9章-6.向かう先とは 2004.6.28
僕達は古い空き家に入ると、覚醒によって苦しむ彼等を床に寝せた。彼等の目を確認させてもらうと、皆燃えるようなオレンジ色に変化していたので、グラの言う通り覚醒で間違いがない。
この動けない間に、僕は皆の怪我の手当を行う。今はここで休む事を最優先とした。
まさかこのタイミングで覚醒するとは思わなかった。確かに僕は正気を失う程の強烈な狂気を放った。それに、彼等は鬼人の血が濃いのだ。覚醒する条件は揃っているのだから、当然の結果と言えば当然の結果だと言える。
「百鬼、どうする?」
「どうしようか……」
グラの問いかけに僕はハッキリと答えられない。
狭く埃っぽい室内の端に設けられた長椅子に座り、僕はずっと俯き頭を抱えていた。やってきたグラは僕の隣にゆっくりと座った。
「逃げる宛てなんて無い。だけど、店主も鮫龍さんも逃げろと言う。どこへ行けと……」
僕はグラに話しながら自分の頭の中を整理する。
「かと言って、僕らは満身創痍だ。これ以上戦う事も出来やしない。どこかの地を乗っ取って避難先にするのも現実的じゃない」
僕は彼等を連れて今後何をすべきなのか。行先は不明だし、取れる手段も殆ど無い。この限られた状況下で、どんな行動をするのが『最善』なのかを必死で導き出そうとしている。
「ナキリ。何がしたい?」
「え?」
グラに聞かれて僕は困惑した。何がしたいかだなんて。今この状況で、やりたい事を問われるなんて思わなかった。
「ナキリがやりたい事は?」
「僕がやりたい事……」
僕は俯いたまま考えてしまう。自分自身がやりたい事を。視界に映る薄汚れた床をただただ見つめながら。
本当はどうしたいのか。必死で考えないようにしてきたのに。自分の望みなんて優先していい状況じゃないのだから、考えるだけ無駄だ。
なのに、グラに問われて僕は考えてしまった。
「本当は直ぐ店へ戻りたい癖に」
「なっ!!」
図星を突かれて僕は声を漏らす。
「皆が起きたら行こう」
「いや……。そんな危険な事は……。それに店主も……。どう考えても店に戻る選択は『最善』じゃな――」
僕が顔を上げてグラを見たところで、逆にグラにじっと顔を覗き込まれてしまった。紫色の長い前髪の隙間から、燃えるようなオレンジ色の瞳が覗く。その視線は鋭い。
その目を見てしまったから……。
僕は、言い訳を辞めた。
「店に戻りたい。氷織達が心配なんだ……」
「分かった」
グラは頷いて立ち上がると、僕の元を離れて行ってしまった。
グラの行先を視線で追うと、グラは爛華の所へ行って話しているようだった。
僕は再び俯いて思考する。
こんな状況で僕は自分の願望を優先させていいのだろうか。僕は皆の命を預かる立場だと言うのに。
いや、良いわけが無い。そんな事をしてはダメだ。私情を出してはダメだ。
あの店主が逃げろと言うくらいだ。別に僕の身を案じてそんな事を言った訳では無いだろう。
単純に、直ぐに駆けつけたところで全く意味がなく、不毛であるため来るなと言ったに違いない。
それに、僕達が店に戻るところを待ち伏せされている可能性だって十分にある。危険すぎる。
そう考えれば考える程に、店に戻るという選択は悪手に思えてくる。どうせ今から行ったって、僕に出来ることなんて何も無い。何も残されてないだろう。
無駄に皆を危険に晒すだけだ。だから――。
僕は立ち上がり、やはり店に戻るのは辞めようとグラに言いに行こうとした。
しかしその瞬間だった。
「全く……。しっかり覚悟決めなさいよ!」
「うっ……」
僕の背中に衝撃が走る。僕はあまりの痛みに呻き声を上げる。顔を上げれば目の前でランカが笑っていた。
「店。戻るんでしょ? いいじゃない。行きましょ!」
「いや……でも……」
「いつまでも悩んでんじゃないわよ! 彼等は覚醒? したんでしょ? なら行けるわ!」
確かに彼等は覚醒した。戦闘力は跳ね上がるはずだ。でもだからって……。
「あのね。私もトラが心配なのよ……。でも、きっともう……」
「……」
ランカの表情が曇る。辛そうな表情で俯く。
恐らく僕達が駆けつける頃にトラは生きていない。店主がああ言ったのだ。トラが倒されるという意味だ。
「でも、やっぱり会いに行きたいから……」
僕は頷いた。
ランカの気遣いにも感謝する。
「ナキリさん! 店に行くっす!」
今度はアカギが僕の元へとやって来て、力強く言う。すっかり覚醒時の症状は治まったようだ。燃えるようなオレンジ色の瞳に、伸びた犬歯。肌の一部が黒くなっていた。
どうやら他の子達も、少しずつ覚醒時の症状が治まってきている。もう少ししたら動けるようになるだろう。
「何か、力がみなぎってきたっす! めっちゃ暴れたいっす!」
アカギはやる気満々だ。僕に力強くニッと笑う。
「ありがとう。心強いよ」
僕は皆から背中を押されてようやく決心した。
これは全くもって『最善』の選択なんかじゃない。だけど、僕はそれを行うことにした。
「皆、僕の我儘に付き合ってほしい。店に戻ろう」
今更向かったところで何も成し遂げられないかもしれない。だが、後悔したくないのだ。もし、あの時向かっていれば皆助かっていたなんて、後に分かったら、きっと僕は生きていけない。
それに可能性はゼロじゃない。助かる命が1つでもあるかもしれない。それは今行かなければ、分からない事だ。
僕達はこうして危険と考えられる牛腸の店へと戻ることとした。
***
僕はいつも使用している駐車場に車を停めた。そして車から降りる。すると、既にそこにはピリッとした空気があった。
「多分麒麟には僕達が来たことは察知されてる」
「分かった。ならいつも通り堂々と行こう」
グラは頷くとすぐに子供たちの元へ向かう。そして子供達一人一人に何か声を掛けていた。
「いつも通りね。分かったわ! もしSSランクの敵が出てきたら私が前に出るから」
「いえ、鬼兄弟を出します」
「え?」
「グラの話だと、彼らは2人掛かりなら、SSランクも相手出来るらしいので。それにランカさんは怪我をしていますから」
「……。分かった。そういう事なら甘えさせてもらうわね」
ランカ達は先に周囲へと散っていった。僕はそれを見届けてから、狂気の扉を開ける。僕が狂気に主導権を握られないギリギリまで。それを見極めて出力を上げていく。
いつものように、グラとアマキを残して皆周囲へと散っていった。これで準備は整った。
「行こう。僕達の店へ」
僕はゆっくりと歩き出した。




