9章-3.暴走とは 2004.6.28
深淵の摩天楼が解散して1年と7か月が経った頃。あれから季節は幾度となく移り変わり、夏の始まり。僕達は相も変わらず遠征を行っていた。
ギリギリの状態を維持しながら。避難する場所も確保できぬまま。麒麟と拮抗した状態を維持し続けて。
あれからさらに半年がたっても、状況は何一つ好転していなかった。
果てしない戦いの日々に、削られている精神は自覚できる程。僕達は着実に疲弊していた。店の蓄えは心もとなくなり、限界がチラついていた。
忍び寄る絶望に目を背け、意地でも前を向きながら。溢れてくる不安を見なかったことにして。僕達は当初と変わらずに遠征を続けているのだ。
本日は既に2つの小規模な武力集団を殲滅し終わっていて、残すはあと1か所の予定だ。現在はその場所へ皆で歩いて向かっている。
既に敵が潜伏するエリアではあるため、周囲を警戒しながらも足並みを揃え、ゆっくりと歩く。
殲滅しても殲滅しても、いくらでも敵は湧いてくる。最近では何故か頻度が増し、毎日ではないにしろ週の半分は遠征している状況だった。
彼等は一体どこからやって来るのだろうか。自然発生ではないだろう。やはり麒麟が策をめぐらせて、定期的に仕向けているのだとは思う。そうやって僕達を休ませないようにして、効率よく疲弊させるつもりだろう。
だが、敵の思惑が分かっていようとも、その策に対抗する術はない。愚直に仕向けられた敵を処理するしかできない。処理しなければ、店に攻め込まれて僕達は全滅するのだから、やらざるを得ない。
僕は僕の周囲を囲む、グラや天鬼、鬼人の子供達の状態を注視する。やはり皆疲れが出ているようだった。顔色が良くない。表情も暗い。彼等の限界は近いかもしれない。
そんな状況でも、子供達はとても頑張ってくれている。文句も言わず、僕の指示に素直に従ってくれる。それがどれだけありがたい事か。一番年上の鬼兄弟でさえ13歳。天鬼なんて、まだ10歳だ。本当はもっと遊んだりしたい年頃だろうに。
大人達ですら戦い続きの環境は辛いのだ。子供達なら尚更だろう。気が休まる事が無い環境に身を置き続けなければならない彼等の事は、体調だけでなく精神的な部分も見ていなければと思う。
「百鬼。来た」
「分かった」
グラが敵の気配を察知したようだ。僕は直ぐに狂気を纏い戦闘に備える。その途端、グラとアマキ以外の人間は、いつものように周囲に散り、身を隠した。
「敵は……25人。そのうち2人、強いのがいる」
「え……」
「爛華と俺で止めるしかないかもしれない」
グラとランカで止める。という事は、相手はSSランクのプレイヤーという事だろう。それを聞いて僕の心臓はバクバクと音を鳴らす。
グラの声色からも、今までの戦いとは違うのだと。はっきりと感じる。緊張感が高まる。
「アマキはナキリを守って。守り優先」
「うん!」
アマキが力強く返事をするや否や、グラは前方へと走って行ってしまった。
「ナキリ君。私も前に出るわ」
「はい。お願いします」
ランカもSSランクのプレイヤーの存在を感知したからだろう。姿を現し僕にそう告げると、グラが向かった方向へと走って行った。
SSランクレベルのプレイヤーなんて、同格である彼等にしか任せられない。
格下を複数人当てるという手段は、確実に犠牲が出る方法であるため選択できない。僕達は1人でも削られれば終わるのだから、そんな戦略は取れないのだ。
故に、グラとランカが上手く立ち回れる事を祈るしかない。
彼等で抑えられなければ、間違いなくこの遠征チームは崩壊する。その明確な危機に、僕は歯を食いしばる。
とにかく今は、そのSSランクと考えられる敵プレイヤー以外の処理からだ。グラとランカがその2人を抑えているうちに、他のメンバーで処理しなければ。
さっさと処理して、グラ達の援護に向かうことが出来れば、生存率はぐっと上がるはずだ。実質、僕達ができる『最善』はそれしかない。少しでも可能性を上げられるように立ち回らなければならない。
これは、上手く立ち回れればほぼ確実に勝てるような戦いなんかじゃない。最善を尽くしても負けるかもしれない戦いなのだ。
「ついに僕達を潰しに来たか……」
敵はついに、本格的に潰しに来たという事だと理解する。もしSSランクプレイヤーを一気に3人以上仕向けられていたら、一瞬で崩壊していただろう。
しかしながらそうなっていないのは、恐らく以前鬼楽から聞いた情報の通りという事なのだろう。『SSランクの彼等は仲が悪く、大勢で共闘出来ない』という事だと考えられる。
不幸中の幸いか、戦力は拮抗している。抗うことが出来る。
確実に『最善』を尽くそう。集中しろ。大丈夫だ。僕達には高度な連携力がある。グラとランカを信じて、やるべき事に注力するんだ。
僕は平常心を保ちながら、狂気を操り、今出来る『最善』を実行していく。
「ナキリさん!」
「ん?」
アマキは僕の少し前を歩きながらも周囲を警戒し、常にキョロキョロと視線を動かしながら、僕を呼ぶ。
どうしたのだろうか。僕は集中力を切らさずにアマキの様子を確認する。どこか焦りのある表情だ。事実、アマキの心情が揺れ動いているのを感じる。動揺が伝わってくる。一体どうしたのだろうか。
「他の敵も、みんな強い」
「どれくらい?」
「赤鬼達くらい」
つまりSランクレベルという事だ。
「もしかして全員?」
「うん……」
僕はそれを聞いて愕然としてしまった。
『完全敗北』というワードが嫌でもチラつく。
Sランクが23人。正直絶望的な数字だった。
こんな火力の強い敵陣営は初めてだ。2人のSSランクプレイヤー以外の敵も無視できない程に強い。
互角どころの話じゃない、これは明らかに格上。
少なくても無傷で帰れるなんてもはや思えなかった。
もしかすると、ここで誰かを失う事になるのかもしれない。いや、誰かなんてそんな生易しい状況じゃない。
皆殺しにされて――。
そう感じてしまった事で、僕の心臓は締め付けられた。
「ナキリさん! もっと共鳴したい! お願い!」
アマキは叫ぶように言う。きっと僕が動揺した事で、狂気の出力がブレたのだ。僕はグッと奥歯を噛みしめ、思考を振り払う。この場所は、考えても無駄な事を考えていていい所ではない。
少なくても、今この場で絶望の量を計算している場合なんかじゃない。勝利のための算段を考えるのが僕の仕事だ。1パーセントでも可能性を上げる事が僕にできる『最善』だ。
僕は意識を集中させて狂気の扉を開いていく。慎重に慎重に。ゆっくりと出力を上げていく。
まずは限界まで狂気の出力を上げて、鬼人達の戦闘力を上げる事が最優先だ。
もし出し過ぎてしまえば、僕は正気を失う。絶対にミスは許されない。
「もっと!!」
アマキは言う。だが、これ以上はできない。これ以上狂気を纏えば、間違いなく僕は僕でなくなる。戻って来られなくなる気がして怖いのだ。
「皆苦戦してる! もっと! じゃないと負けちゃうよ!」
「っ!!」
周囲から聞こえてくる戦闘の音。皆が必死で戦っているのが分かる。そして、共鳴しているからか、皆が苦戦しているのも伝わってくる。
同時に恐怖も伝わってくる。皆も恐怖と戦っているのだと理解する。自身よりも明らかに格上の者を相手にしている子もいる。迫り来る死を感じて震えている子もいる。さらに、ここで誰かを失うかもと恐怖している子もいる。
そこで僕はハッとする。
皆この状況が怖いはずだ……。
怖くて怖くて、仕方ないはずだ。
誰かを失う事に対して、僕だけが怖がっているわけじゃない。
皆恐怖している。そんな事、当たり前だというのに。
「ナキリさんっ!!」
僕は息を大きく吸って、一気に吐き出した。
そして、狂気の扉を開け放った。
***
「はははははっ!」
どうやら僕は声を出して笑っているらしい。
「壊せ! 壊せ壊せ壊せぇ!!!」
僕は背負っていた武器を持ち、向かってきたプレイヤーの攻撃を躱すと、背後に回り込みプレイヤーの首を切り落としていた。
その武器とは、解体ショーで使用していた、首切り用の大きな鋏だった。最も手に馴染んでいた武器がこれだなんて皮肉な話だが、グラの勧めで万が一の為に持っていた武器だ。
なんだか、ふわふわとした夢心地であるが、脳は意外にもクリアだった。
全てが見えるような視界に、何でも出来そうな全能感。高鳴る鼓動が心地よい。
自分の意思ではない様で、自分の意志通りに、自由に動き回る体。やりたい事をやりたいように。余計な事なんて考えず体が素直に動いていくような感覚だ。
そこには確かに自分がいる。普段の自分との差異が理解できるのに、僕自身であると知覚している。不思議な感覚だった。
「ほら。僕を殺すんじゃないの?」
僕がゆらりと視線を向けた先には、僕を警戒して刃物を構えるSランクの男性プレイヤーがいる。
しかし、彼は酷く怯えているようだった。その怯えた表情が可笑しくて可笑しくて。僕は自分の口角が吊り上がるのを感じる。
「クソッ! 何なんだこの化け物は! 話と違う!」
プレイヤーの男は困惑と怒りの混じった声で吐き捨てると、一直線に僕へと向かってきた。
僕は男の攻撃を横に避けて躱すと、鋏の先端を男の腹部へと刺しこんだ。勢いも有ったことから深々と刺さり、男の血液が鋏を伝って勢いよく流れ落ちていった。
僕は男を蹴り飛ばし、それと同時に鋏を男の腹部から引き抜いた。そして、鋏を分解する。
鋏は元々2つのパーツに分ける事が出来るのだ。中央部を噛み合わせて鋏の形状としているだけなので、少し捻りを加えて力を入れれば簡単に分解できるといった仕組みだ。
僕は分解した鋏のパーツをそれぞれ両手に持つ。まるで両手剣のようだ。
僕はその鋏の刃を勢いよく振り下ろすと、腹部を押えながら膝を地面につき、痛みに悶えていた男の首を切り落とした。
「はははっ!」
何が楽しいのかすら自覚できないでいる。だが僕の気分はさらに高揚し、胸が高鳴っている。得体の知れない全能感に支配されている。
ただただ。気持ちがいい。
また、鬼人達の様子も手に取るように分かる。どこにいて何をしているのか。まるで複数の目を持っているかのようだった。
「壊せ。もっとだ! 粉々にしろ!」
僕の口は勝手に動く。そうする事が『最善』なのだと、僕の脳みそは判断したのだろうか。分からない。
だが、『最善』なのだろう。結果を見て僕は感じる。実際、僕の言葉や意思に、鬼人達は素早く反応した。そして、普段の彼等の戦闘能力を遥かに上回る動きで敵を蹴散らしていた。彼等は望み通りに動いてくれる。まるで僕自身の手足の様だ。僕の体の一部であるかのように自由自在だった。
しばらく僕はゆっくりと歩みながら、敵を殲滅していった。周囲の気配を察するに、順調に着実に敵を殲滅できている。怖がっている鬼人の子もいないようで何よりだ。皆僕と同じように戦闘を楽しんでいる。
このまま進めば、グラとランカが戦う場所に辿り着くだろう。その前に周囲の敵は倒しきれそうだ。
僕はその調子のまま、道なりに進んで行った。




