まれそうになった僕は小さく息を吐く。
無意味な思考は止めるべきだ。それに、隣の芝生は青く見えるものだ。彼等には彼等にしか分からない苦難や葛藤が存在するはずだ。それを無視して一方的に妬むなど馬鹿げている。
事実一般人達はよく自殺する。それだけ追い詰められるような状況があるのだろうと察する。
それはきっと僕には一生分からない事だ。知る必要もない。それはそういう物としてみるべきだろう。
別に今更僕は『一般人』になりたい等とは思っていないのだから。
商店街を抜けた先、僕達は建物と建物の隙間のような、本当に細い道を進む。その道は薄暗い。人の気配もなければ音もしない。本能的にこういう道は進みたくないと感じるものだ。
故に一般人達からは認知の範囲外のエリアになり得るのだろう。
薄気味悪い道を10分程度進むと、目的の場所である暁の店が現れた。鉄筋コンクリート造の飾り気のない10階建ての建物だ。
1階が店としての構えであり、上階が関連施設になっていると聞いている。僕たちの店よりも圧倒的に規模が大きい。従えているプレイヤーの数も、雇っている従業員の数も多いのだろうと想像する。
周囲を確認するが、目視できる所に人間はいない。
しかしながら何となく嫌な視線を感じる。どこかから見られているのだろうと思う。あまり歓迎されてはいないのだろうなと何となく感じた。
「百鬼。離れないで」
「分かった」
グラは視線をどこか遠くに向けながら言う。
恐らく周囲に潜んでこちらの様子を伺っている人間達に狙われているのだろう。下手にグラから離れれば、武力を持たず戦えない僕は殺される可能性もあるのだと察する。
僕はグラと足並みをそろえながら暁の店の扉を開けた。
***
室内に入った瞬間、室内に待機していたプレーヤーと思われる人間達から鋭い視線を向けられた。
明らかに敵意を含む視線には、所謂殺気という物が含まれているのだろうと思う。これはグラが居なければ即刻殺されていたかもしれない。店主がグラを僕に付けた理由が良く分かった気がする。
室内は明るく清潔だった。正面には大きなカウンターがある。事務員と思われる女性が2人おり、奥は執務室の様だ。僕達の店とは明らかに異なる設えに驚く。
とはいえ、この殺伐とした空気感は、流石殺し屋に仕事を仲介する店と言わざるを得ない。僕はそのままカウンターへ向かい事務員の女性へと近づいた。
「ナキリです。本日は暁さんに呼ばれて参りました」
「はい。ナキリ様ですね。アカツキからは聞いております。どうぞこちらへ……」
事務の女性は直ぐに立ち上がり、案内をしてくれる。建物奥にあるエレベーターへと向かうようだ。僕達は彼女の後を付いて行った。
***
僕達は最上階にある応接室へと通された。
応接室の設えはとても金がかかっていると思えるような様子だった。グレー系の色合いで統一された空間だ。
女性に案内されるまま、部屋の中央にあるソファーに座る。石材の光沢のある天板のローテーブルには、アイスコーヒーが置かれた。その後女性は去って行ったため、応接室には僕とグラだけが残された。
「今日はナキリの指示に従うように店主から言われてる。だから指示して欲しい」
「分かった」
グラはそれだけ言うと、出されたアイスコーヒーを少し飲んだ。
「毒は入ってない」
「ありがとう」
もし毒が入っていたらどうするんだと思うが、グラはある程度は毒に耐性があるらしい。こうした飲食物に盛られるような毒ならば大抵は問題ないと資料にあった。
とはいえだ。僕が手を付けなければいいだけなのにと思ってしまう。
しばらく待っていると、ゆっくりと応接室の扉が開いてアカツキがやって来た。僕達は立ち上がりお辞儀をする。
アカツキは紺色のポロシャツにベージュのパンツ姿だった。少し白髪の混じった黒の短髪をしっかりと整えたスタイルで、相変わらず優しそうな笑みを浮かべていた。
「今日は遠くまでありがとう。どうぞ、座って。早速だけど、業務の詳細について説明しよう」
アカツキが正面のソファーに座るのと同時に僕達も座り直した。
「僕の店でも優秀な雑用係を増やしたいんだが、どうにも上手くいかなくてね。見本を見せれば少しはマシになるかと思ったんだよ」
アカツキはそう言って話し始めた。話をまとめると、現在アカツキの店に所属する雑用係達は、解体業務が上手に出来ないのだという。
このままだと、バイヤーも集まらず収益が減ってしまうため、指南して欲しいそうだ。
アカツキは本物を見せれば理解できるはずだ等と言うが、良く分からない。とりあえずは、やって見せればいいのだろうと思う。
そして、今晩この店で解体ショーをやるそうだ。そこで僕が実際にやって見せればいいとの話である。その際に、雑用係達へレクチャーもして欲しいとのことだった。道具の使い方や心構え等を教えるよう指示された。
「さて。大まかな説明は以上だ。次に、せっかくこんな所に来てくれたんだから、少し君にネタバラシをしようと思う」
アカツキはそう言って話を続けた。ネタバラシとは一体何だろうか。何か重要な事実を明かすという事だろう。僕は身構えた。
「ナキリ君は、他の店に訪問するのは初めてだろう?」
「はい」
「まぁ、それはそうだよね。他店に足を踏み入れるなんて自殺行為だ。用が無ければ絶対にやらないだろう」
アカツキはそう言って笑うが、僕は笑えなかった。
やはり暁の店へ入った際に、自分達に向けられていたのは間違いなく殺気だったのだ。グラが傍に居なければ、僕は確実に殺されていたという事だと理解する。
基本的に『店同士は敵対関係であると見るのが常識』という僕の感覚は正しかったのだと再確認する。
「ただね、君がただの雑用係であったなら、あそこまで熱烈な歓迎は受けなかっただろうね」
アカツキの言葉の意図が分からず僕は黙る。
「君はね、既にしっかりとオーラを放っているんだよ。副店長として以上に、もはや店主だと言われてもあの場にいた人間達は納得してしまう程にね」
「オーラ……ですか」
「オーラは目には見えない物だけれど、確実に存在している物だよ。人間はそれを感覚的に理解する事が出来る。特にプレイヤー達は感覚が鋭いから。君が只者じゃないって直ぐに分かったんだろう。だから殺気を向けた、ということだ」
これは理解しがたい話だ。僕には感覚的に分からない。だから僕は隣に座るグラを見た。
「アカツキが言っている事は正しい」
「ふむ。ありがとう」
僕はアカツキが話した事は、そういう物だとして受け入れた。
「だからね、ナキリ君。気を付けなさい。敵の縄張りを歩くならばプレイヤーを必ず付けなさい。それが今後、君が外部に対してとるべき態度だよ」
「分かりました」
僕が返事をすると、アカツキはニコリと笑った。




